1:その呪いは「人違い」
薄暗い森の中を、私は一人、必死で駆けていた。
「正体不明の何か」に追われていたからだ。
この森には、「断罪の森」という通名がある。
昔、王国に仇なし軍に捉えられた者は、ここに連れてこられ、処刑されたそうだ。
そんなことを思い出し、身震いする。
もう少しで日が落ちる時間だ。なんとかそれまでに、この森を脱け、逃げ切りたい。
――ガサッ
後ろから不気味な音が聞こえる。
が、私はバスケットの中身が落ちないかどうかだけを気にしつつ、前を見て、走る。
泥はねも、靴の汚れも気にならない。
――ガサガサッ
またもや音が聞こえる。
その物音は、徐々に私に近づいてきている気がした。
野獣だろうか。
にしては、何か様子がおかしい。とてつもなく禍々しい気配を纏っている気がするのだ。
こういう時、戦うすべのない自分が情けなくなる。
そう、私には自らを守る手段がない。
お父様や妹のリネットであれば、獣など魔術で一撃だろう。けれど、私に魔術は使えない。魔力自体は持ち合わせているらしいのだけれど、それを全く具現化できないのだ。
怪しげな音が響くにつれ、私の鼓動は早まる。焦りで頭がいっぱいになる。
しかし、そんな気持ちとは裏腹に、体力はどんどんと削られている。
当たり前だ。
長い道のりをずっと駆けているのだから。徐々に足取りはおぼつき、呼吸は荒くなる。
と、その時だ。
木の根につま先をとられ、私は地面にドサリと倒れ込む。
とっさに手をついたものの、ワンピースは泥まみれ、膝にも鈍痛が走った。
そっと上半身を起こし、手のひらに血がにじんでいるのを確認した、その時だった。
「やっと追いついたよ~」
突然の声にすぐさま振り向く。
茂みが騒々しくうごめいた次の瞬間、木々の間から現れたのは、やはり獣ではない。
黒いローブをまとった「人」だった。
深くフードをかぶっているため口元しか見えないが、声から判断するに、男性のようだ。
その姿を見た瞬間、私は、すさまじい寒気を感じた。
「お嬢様のくせに、足早いねぇ~。さすがはアルハイム家の娘だ」
私の前に立ちはだかった男は、ニヤリと口角を上げながら私を見下ろした。
「キミ、ゼスト・アルハイムの一人娘、リネット・アルハイムだろう?」
そう問いかける彼に、私はとっさに、「違います」と言わねば、と思った。
私の名は、『コレット』です。
『リネット』は、私の妹です。
アルハイム家には、娘が二人いるのです。
が、魔術師の家系に生まれたにも関わらず、魔術が使えない私の存在は、世間に公表されていないのです、と。
しかし、そう言ってどうなるだろう。
私がリネットじゃないからといって、彼は私を見逃すだろうか。
いや、たぶん見逃さない。私を始末した後、本物のリネットを狙うはずだ。
一家の大事な跡継ぎ、リネットに危害が及ぶこと、それだけは、避けなければならない。
そんな風に逡巡していると、男は急に高笑いを始めた。
「ハハハ、『なんで、私のことを知っているの?!』って顔だなぁ。
まぁ、驚くのも無理はない。
仕方ない、せめてものはなむけに教えてあげるよ。
俺は、キミの父、ゼスト・アルハイムの永遠のライバル、エドガー・ロウだ!!!!!」
そう言って彼は、自らのローブを勢いよく脱ぎ捨てる。
薄紫がかった、柔らかいくせ毛。小さな円形の眼鏡の奥には、細いスミレ色の瞳が輝いている。
お父様のライバル、というわりには、年齢は一回り下くらいに見えた。
(この人……どこかで、見覚えがある)
そうは思ったが、どこでだったか思い出せない。
お父様の永遠のライバル、と自身で言っているから、父が魔術学会関係で屋敷に招いた内の誰か、なのだろうか。
ぽかんとしながら黙って彼を眺めていると、エドガーと名乗る彼は、前に身を乗り出した。
「って、おいおい!!無反応かい?お嬢ちゃん。ほら、父親から聞いていないかい?俺の名を!」
「……聞き覚えは、ありません」
恐る恐る声をこぼすと、エドガーは頭を抱え、膝から崩れ落ちた。
「なんだと!あいつはライバルであり天才呪術師でもある俺の名を、娘に告げていないのか?」
そう叫び、一人で頭を抱えるエドガー。
悔しがる彼を、私は放心状態で眺めていた。
私の身に、危険が迫っていることには変わりがない。
現に、足は震え、中々立ち上がることができない。
しかし、なんというか。このエドガーという人、どうも挙動が大きすぎる。
ふざけている、とまでは言わないが、緊張感に欠ける人物であることは確かだった。
今の隙に、逃げるべきだ。
冷静さを取り戻した私は、血のにじむ手のひらを地面につき、よろよろと立ち上がった。
そして、転んた勢いで落としたバスケットとその中身を拾い、一人でうめく彼に背を向ける。
が、その瞬間。
「おっと、逃がしはしないよ?」
声と同時に、私は足裏の違和感に気がつく。
(足が、地面から離れない?)
