16・西播怪談実記草稿六4-2
「私も家族が増えるのは嬉しいし、ほら、母さんから聞いた兄に会えるのが楽しみ」
「…………」
少女の何気ない一言で元禅僧の顔色に陰りが浮かぶが、彼女が知る由もない。
「……お前の母は、兄について何か言っていたか」
「うん、兄は星と一緒にやってきたのだと」
彼女が記憶する自分の母との思い出は少ない。しかし、彼女の兄が産まれた年の話は覚えている。
彼女の母の父が亡くなって間もなく、夜空には美しく輝く大きな星が現れた。それは全天に跨って尾を引く見事な箒星。母は、蛇の目に煌めく青白い星の光の中に父の静かな眼差しを感じ取ったのだという。
嘘か誠か、しかし間違いなく星は、居場所を無くし、生きる意味をも無くして夜空を見上げるしかなかった彼女の母に生きる力を確かに与えた。
「なんとしてもその子を産まなきゃって、そう思ったらしいの」
「…………」
広家もその箒星の話は少女の母から何度も聞かされていた。
天文三(1534)年、自分達が備前砥石山の城を追われた夜、彼女は自分の子とはぐれた事は心配していたが自分の子の生存は信じて疑わなかった。あの子はお父様が見守って下さっているからと、その日見上げたという星の加護を信じ、佐用氏の領地に逃げ延びてからもそれは変わる事は無かった。
懐かしい痛みが元禅僧の胸を貫く。
「不思議なお話、私は嫌いじゃないよ。実際に貴方を通して兄は私達姉妹にご飯やお金を送ってくれていたんだもの。不思議な話、でも嫌いじゃない」
一切唯心造。世の中総ての存在に理由と縁がある。少女とて心の中に蟠りが無いわけではない。自身の運命に気づき、それを受け入れるかどうかで其処は地獄にも極楽にもなる。
二人はまもなく馴染みの馬借と合流し、同時に浦上宗景が遣わした護衛の小嶋氏(小嶋左馬允?)らと共に、馬三頭を引き連れて峠越えの道へと入っていった。
以降、佐用郡の生家に到着するまで父と娘の会話は途切れた。彼女らの帰路にあたる出雲街道において、当時まだ備前播磨間の国越えは杉坂越えが一般的で、裏道の万能越えは未整備の箇所もあったのか、かなり難儀したらしい。
二人が猪伏の里に到着したのはあくる日の夕刻だったという。
久方振りの故郷で雪と広家を待っていたのは、猪伏集落をはじめ近隣の村人たちの歓待だった。その中には各集落の長や地侍やその家族、あるいは地元で陰陽師を生業としていた家系の者や近くの寺社仏閣の関係者も含まれ、暮れの賑わいに先導されて二人は元の住居へと送られていった。
まもなく政範と雪の婚儀が行われる事を祝ってか、天気は快晴。この年が終わるまで一切雨や雪の気配はみられなかった。
余談として、享禄四年に雪の母(細川高國娘)が見たという大きな星に関して、その正体はハレー彗星ではないかと推定されています。
おおよそ75年周期で地球に訪れるハレー彗星は、天体望遠鏡の無い時代に肉眼でも視認可能な輝きを有し、その出現と同時に世界中で様々な文明に吉とも凶とも多大な影響を及ぼしました。
我が国の文献の初出は、天武天皇の治世13年(684年)。それ以降も度々日本史上に登場しますが、1531年時の明確な出現時期は、中国の歴史書『明史』の中に嘉靖10(1531)年8月5日にふたご座の方向に現れ、34日間の観測の後に姿を消したという記録が知られています。
細川高國の死は享禄四年六月八日(1531年7月21日)。雪姫の母の妊娠期間を考えて、この時代に見られた美しい星の正体はハレー彗星だったのではないでしょうか。




