14・西播怪談実記草稿四1-1
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同、十月二十日(1553年11月25日)、夕刻。天神山近郊。
この日は朝から小雨が降り続き、ほとんど温度の上がらない一日だった。晩秋の冷たい雨に濡れるのを嫌ってか、付近の集落は静まり返り、武家屋敷周辺も朝から人通りが極めて少ない。
砥石城を出て北上する七条政範らにとっては、絶好の潜入日和。
すれ違う人間の姿もなく、仮にすれ違ったところで、雨の中では笠を深く被って会釈のひとつでもすれば相手が何者だったかも分かりはしない。道中、川舟人夫らが今日の雨をこれ幸いとばかりに騒いでいる小屋は幾つか見かけはしたが、彼らは旅人に声をかけようともしなかった。
増水した吉井川を見下ろしながら、徒歩で凡そ四刻(8時間)。政範ら一行は、鵜飼谷から太鼓丸城を右手に見上げ、天瀬の侍屋敷予定地への到着を果たす。
この時期、急峻な山すそを切り開いて造られた侍屋敷は数軒のみが確認される程度。実際に住んでいる者は居なかった。ただ、縄張から推測すると天神山山腹の南部から吉井川に沿うように、上・中・下の三段構造となるだろうということが伺える程度には開発が進んでいた。
近づくにつれ、段々の側面を石垣で補強された箇所も見受けられ、屋敷予定地となる空き地では、来る普請に備え、川から運び込まれた資材が保管場所として使われているのが分かる。こうした集積地をさらに住居区画に転用すればもう少し侍屋敷の規模が大きくなるのではないだろうか。
「おそらく、この一帯は工人(労働者)らの作業場になるのでしょう」
「……皆さま、お静かに。宗景様の屋敷まではもう間もなくです」
天神山は百三十丈余り(約400m)。山影に当たる天瀬の地の一日は自然と短くなる。
先導するのは、例の鰻顔の下男。
今の彼には普段宗景に見せる人を食った態度はなく、広維の前をのっそりのっそり人目を警戒しながら歩を進めていた。先刻、吉井川と金剛川の合流地点で落ち合った時から、鰻男は必要以上に恭しく広維に接し、彼の真の主人は浦上宗景ではなく広維の方なのだろうと推測できる。
「この辺りは山に遮られて日暮れが早いですが、念には念を入れてください」
時刻は申の刻(午後4時)を過ぎてしばらく。
半里(約2㎞)北に歩いた山影に身を隠し、夜の帳を待って七条政範らは行動を開始する。
鰻顔の男を先頭に、堀内広維、七条政範、福原定尚の順。途中、田土の集落を抜け、古い時代の砦跡を利用して建てられた宗景の仮屋敷を目指す。




