2話 ようこそ
「終点……異瀬横だって?」
そんな駅聞いたことない。
しばらく列車の中で右往左往していたが、扉は開いたまま停止している。ここに居座っていても事は進まなそうだ。
深呼吸を一つして、俺は列車から出た。
そこに広がっていた景色は――異様、としか言えないものだった。
ごちゃごちゃとした建物がどこまでも続いている。昭和レトロ、と言うべきなのか、異世界ファンタジー、と言うべきなのか。しかしネオンが輝く看板も飾られていて、文化というものが何一つ見えなかった。
恐る恐る歩を進めていく。背後からがらがらという音が聞こえたので振り返った。
ドアが閉まり、列車が――空を飛んでいった。
「は……」
たくさんのパイプからもくもくと蒸気が出ていた。
不可解なことが立て続けに起こると、逆に冷静になる。
こういう作品はいくつか見てきた。主人公が全く別の世界に迷い込む、みたいなやつ。もしや、それが現実に起きたというのか。
そして残念なことに、その手の物語で帰還するのにかかる時間は大体年単位である。
(入学式、絶対間に合わない……)
ただ、帰ったら迷い込んだ時とまったく同じ時間に戻るというのもあり得る。その希望を抱くしかない。
改めて辺りを見渡す。
列車で来たので当然だが、ここは駅のようだ。ならば駅員か何かがいるはずである。……交通費を取られることになったらどうしよう。
出口はどこかと探すと、これ見よがしな矢印があった。複数の電球がチカチカと光っている。
頼るものはこれしかなさそうなので、それに従うことにした。
どこもかしこも張り紙だらけである。「TTコープ」とかいう会社のものとか、何かの祭りのものとか。
全て未知の言語で書かれているというのに、不思議と内容が頭に入ってくる。知識を無理やり頭に捩じ込まれているみたいで不快だった。
すると、窓口のようなものが目に入った。台にはベルが置かれていて、「御用のある方は鳴らしてください」と書かれている。助かった、ひとまず人はいるようだ。
ほっとため息をつき、呼び鈴のてっぺんを押した。チン、と高い音が響く。
「す、すいませーん……」
出てこないのでは、とドキドキしていたが、しばらくすると「はいはーい」という気さくな声が聞こえてきた。普通の人間の声で安心した。
窓のシャッターががらがらと開く。そして――
「はいはい、何かありましたかね」
――出てきたのは、車掌帽子を被った提灯だった。
「うわっ!?」
「へ? うわ!?」
壁に背中を打ちつけた。なぜか向こうも腰――腰があるのか分からないが――を抜かしている。
CGでも、着ぐるみでもない。手のひらサイズのそれが、生き物のように動いている。喋っている。
「あ、ちょっと! お客様!」
思わず走り出していた。列車から降りた時に多少覚悟はしていたが、実際にあんな非現実的な物体を見たら恐ろしくなった。
矢印通りに駅を無我夢中で走る。改札は無かった。走っている間にも、信じられないような化け物がそこら中にいた。雪男みたいなやつとか、ワンピースを着たラジオとか。
「え? あれって……」
「マジで? 珍し」
俺を見て、怪物がそんなことを口々に言う。みんな流暢な日本語を喋っている。
これはヤバい。本能がそう言っていた。
屋根を抜けて、開けた場所に出た。――しかし、異常から逃れる事はできない。
空には巨大な生き物が飛んでいて、街ゆく人々は「人々」なんて言葉で表現していいのか分からないような化け物だ。
足が震えるのが分かる。人間の身体をしているのは俺だけだ。身を縮めて、柱の裏に隠れる。
「やばいやばい、これどうしたら……」
胸を押さえて、カバンの中の持ち物を確認した。
スマホ、財布、イヤホン、家の鍵。本を買いに行くだけだったから荷物が少ないし、カバンも小さい。他にあるものは古いキャンディくらいだ。
柱の影から辺りを見る。
行き交う怪物たちはみんなバラバラだ。中世ファンタジーに出てきそうなやつもいれば、マスコットホラーみたいなやつもいる。
「なんなんだよ、この世界」
神々、と言うには神性がないように思う。もしこの世界が漫画なら、全員画風が違う感じだ。
人間をとって食うみたいな価値観だったらどうしよう。
「どうしてこんなことに……」
自分でもかなり誠実に生きてきた自信がある。ちゃんと勉強して努力したし、提出物の点だって良かったはずだ。
こういうのは「転生したい!」という願いを抱く人に訪れるべき天災である。
(うだうだ考えてても解決しないか……でもどうしたらいいんだよ!)
