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ふたりの天下人ー西播怪談実記草稿から紐解く播州戦国史ー  作者: 浅川立樹
第十六章・西播怪談実記草稿八【天文二十三年一月一日(1554年2月2日)~】
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18・西播怪談実記草稿八3-2


 第三の矢こそが、陶の本命。毛利の息の根を止める必殺の一矢。

 

 陶は、安芸国人衆の取り纏める権限を毛利から剥奪することを狙い、他の国人衆に粉をかけ始めている。幸いにして、今回は頭崎(かしらざき)城・平賀広相(ひらがひろすけ)が昨年二月に書いた起請文に従って毛利に忠義を貫き、寝返りの甘言を弄した陶方の使僧を吉田へ護送することで身の潔白と忠節を示して見せた。


 平賀氏には相応の謝礼を返さねばなるまい。


 安芸国人衆の離間に失敗した陶が、今後二人目、三人目の外交僧を用意してくることは火を見るよりも明らか。国人衆の誰もが毛利に心から臣従しているわけではなく、今は凪いでみえる安芸や備後でも、今後の風向き次第では逆風逆波になりかねない。


 そうなってしまえば、やはり家は滅ぶ。


「……父上は、自分が詫びを入れに行けば総て丸く収まるなど仰られておるが、自らの首と引き換えならば毛利の血脈は保たれるはずだなど本気で考えておいでなのか」


 三矢の非道を受けて尚、隆元の父・毛利元就は陶に従う心を変えていない。むしろ家臣の反対を押し切ってまで、積極的に津和野へ下向しようという意思さえ見える。


 陶晴賢という男が如何な人物だったかを忘れるほど、父が老いたとでも言うのか。


 当主の座を退いても、毛利の実質的な指導力は父にある。国内外、元就を心酔している者は数知れず、父の前に座っていれば、否が応でも皆の眼には現当主の姿など映っておらず、常に彼の背後の元就の影のみを追っている現実を見せつけられる。


 なにより隆元自身、自分自身こそが父を心酔している者の筆頭格であることを自認している。父の信奉者であることを、彼は疑うことも隠すとこもしなかった。


 父が死ねば、毛利の命運は尽きる。その認識は今も昔も変わりない。


「ああ、どうすれば良い。儂以上に見識深く戦に慣れた弟二人の言葉に耳すら御貸しなろうとせず、儂以上に長く側におられる桂殿の説得にも首を縦に振ってはくれぬ。あとは儂以上に父上を知っておられるお方でもおれば良いが……」


 昨年末より、二度にわたって毛利家宿老の一人・桂元澄に元就を説き伏せる助力を頼んでいたが、成果は全くもって芳しいものではない。ふと隆元は、元就の正室・妙玖(みょうきゅう)の名を思い浮べたが、彼女は九年も前、天文十四年に亡くなっていた。


 後の歴史を知る人間であれば、この時期の元就が、「敵を騙すには先ず味方から」という(はかりごと)を巡らせていた時期に当たるのではないかと推察することも出来るが、当の騙されている本人らとしてはたまったものではない。


 何より隆元の生真面目な性格も災いしている。彼は以前、実の父から「戦国の世を渡っていけない程に根が真正直で困っている」と苦言を呈されていた。憔悴しきった彼の表情には、腹芸とは縁もゆかりもない人の好さがにじみ出ている。


 それだけに、稀代の名将の息子として産まれた重圧と劣等感は、隆元の心を重く深く蝕んでいた。優秀な兄に代わって当主の座につかざるを得なかった赤松晴政も似た境遇ともいえるが、身近な存在との実力差を日々肌身で感じる分、隆元のほうがより切実なものだったのかも知れない。


「何故、何故……」

 

 隆元のつぶやきに答え得る者はいない。寺の池に住み着いた鯉が、黒い巨体をうねらせてのんびりと大きく泳ぎ、ぶくぶくと気泡を水面に吐き出すのを彼は苦悶の表情で見つめている。


 焦げ付いた隆元の脳内に、妙案が閃く奇跡など起こせる余裕はなかった。


 ただ時だけが無常に過ぎ、日暮れを過ぎても屋敷に戻らない隆元を心配した城番の者に連れられて、暗鬱とした面持ちのまま彼は自室に戻ることになる。


 夜遅く、眠れぬ夜を過ごしていた彼の元へ出雲に走らせていた密偵からの文が届けられた。


「尼子軍主力、東進せり」


 ああ、ついにこの時が来たのだ。来てしまうのだ。

 

「何が何でも、父上には発奮して頂かねばならぬ」


 彼は手元の灯りに火を燈すと、悲愴に震える指先を奮い立たせて二通の書状をしたためる。

 権謀術数とは凡そ縁遠い彼の、一世一代の謀。


 枯れた冬椿の残骸が、若草に萌ゆる地面にポトリと落ちた。


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