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冥界第七管理局・東方輪廻支部。
そこは死者の魂を整理し、寿命を迎えた命を適切に回収し、輪廻の流れを管理するための巨大官庁であった。
永遠に続く灰色の回廊。
天井には青白い鬼火。
壁一面に並ぶ無数の時計。
そして――。
「のだぁあああああああああああああああああ!!!!」
廊下のど真ん中で、巨大な鎌をぶん投げた銀髪の死神が、四つん這いで床をバンバン叩きながら泣き叫んでいた。
「減給だけは嫌なのだぁあああ!!ボーナス下げないでなのだぁあああ!!吾輩、先月もサボったから家賃払えないのだぁああああ!!!」
冥界中に響く情けない絶叫。
通りすがりの下級死神たちは無言で目を逸らした。
「また始まった……」
「月末恒例ですね……」
「今回は何をやらかしたんです?」
「担当案件を百二十七件放置」
「うわぁ……」
書類を抱えた死神たちがヒソヒソ話しながら高速で通り過ぎていく。
その中心で。
「レイ!!!!!!!!」
雷鳴のような怒声が響いた。
冥界第七管理局・特級監察官。
黒い軍服を着た長身の女死神――イリゼアが、こめかみに青筋を浮かべて立っていた。
背後では黒炎がメラメラ燃えている。
「貴様ァ!!!! また寿命回収を後回しにしたな!!!!」
「の、のだぁ……」
レイは涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔を上げた。
超絶美形である。
それなのに情けなさが全てを台無しにしていた。
「だ、だってぇ……移動が遠かったのだぁ……」
「は?」
「雪山まで行くの面倒だったのだぁ……。寒いしぃ……。しかも対象が山奥の老人だったのだぁ……。どうせ逃げないのだぁ……」
「それで三ヶ月放置したのか!!!!」
「のだぁっ!!」
イリゼアは頭を抱えた。
周囲の死神たちも真顔である。
死神の仕事は絶対である。
寿命を迎えた魂を適切に回収しなければ、世界の均衡が狂う。
普通の死神なら恐怖と責任感で絶対に遅延など起こさない。
だが。
レイは違った。
根本的に怠惰だった。
「しかも何だこれは!!」
イリゼアは大量の書類を床に叩きつけた。
バサァッ!!
「“対象が寝ていたので起こすの可哀想だから延期”!?」
「“雨が降っていたので延期”!?」
「“犬に吠えられたので怖くて延期”!?」
「“対象が結婚式中だったので空気読んで延期”!?」
「“今日は疲れてるから明日でいいや”!?!?」
「のだぁあああああ!!読むななのだぁあああ!!恥ずかしいのだぁあああ!!」
「全部貴様の報告書だ!!!!」
レイは床をゴロゴロ転がった。
「だってぇええ!!面倒なのだぁあああ!!命を刈るのって重労働なのだぁあああ!!移動してぇ!待機してぇ!説明してぇ!魂を運んでぇ!書類書いてぇ!判子もらってぇ!意味わからないのだぁああ!!」
「それが仕事だ!!!!」
「のだぁああああん!!!」
レイは泣きながら自分の鎌に抱きついた。
巨大な黒鎌には『怠惰絶対反対』と書かれた札が何枚も貼られている。
もちろん上司が貼った。
「そもそもぉ……寿命ってもっとふわっとしてればいいと思うのだぁ……。明日でも来月でも誤差なのだぁ……」
「誤差ではない!!!!」
イリゼアの怒号で壁が震えた。
「貴様が回収を遅らせたせいで世界各地で霊障が起きているんだぞ!!」
「のだっ?」
「本来死ぬはずだった老人が三ヶ月生存」
「↓」
「遺産相続が止まる」
「↓」
「親族同士で大揉め」
「↓」
「一家離散」
「↓」
「怨霊化」
