13・西播怪談実記草稿三1-1
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同、十月十五日(1553年11月20日)、夜。
備前国の南、砥石城(岡山県瀬戸内市)。
砥石山の麓、千町川沿いに築かれた侍屋敷の一室。当初、七条政範が祖父・佐用則答からこの場所を目指すよう指示されたとき、流石の政範も驚きの色を隠せなかった。
砥石山の主は、浮田大和守国定。
備前国の親尼子派閥の代表格に名を連ねる人物として知られ、かつて浦上兄弟の後見人となり、能家を失った後の宇喜多一族を継承。備前独立派が多数派を占める備前国東部でありながら、主君・浦上政宗のために最前線の防衛を担う親尼子派の重鎮中の重鎮といえる。
佐用郡より政範に同行が許されたのは、弟の政直と福原定尚。二人は帯刀の上、侍屋敷の門までは入ることが許可されたが、戸口前ではそれ以上の進入を留められる。不承不承ながら承諾せざるを得ず、いざという時に政範のもとに駆け付けられるよう、少しの声でも聞き漏らさぬよう耳を欹てていた。
さて、室内。護衛を失った政範だが、およそ危険を感じる風でもない。否、玄関すぐの女中部屋だけでなく、そもそも屋敷全体から人の気配が感じ取れない。
「……ご安心を。今夜は人払いをしております」
「貴殿、名を伺ってもよいか」
「申し訳ありませぬ。某は、堀内広維。大和守殿の下で客将扱いとして、この城下に住まわせて頂いている身上です」
佐用郡、七条屋敷では殆ど無言で通した男が口を開く。
「屋内は手狭です。足元にお気をつけ下さい」
堀内邸は母屋一つの石置き屋根の民家であるが、四方を木の塀に囲み、城下では庭付きの比較的大きな屋敷があてがわれていた。もしかしたら富農の家を改造したのかも知れない。造りは頑丈で、実に密談向きと言えた。
中央、玄関兼台所から上がり框を登り、わずかな板間の先に三つの部屋が連なり、襖は開け放たれた状態で、最奥の座敷では既に先客が居るのが見える。
「お待たせを。七条殿の若様をお連れしました」
「ご苦労……」
待っていたのは、やや背丈の低い目鼻立ちのくっきりした堀内広維と同年代くらいの男。たった一本の蝋燭の灯りの中でも、爛々と光る男の目が政範を捉えていた。
「ああ、初にお目にかかる。七条殿。貴殿の事は異母弟殿と佐用殿から報告を聞いている。堀内殿の件、受けて頂けるそうだな」
「ええ、祖父より命を」
政範が頷くと、男はふっと薄く笑った。
「……助かる。堀内殿はわしの幼少の砌からの知己でわしの一番の理解者だ。誰より付き合いが長く、川向うの異母弟殿より余程信を置いている」
「勿体無きお言葉です」
「なに、この砥石山落城からは苦労をかけ続けている。気に病むな」
二人の会話が始まると政範はついていけないが、浅からぬ誼があるのだろうということが伺えた。




