14・西播怪談実記草稿四3-3
身内同士で骨肉を食みあう播磨・備前二カ国において、比較的古い価値観に縛られない浦上宗景ゆえに思うところがあったのかも知れない。
そして二日間の逗留と聞いて、政範にはピンとくるものがあった。
砥石山城にも二日の後に新たな書状が届くと言う。
「おかしな話を。こちらとて、宇喜多殿より直ぐに戻る様に聞いております。その宇喜多殿から逗留しろだの申されましても、おいそれとは聞けぬ相談ですな」
「何を言っておる。貴殿らを当家に売ったのは、貴殿らを案内した我が家の家人。小金欲しさにそこここに掌を反す卑しい男よ」
そう言って、宗景が取り出したのは黒い碁石。
「真偽を問われればこの石を見せろとのことらしいが、どうだ、伝わるか」
割符。確かに、碁石の事を知るのはあの時点で堀内広維宅に居た者だけ。内通者など最初から信用に値しないと考えるのが宇喜多直家という男の性質らしい。
「……浦上殿の言葉が嘘偽りでは無いことは分かりました。恐らく真なのでしょう。ですが我らに危害を加えぬという保証には成りますまい」
「福原殿。もし我らが闇討ちするならばこの様な場を設けるなど必要あるまい」
どうせ明日には分かる事か、と、宗景が大きく息を吸い込む。
「此度の件、総ては七条殿の祖父・佐用殿の面子を守る為に佐用殿自身が仕組んだこと。佐用則答の孫たるハ十郎殿(政範)がこの場所で、儂の手で囚われたという事実を創り上げんが為、ハ十郎殿にはどうあっても二日間の滞在をして頂かなければならぬ」
「…………」
「以前から、佐用殿も領内外の勢力争いにほとほと手を焼いておるのは知っておった。国内を憂慮するのに敵も味方もなかろう」
夏、七条家の取り込みに失敗した備前独立派は、過去の血縁関係から七条家の上、佐用家の切り崩しに方針を変えていた。将を射んとする者はまず馬を射よという言葉通り、佐用家当主は七条家当主の義父。佐用則答の意向であれば七条政元も従わざるを得まい。
だが、宗景の記憶では、少なくとも八月の段階では佐用氏の説得が功を奏した事はなく、佐用氏含めその他佐用郡の有力国人衆らが首を縦に振わせることは無かったと記憶している。
かと言って、全くの不発に終わったわけでもなく、備前独立派の情報網には、臣下の宇喜多氏側も独自に佐用氏と接触を図っているという未確認の情報が引っかかり、後日、宇喜多氏と佐用氏が定期的に情報交換を行なっている裏取りにも成功していた。
配下の武将と佐用氏との個人的な接触を咎める必要はなく、むしろ説得にかける手間を肩代わりするのであれば、それは機転が利く部下であると褒める行為と見なされていた。
そこまでは宗景も把握している。
だが、今日この日この時に至って、事前に宇喜多直家の方から通達が無かったことが気に掛かる。自分の預かり知らぬところで事態が進展しているにも係らず、部下と独立派への恭順を断った者達が筋を書き、彼らが思い描いた動線上に立たされる、それが言いようのない違和感となってざらりと宗景の心を撫で付けた。
誰かの手の上で踊らされて快く思う心はない。
(……春の美作における尼子軍の播磨侵攻、夏以降も足並みの揃わぬ赤松家臣団、秋の赤松総領家の対応を鑑みて佐用殿は心変わりをされたと聞いていたが……)
宗景の耳には、佐用氏側が備前独立派に恭順の意を示し始めたのは先月に入ってからの話だと聞いている。宇喜多氏側の説得のおかげだと、独立派上層部でも直家の外交手腕を高く評価する声も多かった。
しかし、今回の直家からの書状では、急遽佐用氏から申し出があり、ただ宗景に従うだけでは播磨の赤松総領家を裏切る形となるため、家名を汚すことを恐れ、故意に孫を捕えさせる策を立案したのだという。
宗景に連絡が無かったのは取り急いでいたためだとも記されていた。