最終章 新たなる歩み 黒鉄の鎧を纏いし戦士
聖アルフ歴1686年
「気がついたかジーク」
そこは真っ暗な何も無い世界だった。隣には、かつての夢で自らに胸の弱手を指摘した黒いローブを羽織った男が立っている。
「俺は死んだのか?」
自らの逆鱗を貫かれたことを思い出したジークは、立ち上がりながら黒衣の男に訪ねる。男は、複雑な様子で応えた。
「一度な。だが、お前にご執心の女が、心臓を再生させようとしている。圧倒的なまでの再生力を誇る竜種の心臓が相手でも、流石に、【悪性の精霊に魂を売らなければ行使出来ない】、死者を蘇生させる禁呪となると、二百年治癒するのに掛かるだろうがな」
黒衣の男の言葉に嘘が無いと言う事を直感で感じたジークは、慌てた様子で答える。
「俺はこんな都合のいい第二の生は望まない。それに、俺ごときの為に、人生を棒に振らせるわけにはいかない」
ジークの言葉を受けた黒衣の男は、複雑な様子で口を開いた。
「そこは安心しろ。あの女は、恐らく世界よりもお前を取るほどお前に執着しているからな」
「それよりも、何故お前は自分の幸福という物を感情に入れない。我を一度倒したお前には本来その権利があるはずだ」
黒衣の男は不愉快そうに口を開く。
「そうか、お前はやはり……」
ジークがそう呟くと、黒衣の男は、呆れた様子で口を開いた。
「そうだ。我はお前がかつて打倒し、そしてお前に血と心臓を与えた魔竜だ。今まで何度か声をかけ続けてきたが、最後になってようやく気づくとはな」
そう言うと、黒衣の男は、かつての魔竜の姿へと変貌する。しかし、その姿は何処か存在感が弱い物であった。
「まさか、お前はもう助からないのか?」
ジークが問いかけると、魔竜は、穏やかな様子で口を開く。
「竜種由来の不死性は、ある程度は残るだろうが、どうも逆鱗を貫かれた時の我へのダメージが大きくてな。お前を最後まで見届けると言ったが、どうやらそれも無理なようだ……」
魔竜の存在が末端から消えていく。それを確認したジークは、自分自身の無力さを噛み締めるかのように口を開いた。
「あの時、俺が油断しなければ」
悔やむように顔を歪めるジークを見た魔竜は、苛立ち交じりのまま口を開く。
「勘違いするな。我がお前に血と心臓を取り込むとこを許した理由は、お前が我を打倒したということのみだ。それに、過去に起きたことを振り返った所で我が助かるわけではない」
ジークに対して、体の半分が消え去った魔竜は言葉を続ける。
「お前が過去を否定するということは、今まで救ってきた人間と、自らが歩んだ道そのものを否定することだぞ」
「お前は、曲がりなりにも、あの聖騎士をほぼ負かしたも同然なのだ。つまり勝った時点でお前が正しいということだ。もっと胸を張れ」
過去を無かった事にしてはいけない。魔竜のその言葉を受けたジークは、重々しいながらも、口を開く。
「そうだな……俺がこんなままでは、お前も満足して消えることはできないか。ありがとう。お前の力に何度も救われた」
ジークの言葉を受けた、存在がほとんど消え去った魔竜は、最期の言葉を紡いだ。
「うむ。お前は、不器用だが、間違いなく、自らの信じる誰かの為に剣を振るう戦士になれる。我が保証しよう」
魔竜の最後の言葉を聞き、そして魔竜が消え去ることを確認したジークは静かに目を閉じる
聖アルフ歴1886年
「起きてくださいネーデルさん。今回の仕事場に着きましたよ」
黒鉄の全身鎧に、赤いマントとバンダナを付けたネーデルと呼ばれた男は、東洋系の顔立ちをした革の服を着た青年に揺り動かされる。
「ルシールさんの示した目的地に着きましたから、馬車から降りてくださいね」
青年は、ネーデルにそう言うと、そのまま馬車を降りていった。それを眺めていた黒い鎧を纏った男は、背中に背負った大剣を撫でながら、現在の自分について思い返した。
(懐かしい夢を見たな……)
心臓を破壊され一時的には死んでいたはずのジークは、約二百年の時間をかけて、限りなく完全な状態で意識を取り戻すことが出来たのである。
