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ふたりの天下人ー西播怪談実記草稿から紐解く播州戦国史ー  作者: 浅川立樹
第十三章・西播怪談実記草稿五【天文二十二年十月二十三日(1553年11月28日)~】
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15・西播怪談実記草稿五2-1


 ―2―



 同、昼より少し前。


 高尾山福圓寺。


 建立され既に八百余年。今より遡ること六百年ほど前、南海より竜が飛来して山中で砕け散った伝説を持つこの場所において、西播磨の今後を左右する四つの派閥が集結していた。


 一つ目は、旧主赤松総領家。

 交渉役として、当主・赤松晴政側近の祝融軒光慶が任じられ、総領家嫡男・赤松義祐を率いて他数名が姿を見せていた。警護役としては七条政元、豊福肥前守ら佐用郡出身の諸将が任されている。


 二つ目は、隣国浦上氏のうち備前独立派に属する者。

 こちらは大胆不敵にも旗頭の浦上宗景が単身で乗り込み、忠節を確かめるためか警護には降ったばかりの佐用則答の兵が当てられていた。


 三つ目は、雲州尼子に与する播磨の地侍。

 早い話が宍粟の宇野氏ら一党。微妙な立ち位置の彼らは、秋口から続く一連の戦で予想以上の消耗を経験したにもかかわらず、その後、出雲、美作からの支援が滞り始めたことで今後の継戦能力に陰りが出始めている。頼みとしていた尼子軍主力も備後での戦況が(かんば)しいものではないことから、当主・宇野政頼の先見性を疑問視する声も出始めていた。


 それゆえ、宇野氏当主・宇野政頼は京都の公家・山科言継(やましなときつぐ)卿に使者を送り、言継卿の仲介を取り付けたことで今回の会議への参加が許された。発言力としてはかなり弱い。


 四つ目は、かつて西播磨で覇を唱えていた但馬山名氏。

 山名氏側の交渉役の名前は近世以降に失伝し、ただ山名家家中の者とのみ伝わる。以前は長田平三左衛門尉(後の山田重直)が交渉役となったという語り手も存在したが、申し訳ないが筆者としては確証が得られていない。


 しかし、四天王の息が掛からないそれなりの人物が充てられていたことは疑いようがなく、山名氏側の付き人のひとりとして禅僧・至岳の存在があった。


 四者四様、それぞれの勢力の思惑は違えど目指す方向は皆同じ。


「生き残る」


 出雲尼子主力という巨獣の牙が西に削がれている間に、身内争いに終止符を打ちたい赤松総領家と備前独立派は同盟を結ぶ事に躊躇いがない。両勢力は、領内最大の敵・播磨室津の浦上政宗を東西から狙い打つ。

 

 宇野氏としては気が気ではない。会合に参加し、赤松家と備前浦上氏があれこれ約定を取り決める傍ら、発言力を持たない彼らとて思うところはある。同じ親尼子の最大派閥の室津浦上氏を失えば、播磨国内の勢力図は大きく変化するだろう。


 しかし、背に腹は代えられない。もしこの会合で赤松、備前浦上の両勢力との和睦の道を見出せねば、両者は室津より先に手負いの宍粟郡に軍勢を差し向けることは火を見るよりも明らかと言えた。


 赤松・備前独立派の両派閥からしても、険峻な長水城を盾に持つ宇野氏の討伐は容易なものではない。両軍の力を合わせれば突破は不可能ではないが被害は相当なものとなる。その後にやってくるであろう尼子軍主力と浦上政宗の大攻勢を前に勝ちを拾えるだろうか。


 討滅するには難く、かといって地政学的に無視も出来ない。


 目の上のたん瘤の様な存在の宇野氏だが、それでも懐柔できるならば過去の諍いも多少は目をつぶろうというのが赤松家と備前独立派の意向でもあった


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