16・西播怪談実記草稿六3-1(天井裏と火伏せの話)
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同時期(1553年1月8日頃?)、佐用郡。
本日は快晴。心配された雪の影響もなく、七条家では花嫁を迎えるための準備が着々と進められていた。占卜の結果、政範の婚礼の日取りは天文二十二年十二月二十四日(1554年1月27日)の年の瀬、丙申の神吉日と定められた。
七条屋敷では住居区画を増やすために改築が行われ、母屋ではなく離れの方を新郎新婦向けに手直しが行われている。新居が母屋では気を遣うだろうと、防寒対策として新たに土壁を塗り直し、ひと月ほどかけて乾燥させ仕上げている。
「……なんとか天気が持ちましたなあ」
棟の上から野太い大工の棟梁が聞こえた。
政範が佐用郡に戻って二ヶ月。夏場であれば、もっと早く土壁から水分が飛んで工期が短くなるのにと棟梁はぼやく。
通常、佐用郡は年に二、三度大雪に見舞われる。
多くの場合、十一月の半ばくらいに一度ドカ雪が降り、それから二ヶ月程してからもう一度厚い雪が集落全体を閉ざす。ドカ雪とドカ雪の間は、何度か雪がチラつくのを繰り返す程度で風花になる事もある。チラ雪すら舞わなくなれば、そこから春がやってくる。
現在の暦に当て嵌めるのであれば、クリスマスの時期と1月下旬か2月初旬くらいにドサッとまとまった雪が降る計算になる。
この年最初の大雪は例年より一週間ほど早く、着工前の十一月の初めに降り終わり、その後も雪解けに七日程要したが、幸い工事全体に大きな支障は出なかった。
ただ、なにかと忙しい師走の候、家人らもばたばた忙しなく人手は幾らあっても足りず、この日は工事の進展確認がてら、大工達に政範自身が白湯を用意し干し柿を添えて配膳している。
「ええ。上手いこと雪がズレてくれましたね」
「や、若すんまへん。こんなに寒いとぬくい湯が御馳走ですわ」
するすると梯子を伝い、棟梁に引き連れられ何人もの若い衆が屋根の上から姿を現した。
「上は荒れていませんでしたか」
「べっちょないべっちょない。さすが元々佐用さんのお屋敷やわ。前に雨漏りあった聞いてたけど、天井の板がぴっちり蓋してくれとる」
そう言う彼らは、現在桧皮葺の工程に移っていた。
離れが建てられたのは曽祖父・佐用則元の代、永正九(1512)年の秋だという。離れが完成して間もなくの翌十年四月十八日、備前三石攻めに参加していた曽祖父は城内大手の坂で討ち死にを遂げた。
人の手が入らなければ家は傷む。祖父の代には曽祖父の親類が定期的に手を入れ、父が母屋を譲られた後は来客用に使用されている。佐用郡に来てから政範が最初に通されたのもこの離れの一室だった。
「そういや屋根裏でおもろいもん見つけたんやけど、若も見るか」
廃材や木屑で作られた焚き火に当たりながら、すっかり日に焼けて黒く皺が刻まれた棟梁の表情には政範を試すような色があった。