これも、弱者を守るための剣として一人で戦い続けたジークを見守り続けたるルーシーのお陰であった。
彼女悪性の精霊に魂を売り渡し、世界の法則から逸脱するという代償を払い、死者を蘇らせる禁呪を使ったのである。
竜の心臓を取り込んだことによる不死性こそ低下ししている。しかし戦場の戦士として戦うには支障のない段階まで引き上げることが出来る状態であった。
「確認だけど、動けるようになったら、アンタはまた誰かの為に戦うつもりなの?」
ジークが、二百年以上動かなかった体を元の様に動けるようにする為のリハビリを続けていたある日、この時にはルシールと名を変えたルーシーは、かつては竜殺しとまで呼ばれた男にそう訪ねる。
「ああ。それに、お前には命を助けられた恩があるからな。それを返すことが出来るように、この時代でも自分の出来ることやって行きたい」
自らの信じる物の為に戦い、そして一度は死んだ筈の男は、当たり前のことのように頷いた。
「だったら、話は早いわね。アンタの力貸してくれないかしら?」
悪性の精霊に魂を売り渡してまで竜血の騎士を蘇らせた金髪のエルフは、一度死に掛けてもなお、誰かの為に有り続けようとする青年に、現在の世界の状態について話し始める。
「今の世界は、魔術が広く使われるようになったことによって、大国が小国を蹂躙する人同士の大規模な戦乱の時代が続いたけれど、マナの枯渇によって、国規模の争いは大分減ってきたの」
「だけど、小さな争いは今も多く存在している。だから、アタシは、アンタの体を個人で管理できるまで回復させてからは、国を離れて小規模な傭兵団を作ったの。飢えや紛争で苦しんでいる弱者を助ける為にね。」
ルーシーは世界の情勢を語ると、少し顔を暗くしながら口を開いた。
「それにジークが一度死んだのには、アタシにも責任があるから。アンタが騎士団を抜けるように促したのは、他でもないアタシでしょ。だから、今度こそ、アタシがジークの力になりたいの」
「後、前から思っていたけど、昔からアンタって、自分の不利益を度外視して誰かの為に何かしようしてるわよね? はっきり言ってあなたの生き方はあまりにも歪よ。」
「それでも、そんなジークのことを放っておけないなって思っていたのよね、アタシ。あんたの心臓を安定させるために制御術式を施さないといけなくなったわけだし……」
「不器用なアンタのことをまっとうな人間になれるようにしたいっていうのが、アタシの長年の夢だったって訳よ。だからアタシがジークのことを助けたのはアタシの為って訳よ」
ルーシーの独白を受けたジークは、少し驚いた。そんな彼の様子を観察しながら稀代の魔導師は続ける。
「傭兵団に入ってもらうことを無理強いすることは、出来ない事なんだけど、昔の馴染みとしては、アンタにも力を貸してほしい所なのよね。これだったらお互いのためになると思うんだけれどどうかしら?」
ジークは、今まで見せたことのない穏やかな表情を浮かべながら口を開く。その様子は、今までの虚無感に耐えながら、孤独に戦い続けてきた事による憑き物が取れたようでもあった。
「そうだな。今になって見ると、俺は一人であがき続けていただけだったのかもしれない。あの酒場でのお前の言葉がなければ、俺は何処かで道を誤っていたかもしれない。お前のおかげだ、ありがとう。俺は不器用だが、今度はお前に剣を預けたいと思うのだが、構わないだろうか」
「それに、一人の力で叶わない事ならば、より多くの人間が支え合うことで、成しうること出来るかもしれないからな」
他人のために傷つき続けてきた青年の答えを聞いた彼女は、顔を赤くしながらも、嬉しそうに微笑みながら口を開く
「急に素直になるんじゃないわよ。それじゃあ、改めてよろしく、ジーク。アンタが自分の為にも剣を振るうことの出来るように、アタシも頑張るから」
ルーシーは誇らしげにそう言うと、自らの計画を楽しげに語り始める。
