14・西播怪談実記草稿四2-2
「続けろ。耳障りだが聞いてやる」
少女と宗景の間には、奇妙な関係で結ばれている。
二人の会話には、恋慕の匂いも男女の繋がりも存在しない。あれからしばらくの時が過ぎたが、少女は少女の方で、妹の行方を知る宗景に対して気を許しておらず、畏れもせず諂いもしない。
小生意気な小娘程度、無理にでも手籠めにしようと思えば可能であろうが、宗景の女の趣味からすれば少女は若過ぎる。そしてなにより宗景は既に地元有力氏族の娘を娶り、三つになる男児まで有している。
血縁関係で結束を強める備前独立派において、宗景自身の影響力は決して小さくはないが強大かと問われれば微妙なところにある。特に、現在の親尼子派の方が優勢に傾く情勢下では、妻の不興を買い、妻の実家から信頼を失う危険性の方がはるかに大きい。
些細なことでも命取りに繋がりかねない。
故に、宗景は妾を持つことなく屋敷内の女性は少女の他には本妻の世話役しか居ない。妻の縁者だというあの鰻顔の下男をしぶしぶ雇い入れている。
当て付けのつもりか、宗景は少女へと、あえて当道座と折り合いの悪い盲僧座の者を呼んで、彼女に手ほどきを受けるように命じてあった。
―――嫋……。
少女の爪弾く弦が、もの悲しく響き渡る。
九州を主として活動する盲僧座は、平安時代に天台宗の僧・玄清法印が興したもの。備前国においても年に数度、竈神の荒神さまを祀りにやってくるのだが、今回は偶然宗景が呼び止めたもの。
「……そういえば、昼間の法師さまがいうには、九州には薩摩国という場所があって琵琶に重きを置いている国があるのだとか」
「それがどうした」
薩摩の琵琶文化は鎌倉時代の奏者・宝山検校から始まるとされるが、薩摩国の大名・島津修理大夫忠良(日新斎)が正式に薩摩守護の座を認められたのが天文二十一年。この少し前の時期から、忠良は後続を育てるために伊作常楽院の住職・淵脇了公らと共に武家の教養として琵琶歌を昇華させていく。
やがて幾ばくかの時代と共に独自の技法や琵琶の形状を変えて、やがては盲僧琵琶とは異なる独自の薩摩琵琶文化を創り上げていくのだが、それは今回は触りのみにしておく。