「のだぁ……?」
「さらに!! 本来事故死する予定だった盗賊を貴様が放置したせいで、そいつが盗んだ馬車が橋から転落!! 予定外の死者が十四人!!!!」
レイは青ざめた。
「のだぁ……十四人……?」
「貴様のせいで書類が十四倍だ!!!!」
「そっちなのだぁ!?!?」
イリゼアは机を叩いた。
「当然だ!!!! 冥界は書類社会だぞ!!!!」
「最低なのだぁああああああ!!!!」
レイは絶望した。
死神になって三百年。
未だに書類文化に適応できていなかった。
「しかも貴様!!」
イリゼアはさらに紙束を突きつけた。
「対象の魂回収中にサボって賭博場へ行ったな!?」
「のだっ!?」
「“あと五分くらい大丈夫だろ”と言って酒場に入った結果、対象が寿命直前に崖から落ちて魂の位置がズレた!!」
「うぅっ……」
「捜索班が二週間徹夜したんだぞ!!!!」
「のだぁ……だってぇ……スープが美味しそうだったのだぁ……」
周囲の死神たちが一斉にため息をついた。
「あいつ本当にクズだな……」
「でも顔だけはいいんだよな……」
「営業スマイルだけで魂回収率トップ取った時期ありましたしね……」
「なお継続率」
レイはビクッとした。
「のだぁ!? 継続率は言わない約束なのだぁ!!」
「回収後の書類提出率12%は終わってる」
「のだぁあああああああ!!」
イリゼアはついにレイの胸ぐらを掴んだ。
「聞けレイ。貴様は才能だけなら特級なんだ」
「のだっ?」
「魂回収速度」
「霊力総量」
「空間転移」
「対霊戦闘」
「全部トップクラスだ」
「えっへんなのだっ♡」
「だが勤務態度がゴミだ!!!!」
「のだぁああああん!!」
レイはまた四つん這いになった。
「嫌なのだぁ……真面目に働きたくないのだぁ……。吾輩、楽して生きたいのだぁ……。適当に鎌振ってぇ……帰ってぇ……お菓子食べてぇ……昼寝したいのだぁ……」
「お前は何故死神になった!!!!」
「給料良かったからなのだぁ」
全員が黙った。
あまりにも俗物的だった。
「しかも福利厚生が良かったのだぁ……。住宅補助もあるしぃ……。魂輸送手当あるしぃ……」
「貴様ァ……」
「あと死神ってモテそうだったのだぁ!」
「減給三ヶ月」
「のだぁああああああああああ!!!!!!」
レイは絶叫した。
「嫌なのだぁ!!吾輩、美容代かかるのだぁ!!高級トリートメント使えなくなるのだぁ!!」
「知るか!!!!」
「のだぁあああ!!黒羽根用オイルも高いのだぁ!!翼パサパサになるのだぁああ!!」
イリゼアは深呼吸した。
怒りすぎて頭痛がしてきた。
「……最後のチャンスをやる」
「のだっ?」
「今日中に未処理案件を全て終わらせろ」
「えっ」
「終わらなければ半年減給」
「のだぁ……」
「さらに寮追放」
「のだぁあああああああああ!!!!」
レイはものすごい勢いで立ち上がった。
「やるのだぁ!!働くのだぁ!!吾輩、超働くのだぁ!!」
さっきまで泣いていたのに現金だった。
黒い翼をバサァッと広げる。
その瞬間。
冥界が震えた。
膨大な死霊力。
空間が歪む。
周囲の死神たちが息を呑んだ。
「……やっぱスペックだけは化け物なんだよな……」
「本気出すと早いんだよな……」
「本当に勤務態度だけなんだよ……」
レイは鎌を拾った。
「のだぁ!!行くのだぁ!!お給料を守るのだぁあああ!!」
次の瞬間。
ドゴォォォン!!!!
超高速で飛び去った。
廊下が爆散した。
「待て貴様ァ!!窓を使うな!!!!」
イリゼアの怒声が響く。
だが遠くからレイの声が返ってきた。
「のだぁあああ!!経費で直してなのだぁああああ!!!」