「これからは、アタシがサポートしていくから安心しなさい。二百年前に使っていた偵察用の使い魔に、転移魔術用の触媒としても使えるよう改良した物を常時付けておくし、前みたいに、陰気臭い研究所に引きこもっている訳じゃないから、その気になればすぐに転移魔術で駆けつけて、あの髭面狂信者みたいなのも雷で蒸発させるから。」
普段の勝気な言動とは何処かかけ離れた、魔術を探求する者特有の恍惚とした表情でそう言ったルーシーに、ジークは少し不安を覚えたが、それを気にすることも無くリハビリに戻った。
ルーシーの傭兵となることを受諾したジークは、その日夢を見た。
夢の中では、傲慢な国王が国力の劣る小国を隷属させ、魔術が発展したことで国力が増した国の華やかさの裏では零落した貧困層が不衛生な物乞い同然の生活を送っている。
場面が変わると、獣の耳に首を付けられたが獣人族の家族が奴隷として売られていた。薄暗い裏通りで奴隷商人は、下品な笑いを浮かべながら【気晴らし】に近くにいた奴隷として扱われている少女の顔を蹴り飛ばした。
場面にノイズが走ると、海の上に大きな船団が対立している。船に乗りこんでいた魔術師達は、それぞれに向かって魔術式を放つ。様々な攻撃魔術が衝突した次の瞬間、大気中の魔力までもが収束し、一帯を飲み込んだ
場面が変わり、農民と思われる男が、生気が感じられない畑に鍬を振り下ろす。
「何で育たないんだよ!」
頬が痩せこけた男は必死で鍬を振り下ろし続ける。
「あいつらのせいだ。魔術なんかで大気からマナを吸い上げるせいで植物が育たないんだ……」
遂にその場に倒れ伏せた男は、そのまま世界を呪いながら餓死した。
「これがルーシーの言っていた魔術の発展に伴う人間の業か……」
ジークが目を見開きながらそうつぶやくと、黒衣を纏った人間ではありえない魔力を放つ少女が現れる。
「可哀想ですか? これはあなたが眠っていた間に人間が作り上げた闇ですよ」
(まさか、こいつがルーシーと契約した悪性の精霊か?)
ジークは、心の中で目の前の少女こそがルーシーが契約した悪性の精霊ではないかと推測する。漆黒の少女は、そのまま挑発するかのように口を開く。
「大気から手軽に魔力を吸い上げる方法を開発して以降、魔術を力として振るい始めた西部の大国は、東部の国々を蹂躙し、大国もお互いに国の威信をかけて殺し合いを続ける」
「その癖にマナの減少が深刻になった途端に手のひらを反して正義の味方を気取る。自分たちは清廉潔白な世界のために奉仕しているとでも宣言しているかのようにね……」
「民もそう。自分は善良で虐げられる側だと言い張りながら、結局は自分の事で頭がいっぱいの獣ばかり」
「こんな存在なんかのために貴方は一度死んだんですか? 貴方は、本当にこんな悪と欲に満ちた存在のために戦えるの?」
ニタリと口元を歪ませながら悪性の精霊はそう言った。それは、人間を悪と欲に満ちた穢れきった存在だと否定する言葉である。
しかし、竜血の騎士と呼ばれ、より多くの命を救うことに尽力した彼にとって答えは既に決まっている。
「それは違う。俺もこの時代に入る直前まで生きていたから分かるが、誰もが自分の家族や仲間の為に戦っていた。お前の見せた映像も確かに事実かもしれないが、俺が見てきた人々の善性もまた本物だ」
「何が言いたいのですか。人間に善性がある? ならば種族が違えば奴隷として扱っているのはどう説明するのですか?」
漆黒の精霊は、つまらなさそうにそう口を開いた。
「俺は、人間には善性と悪性の両方が備わっていると同時に、人という種そのものがどちらかに染まることは無い。獣人族も例外じゃない」
「仮に獣人族が覇権を握っていれば、逆に人間かエルフが奴隷となっていただろうし、今見せた戦いの歴史は、お互いが真に理解し合うことが出来なかったから起きたことだと俺は思う」
「それに人は互いに繋がりを築いて支え合うことも出来るはずだ。俺は人間に絶望してはいない」
「一度は国の在り方や自分自身に絶望していたあなたにそれが出来ると?」
先ほどとは違う低い声で漆黒の精霊は尋ねる。
「いいや。おそらく人が人である限り完全な相互理解は不可能だろう。人が他者の心を読むことは出来ないからな」
