23 女王の霊
深夜。
巨大河イシュア。
月明かりだけが水面を照らしていた。
王都は静かだった。
遠くで犬が鳴く。
風が葦を揺らす。
そして。
「のだぁ……」
河辺にはいつもの銀髪男。
レイ。
相変わらず変わらない姿。
数百年経とうが、
何も変わらない死神。
だが。
最近のレイは本当に静かだった。
掃除はする。
発狂もする。
だが。
時々こうして河辺へ来て、
ボーッとしている。
王都民はそれを。
『魔王様の黄昏モード』
と呼んでいた。
◆
「……帰りたいのだぁ」
レイは河を見ながら呟いた。
最近ずっと同じだった。
冥界。
魂河。
静かな場所。
女王。
考えるたび。
胸が変な感じになる。
嫌だった。
死神なのに。
死をこんなふうに感じるなんて。
「のだぁ……」
その時だった。
――サァァァ……
風が変わった。
レイがピクリと動く。
「……のだ?」
静かな霊力。
懐かしい匂い。
清潔な魂の気配。
レイはゆっくり振り返った。
そして。
止まった。
「…………」
河辺。
白い衣。
長い黒髪。
透き通るような魂の姿。
女王ネフェルセトが立っていた。
「…………」
レイの瞳から光が消えた。
「…………」
「…………」
「のだぁ?」
女王は少し困ったように笑った。
「久しいな」
レイ、硬直。
数秒後。
「のだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
河が揺れた。
魚が跳ねた。
王都民が飛び起きた。
「また魔王だァ!!」
レイはものすごい勢いで転がりながら女王へ突撃した。
「うわぁぁぁぁぁぁん!!!!
のだぁぁぁぁぁ!!!!
お主ぅぅぅぅぅ!!!!」
そして。
途中で止まった。
「…………」
「?」
レイが震えている。
「……のだぁ」
「何だ」
「幽霊なのだぁ?」
「そうだ」
「…………」
次の瞬間。
レイの顔が輝いた。
「清潔なのだぁぁぁぁぁ!!!!」
第一声がそれだった。
女王が吹き出した。
「お前、本当に変わらんな……」
「だってぇぇぇ!!!
魂なのだぁ!!
腐らないのだぁ!!
汗かかないのだぁ!!」
レイは感動していた。
本気で。
「綺麗なのだぁぁぁ!!!
最高なのだぁぁぁ!!」
女王は笑いながらため息をつく。
「再会の第一声がそれか」
「重要なのだぁ!!」
レイはもう泣きながら笑っていた。
ボロボロだった。
「お主ぅ……
会えないと思ってたのだぁ……」
「余も来るのに苦労した」
女王は河を見る。
「幽霊が人間界へ戻るのは大変らしい」
「のだぁ?」
「何十年もかかった」
レイが止まる。
「…………」
「…………」
「のだぁぁぁぁぁ!!!!」
また泣いた。
「ごめんなのだぁぁぁ!!!
吾輩、永久追放なのだぁぁぁ!!!」
「知っている」
「帰れないのだぁぁぁ!!」
「知っている」
女王は静かに笑った。
「だから来た」
レイの顔がぐしゃぐしゃになる。
「うぇぇぇぇぇぇん!!!」
そして。
レイは恐る恐る女王へ近づいた。
「……触っていいのだぁ?」
「今さらか」
「お主、昔は肉体だったのだぁ……」
「今は魂だ」
「のだぁ……」
レイはゆっくり手を伸ばした。
魂の手。
冷たくない。
臭くない。
汚くない。
静かな霊の感触。
レイはまた泣いた。
「綺麗なのだぁ……」
女王は困ったように笑う。
「お前、本当にそればかりだな」
「だってぇぇぇ……」
レイは女王の手を握ったまま座り込む。
「吾輩、人間界もう嫌なのだぁ……
ずっと臭いのだぁ……
ずっと掃除なのだぁ……」
「ちゃんとやっているではないか」
「嫌々なのだぁ!!」
「知っている」
女王は河を眺めた。
昔より王都は美しい。
静かで、
清潔で、
病も少ない。
全部。
この死神のせいだった。
「……余の国は」
「のだ?」
「まだ続いているぞ」
レイは少しだけ嬉しそうな顔をした。
「のだぁ……」
「お前が残したものもな」
「吾輩、別に残したくてやったわけじゃないのだぁ」
「それも知っている」
しばらく二人で河を見る。
静かだった。
昔みたいに。
◆
その時。
レイが急に真顔になる。
「のだっ」
「何だ」
「歯見せるのだぁ」
女王、吹き出した。
「死んでも確認するのか」
「重要なのだぁ!!」
女王は笑いながら少し口を開けた。
魂だから完璧だった。
レイが感動する。
「綺麗なのだぁぁぁぁ!!!!」
「本当にお前は……」
女王は笑い続ける。
死んでから初めて。
こんなに笑った気がした。
◆
夜が更ける。
幽霊は長く留まれない。
女王の姿が少しずつ薄くなり始めた。
レイが気づく。
「のだぁ?」
「時間らしい」
「嫌なのだぁ!!」
「また来る」
「本当なのだぁ!?」
「努力する」
レイは涙目だった。
「絶対なのだぁ!!」
「……善処する」
「のだぁぁぁぁ!!!」
女王は最後に。
昔みたいに。
そっとレイの銀髪を撫でた。
「……お前は、少し人間を嫌いすぎだ」
「だって臭いのだぁ」
「ふふっ」
女王は笑った。
そして。
ゆっくり消えていく。
「のだぁぁぁぁ!!!
また来るのだぁぁぁ!!」
「……ああ」
最後に残ったのは。
静かな魂の気配と。
河の音だけだった。
レイはしばらくその場に座っていた。
そして。
数百年ぶりに。
本当に嬉しそうに笑った。




