15・西播怪談実記草稿五3-2
調べを進めると、彼等が逃げてきたのは正しく備前砥石の城。
襲撃時の状況は一致。しかし、二人の生活が落ち着いてからも一向に身元を明かそうとしない姿に業を煮やし、他に難を逃れた生存者が居ないものかと探してみると、城内の女中が一人、院庄(岡山県津山市院庄)の親類を頼って落ち延びているという噂話を聞きつけた。
則答は密かに女中を呼び出し、遠目から見せて二人の素性を問うてみると、女の方は浦上氏に送られた細川高國の娘、男の方は宇喜多能家の客将という回答が得られた。
案の定只者ではないと踏んでいたが、これはさすがに予想を超えていた。
慌てふためき、飛ぶようにして猪伏の隠れ家に乗り込むと、ついに観念したらしく二人は間違いなくかつてその身分に居たことを認めた。
「……それは真実か」
「ええ、私自身、二人を問い質したときには耳を疑いました」
出来過ぎている、と、佐用則答の中にも半信半疑でどこか信じられぬ心があった。
だが、後に得られた供述の中から、女の子供の胞衣(胎盤)と臍帯(へその緒)の隠し場所を聞き出し、調査に向かわせたところ、本当に実物が出てきたとなれば話は一気に信憑性が増す。
臍帯は、親子の証明。
胞衣は、子供の分身。
女は母親として、はぐれた子の身代わりにせめて臍帯と胞衣の二つを手元に置いておきたいと願ったのだろう。
臍帯は脱出時に二人が立ち寄った播磨備前国境の社で発見され、胞衣は旧浦上村宗邸裏の土饅頭跡から発掘された。伝承によれば、臍帯と共に発見された包みの中からは、女が心の慰めに用いたのであろう宗景の父・村宗から恋文も添えられて見つかったという。
この両方が発見されたと報告が入ったとき、則答は二人の言葉が真実であると受けとめるしかなかった。
「……これは浦上氏に身内を嫁がせておきながら、摂州大物の地で村宗を裏切った佐用氏に対する神仏の導きであること疑いようがありませぬ」
大物崩れの後、則答の叔母は間もなく死んでいる。混迷期の備前国を泳ぎきる力は彼女にはなかった。
「女はどうなった」
「……十年程前にもなりますか。時節は夏の七月八日か九日、とても嫌な夏で佐用郡でも豪雨による甚大な被害が出た後に疫病みが流行り、その際にその御方も亡くなられ近くの山に葬られたと聞き及んでおります」
天文十三年の夏、近畿および東海地方を暴風雨が襲った。播磨国猪伏においても、山間を通る小川が濁流となって荒れ狂い、切り開かれた棚田を伝う雨水は滝の如く集落に溢れだしたと当時の日記が残されている。