漆黒の精霊は意表を突かれたように目を見開いた。
「戦いが無くなることもないだろう。だからこそ、それによって流れる力を持たない民の血を少しでも減らすことこそが俺の役目だ」
ジークは覚悟を決めたように続ける。
「かつてあったことを無かったことにはすることは出来ない。今までの犠牲を無意味なものにしないために、そして弱き者を守るために俺は剣を振るう」
ジークの言葉を受けた漆黒の精霊は、さすがに顔をひきつらせながら口を開いた。
「あなたは、人間の業をその身で背負う気ですか? かつては他者を切り捨てることに苦悩した筈の欺瞞に満ちたあなたが?」
漆黒の精霊は、嘲笑混じりに口を開く。しかし、ジークは冷徹に答えた。
「無論だ。俺は己の剣が届く限り弱者が血を流さないようにすることが役目だ。この世は確かに弱肉強食だが、それでも人間には今まで積み上げてきた伝統と理性がある。ただ本能のまま貪るだけの獣ではない」
ジークの言葉を受けた悪性の精霊は、今までの冷淡かつ挑発するような態度から一転して、心底面白そうに笑い始める。
「あの娘が助けようとした男だからどんな奴だと思っていたけれど、まさかこんなに死に急いでいるような愚か者だったとはね。まあいいわ。その方が面白いから」
心底面白そうに笑った漆黒の精霊は、そのままジークに夢の中から消えようとした。
「去る前に名を教えてくれないか? 俺は出来ることならばお前とも分かり合いたい」
ジークの言葉を受けた悪性の精霊はにやりと笑うと、口を開く。
「そうですね。名は名乗っておくべきだしたか……彼女が施した制御術式を限定解除するためにあなたの心臓への魔力供給するのは私ですからね」
漆黒の精霊は、ジークにとっては重要なことを粗末なことの様に口にした。
「私はヒュユク。かつてアルフに駆逐された闇をつかさどる精霊の末裔よ。あなたの力を制御する役目を結果的に担う訳になったわけだけれど改めてよろしくね。正義の味方さん」
ヒュユクと名乗った精霊は、重要なことを言わずに去ろうとしたこと詫びる様子もなく、満面の笑みで皮肉交じりにそう言うと、そのままジークの夢から消える。
「掴み所のない奴だな。あれに俺の心臓と皮膚を支配されているのはちょっと嫌だな」
夢の微睡から覚めようとした刹那にジークはそうつぶやいた。
それから、かつての故郷の街の名前に肖り、ネーデルと名を変えたジークが、今までの自分を思い返しても、今ほど充実した時間は存在しなかった。
二度目の生を得てからを現在までを思い返した騎士は満足げに空を仰ぐ。
彼に警告を放ち続けていた魔竜を犠牲にする事になってしまったが、彼にとっては、自らが弱者の為に剣を振るい続けていることが、かつて犠牲にしてきた人々にも報えることであると、言い切ることが出来ることであった。
「ルシール達傭兵団の仲間と共に、少しでも多くの人間を救える。やっと俺は心の穴を埋めることが出来た」
かつては、より多くの命を救う為に少数の命を切り捨てることまで続け。虚無の騎士とまで呼ばれた。男は、贖罪を求めるかのような戦いの果てに自らの本当にやりたいことを見つけることが出来た。そして【ネーデル】としての戦いはこれからも続くことであろう。
終わり
どうもドルジです。
ついに竜血の騎士は完結しました。
私は今まで人は何のために戦うことを続けてきていたのかを考えてきていました。幼少期は血を流すことは悪だとよく教わり続けました。しかし「実際にそこまで小奇麗に世界は回るのか?」「極端な話、自分の家族や仲間が殺されるかもしれない状況で自分の命恋しさに逃げるのが正しいのか?」と考え続けていました。
そんなときにこの小説を書き始めました。体は鋼のごとく固い皮膚を持ちながらも心は繊細な騎士に私は「自分のこうありたいという理想」を投影していた部分があったのかもしれません。
この小説を読んで少しでも何かを感じてくださることがあれば幸いです。未熟ながらも何かしらの長めの連載を書ききれたことは、私自身幸いだと思います。