前編
リッテンマーレ公爵家の長女、第八師団の聖女。 纏わりつく肩書きは、ただの重荷にしか思えませんでした。 そんなわたくしとって、最初カインは憧れでした。 平民でありながら第六師団長に任命され、好奇の視線など気にも留めない。 あのように振る舞うことが出来たらと、嫉妬混じりの憧憬。 初めは本当に、それだけだったのです。
変わったのは、お兄様とわたくしの誕生日会の夜。 お兄様の友人として招待されたカインは、いつもの節制はどこへやら、随分と酔っていました。 後からそれはお兄様の仕業だとわかるのですが、それはひとまず置いておきましょう。 酔い覚ましに一人会場を離れたカインを追って、わたくしは中庭に行きました。 主役として、淑女として、あるまじき行為です。 普段のわたくしなら、決してそのようなことは致しません。 きっとーーーとても陳腐な言い方になってしまいますけど、きっと運命だったのです。 わたくしとカインの今後を決定的に変えた、運命。
カインは中庭の噴水の淵に座っていました。 暫く宙を見つめて、漸くわたくしに気づいてこちらに視線を向けました。
「ーーー主役が会場を抜けてよろしいのですか、聖女様」
冷たい声音でした。 平民風情と罵られても穏やかに応えるあのカインが、冷え冷えとした声音でわたくしに話しかけ、鋭い目でわたくしを見る。 こんな姿、きっと誰も、お兄様だって知らない。 わたくしだけ、わたくしだけしか知らない。 抱いた感情は、失望ではなくーーーもっと熱い、身を焼くような恋情。 わたくしはその時、カインに恋したのです。
その後の行動は、友人をして「他人が乗り移ったのかと思った」と言わしめるほどだったそうです。 初めての恋に必死で周りが目に入っていなかったのは認めます。 カインも内心迷惑していたことでしょう。 冷たい対応をした女が、積極的に自分に関わってくるのです。 戸惑っているのが手に取るようにわかり、なんて可愛いーーーいえいえ、可哀想なのだろうと思いました。 思っただけですけど。 行動は改めませんでしたけど。 それでも少しずつ絆されてくれて、カインに恋して半年後に晴れて恋人同士になりました。
冷静になったわたくしは、そこで漸く現実を見つめ直しました。 公爵令嬢と平民という、身分差の壁を。 わたくしが子爵や男爵の子であったりカインが貴族であればまだ簡単だったのですが、現実はままならないものです。 駆け落ちしてしまおうか、あぁでもカインには妹が、いっそ事件を仕立ててカインに解決させてその褒美として貴族にーーーそんな不穏な考えすら抱いていました。
だからわたくし、本当は感謝しているのです。 カインを英雄にする機会を下さった魔王にーーーこんなこと、口に出すわけにはいきませんけど。
七人戦争を経て英雄になり、爵位と領地を賜ったカイン。 最初は元平民なんてと渋った両親でしたが、国民的英雄になったカインならばと認めてくださいました。 こうしてわたくしとカインは婚約し、ハッピーエンド。
ーーーとは、いきませんでした。 カインの友人であり、その人柄を理解しているはずのーーーというか、腹黒いところも了承しているはずの兄が、その婚約に反対したのです。 それも、思わず頭を抱えたくなるような理不尽な理由で。