何度も膝や足首を動かす。
が、そこは微動するものの、足が全くもって上がらない。
まるで、地面に足が張り付いたようだ。
「どぉ?驚いた?これが『呪術』の力だよ」
いつの間にか、私の正面に来ていたエドガーが、顔をのぞき込んでくる。
私は「どういうことですか?」と震える唇を動かす。
「呪術は無限だ、ということだよ。魔術は、魔力を火や雷に変換し、皮膚から放出する、程度のことしかできないでしょ?
だけど、呪術は人の感情を源にしているから、変換の形が無限なんだよ。人のイマジネーションの数だけ、様々なことができる。
なのに、呪術なんておとぎ話だ、なんて言って、キミの父親も、国も、魔術学会も、俺の研究に見向きもしない。だから、思い知らせたいんだよ。呪術の可能性を。キミの身体でもって、ね?」
そう言うと、エドガーは私の顎を指先で持ち、軽く上げる。
おのずと彼と目線が合う。
瞬間、私は思い出した。
彼の顔を見たのは、絵画の中。お父様の魔術学校卒業時に描かれた記念画。
確か、書斎に飾られているものだ。絵の中で、父は背筋を伸ばし、皆の中央で堂々と笑んでいた。
一方、エドガーらしき青年は、父の陰に隠れながら、横目で父をにらんでいた。
つまり彼は、何かしらお父様に恨みを持つ人物なのだろうか。
「……殺すのですか?私を」
か細い声で尋ねた私に、エドガーはチッチッと、人差し指を振る。
「そんなことはしないよ。キミに恨みはないからね。
俺のターゲットはあくまで君の父、ゼストだから。
俺はね、ゼストが馬鹿にしていた呪術の偉大さを知らしめ、奴を跪かせたいんだよ。
殺人なんて簡単なこと、魔術でもできるだろう?それじゃあだめなんだ。
俺はキミに、呪術でしかなし得ない『呪い』をかけて、呪術と俺の偉大さを、ゼストや魔術学会の奴らに教えてやりたいのだよ。だからさ、もっと呪いっぽいことをしなくちゃ。例えば、こんなふうな」
そう言って、彼がニヤリと口をゆがめた瞬間、彼の指先から、ねずみ色の光が発せられた。
そのまぶしさに、私は思わず目を閉じる。
と同時に、体中を悪寒が駆け巡る。それはただの「寒気」ではなく、何かとてつもない、禍々しい重さをまとったものだった。
胸から吐き気がこみ上げてきて、手で口を覆う。
が、なぜかいつもより、関節の動きが、鈍い。
「……なんだ?いつもより効きが弱いな?くそっ」
エドガーは何かをつぶやきながら、さらに強い光を私に放射した。
と、その瞬間、意識が途切れそうになる。
同時に足がもつれ、私は地面に倒れ込んだ。
なんとかしなければと薄目を開けると、そこにあったのはエドガーの足先だった。
彼は「思ったより手間取ったな」などと言いながら、乱れた呼吸を整えている。
そして、ふぅと大きくため息を付いた後、再び口を開いた。
「この森は、断罪の森と呼ばれているね。まさに、俺の所業にふさわしい名だ。
父親の断罪に娘の君を巻き込むのは申し訳ない気もするが、ま、仕方ないだろう。
でも、こんな断罪の仕方、処刑好きで有名なルドルフ公でも思いつかない。
そのくらい斬新なんだよ?呪術というものは」
彼の声は弾んでいる。どうやら、彼の「呪術」は成功したようだ。
だけど、今現在、私自身の身に何が起こったのか、私は見当も付かない。
エドガーはしゃがみ込むと、私の顔を覗き、微笑みかける。
「本当にごめんね、リネット嬢。
何の罪もないキミを巻き込むのは、正直、優しい俺にとっては心が痛むことなんだ。
だけど、それもすべて、悪いのは、キミの父、ゼストだよ。
もし、俺が呪いを解かなければ、キミはこれから、一生この姿のままだ。悪いけれど、ね」
そして、スッと立ち上がり、高らかに叫ぶ。
「さぁ、リネット嬢。今からキミがすべきことは、ただ一つ。
アルハイムの屋敷へと帰るんだ。
そして、自身の姿を、父に見せつけろ。感のいいゼストなら気がつくはずだ。
キミが誰であるかも、なにが原因でそうなったのかも、その犯人も。
そうすれば、奴は愛娘の呪いをなんとかするべく、俺の住む『混沌の沼地』を訪れざるを得ない」
そして笑いを漏らし「楽しみだな。奴がどんな顔をするのか。そしてどんな顔で、俺に縋り付くのか」
と言い残すと、彼は、ローブの裾を翻し、鼻歌を歌いながら去って行っていった。
皆さま、初めまして。麦野猫ほなみと申します。
「小説家になろう」様での連載は、こちらの作品が初めてです。
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