15・西播怪談実記草稿五1-2(明星石の話)
「私は貴方のことを知っている。けど、貴方は私のことを知らない」
黒服面の少女が楽しそうに笑う。
「……花から聞いたのか。」
「うん、不貞腐れないで。あの子は貴方のことを怖がってないから」
妹が政範を褒めたのか貶したのか、少女は答えをはぐらかした。
「そういえば、最近は見ていないが息災なのか」
「多分」
今一つ気温が上がらぬ日ではあるが、少し部屋の温度が下がった。
「私もあの子とはしばらくあっていないの」
月に数度、少女のもとには妹からの文が届けられていた。手紙を読む分には妹が何処かで大病なく生きていることが伺えたが、浦上氏側の検閲によって生活に関する具体的な内容は全て墨で塗り潰されていた。
意外と思われるが、室町時代の日本では文字の利便性を知識階級に止めておらず、当時の一般大衆の識語率の高さを宣教師達も驚きを持って本国への報告書にしたためている。
政範も嗜みとして読み書きは学んだが、今、目の前で琵琶を置き、膝を抱えて座る少女にかける言葉を持ちはしなかった。
彼にできたのは、ぽつぽつと少女が語る妹との思い出話を、ひとつ、またひとつと頷き、受け止める事のみ。愛想のない朴念仁な対応だが、それくらいが初対面の二人には丁度良かったのかも知れない。
「……変な人。こんな戯言、どうにでも聞き流せばいいのに」
そう言いつつ、ちゃんと次の言葉を促すように相槌を打つ政範を少女は好ましく思い、躾の行き届いた犬の様な人だと心の中で追記しておく。
二人が居るのは、佐用郡西部・山田村の浄宗寺。今年開基されたばかりの一向宗の寺で、集落の敬虔な信徒が捧げたのだろう手掘りの何かの像が本像の横に安置されている。堂内の造りは白木の香りがまだ強く残り、この時期には珍しいセンリョウも飾られていた。
寺は杉坂の関を越えた播磨国側にあり、政範らは赤松氏の勢力圏に戻ってきたことになる。
見張りは存在せず、逃げないという選択が人質となった政範に与えられた役割だった。
大人達が集まっているのは、この山田村から南側に延びる登山道の先、高雄山福圓寺。山城国伏見の醍醐寺三宝院に属し、西播三郡における修験道のふれもととして南北朝の時代には新吉野と呼ばれるほどに栄華を誇ったこともある。
福原定尚ら福原氏の菩提寺でもある福円寺では明星石という自然石が産出するのだが、明星石は天然ながら真四角の造形を持つ奇石で、ずっと持っていると願いが叶うのだと今も昔も地元の子供からは信仰の対象となっている。
実際に見たことはあるのか、という政範の問いに、うんと少女は頷く。
「一度だけ。あの子が知り合いの子から譲ってもらったのを」
大きさは一分(約3mm)四方ほどで、二番目に大きな石を貰ったのだと喜んでいたという。大事なものなので無くさないよう香袋に入れてあげたのだが、いつの間にか姿を消してしまった。
「……叶わない願いを掛けると石が逃げ出すんだって言っていたから、もしかしたら元の山に戻っていったのかもね」
妹が何を願ったかは分からない。
今は石に願いを掛けてでも妹に会いたくもあるが、全ては山頂の大人達に委ねられている。
遠く、広葉樹の枯れ木が立ち並ぶ高雄の参道から、播備作の今後を占う会議の始まりを告げる鐘が重く響き渡った。




