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ふたりの天下人ー西播怪談実記草稿から紐解く播州戦国史ー  作者: 浅川立樹
第十五章・西播怪談実記草稿七【天文二十二年十二月二十五日(1554年1月28日)~】
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17・西播怪談実記草稿七4-1

 ―4―



 ほーいほい……。

 ほーいほい……。


 うねる北風に吹き流されて、だいぶ西へと流されてしまった。


 地名、赤松鼻(あかまつのはな)。この少し切り立った崖は、かつて白旗城をめぐって五十日間の戦いが繰り広げられた時、六万の新田義貞の軍勢を前に、次々と崩壊していく第一次防衛線をそれでも堅守せんと赤松軍の兵士が最期の抵抗を試みた場所。


 彼らの霊を慰める五輪塔も今は苔生したまま放置され、人の世の儚さを後世に伝えている。


 そんな鼻の先には、播磨国の親尼子派の雄・浦上政宗の姿があり、政宗の傍付きの者が、先程から瀬戸内の海に向かって吠えている。


 彼らの視線の先。冬の内海、泡立つ波間に浮かぶ二形船(ふたなりぶね)が一艘。舟上の水夫らが先ほどから荒波に揉まれる中、懸命に室津港への接岸を試みているのだが、午後の複雑に絡み合った北風が吹きすさび、水上での航行を極めて困難なものにしていた。


 あの舟は、遠く出雲の客を乗せている。


 陸路ならば播磨から出雲までは半月足らず。それがひと月以上もかけて遥々海路を用いたのには、(ひとえ)に同盟側の監視の目を欺く必要に迫られたからに他ならない。


 浦上政宗が出雲尼子氏の本拠地・月山富田に使者を送ったのは、毛利氏主導の六ヵ国同盟の情報を聞きつけて間もなくの十月の終わり。


 その頃はまだ、陸路の使用にそこまでの制限が掛けられなかった。


 しかし、十二月に入り備後戦線が収束するに従って毛利親子の不仲の噂が聞こえ始めると、同時に、一気に同盟側が総力を挙げて防諜活動を強め、わずかな隙も漏らすまいと勢力圏内を通過する人間への警戒をより厳重なものとしていた。


 こと、備前から室津までを経由する街道には幾重も関所が設けられ、政宗の弟・宗景が天神山の新城の建築経過を秘匿すべく通過する人間の検問を行っていた。その為、陸路で出雲に向かう事は格段に難儀なものとなっている。


 出雲からの客も、新たに毛利氏の勢力下になりながらも戦後処理で混乱する備後国を行商人に混じって通過することで同盟側の警戒の目を免れ、安芸の田河原(竹原)から政宗の居城のある室津までの舟便を選んでいた。


「さて、聞こえておりませぬかな」


 ほーいほい……。

 ほーいほい……。


 この辺り一帯は海際まで山が迫った岩礁地帯。もっと東、岩見の港を越えて綾部山よりも東ならば畿内有数の遠浅海岸の黒崎御津ケ浜が開けるが、そこに行き着くまでには舟をもう一度沖まで回頭せねばならない。


 と、今度は陸からの声が聞こえたのか、舟の上で二本の火のついた松明を持った者が立ち、炎で大きく円を描く動きを見せる。


「おお。気が付きましたな」


 ほーいほい……。

 ほーいほい……。


 北風に逆らって、水夫らの声が途切れ途切れに湾に辿り着く。


「大きな丸に、丁字。尼子殿からの返事は了承。なんとか間に合いましたな」


 やれやれと付き人が政宗の方を見上げると、彼も緊張がほぐれたか久方振りの笑みを浮かべていた。

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