多分、思い切って「ここどこですか」と聞くのが一番手っ取り早い。相手に食人嗜好が無ければの話だが。
初対面の人間に話しかけるのは得意だが、それとこれとはわけが違うのだ。
三角座りをしてさんざん俯いた後、頬を叩き立ち上がる。起こってしまったからには解決するしかないのだ。
柱から顔を出し、ヒト混みの中に突入する。闇雲に話しかけたら頭からいかれるかもしれないので、人を食べなさそうな化け物を吟味した。
……気のせいか、じろじろ見られている気がする。この目線は味わったことがある。前に足を折って松葉杖をついていた時に感じた目線だ。つまり、好奇の目。気にすることはない。
(あれは絶対人間食べるし、あれも食べる。あれは――)
「わっ」
ふいに、何かにぶつかった。人体の柔らかさを感じる。
一言謝罪をして前を見ると、オレンジ色の海外の囚人服のようなものを着た女性の身体があった。身長はありえないほど高い。
しかし、運が良かった。自分以外にも人がいた。
「あの、すみませ――ひっ!?」
見上げると――頭が人間ではなかった。
四角い、バグったみたいなホログラムが浮かんでいた。赤い文字で「検閲済」と書かれている。
「む? なあ、オマエ――」
「すみませんでしたー!」
手を伸ばされたが、すぐにその場から離れることにした。やはりここに人間はいない。
「あっ、待て!」
(え? なんで追いかけてくるの?)
モニター頭の囚人が走って後を追ってくる。ぶつかったことは悪かったが、わざとではないのだ。
そろそろ息が切れてくる頃だ。まずい、あの長身だとすぐに追いつかれてしまう。
化け物たちを押し退けて走る。元より運動する方ではない。こんなに走ったのは持久走以来だ。
「すみません! 悪気はなかったんです!」
「ちが、そっちに行くな!」
何かを言っていた気がするが、こっちはそれどころではない。いきなりこんなところに迷い込んで、いきなりナニカに追いかけられているのだ。
化け物に見られながらがむしゃらに走る。足元からぎしり、という音が鳴った時、ホログラムの女が言った。
「それは"飛べるやつ"用だ!」
「え?」
足元の、翼が描かれた木の板がパカッと開いた。なんでこんな所に落とし穴が――
「へぶっ!?」
――気がつくと、俺は空を飛んでいた。
正確には、空に飛ばされた。何が起こったのかは分からない。ただ、そうなったのだ。
これは死ぬ。思い出が走馬灯のように流れていく。
高校に入るために勉強して、成績を上げるために勉強して、大学に入るために勉強して……
まずい。碌な記憶がない。せめて死ぬなら永和大学生として死にたかった。
「いでっ」
地面に衝突した後も、なお意識があった。この後段々と薄れていくのかと身構えていたが――風が全身に当たる。
それに、やけに冷たい。目をゆっくり開けてみると、目の前に鱗が広がった。
「ど、どうなって……はあ!?」
真下にいたのは、鯉のような巨大魚だ。しかもなぜか空を飛んでいる。それを自覚した途端、足が震え出した。
魚も俺に気がついたようで、ぶんと身を捩った。
「わ、わ、マジでいい加減にっ……しろよっ!」
薄い背びれを必死に掴む。この際、これの正体なんてどうでもいい。とにかく死なないことが第一だ。
俺は運動が特別得意なわけではないが、器用な方だと自負している。背びれを畳みながらよじ登り、てっぺんに跨る。
姿勢は安定した。しかし、これからどうしろと?
飛び降りることができる高さではない。普通に死ぬ。ここからでは助けも呼べない。
頭が真っ白になって途方に暮れた時、巨大魚がまっすぐ泳ぐのをやめて、ぐん、と身を丸めた。嫌な予感がして口端がひくひく動く。
「それはまず――ひいっ!?」
巨大魚はスピードを増して泳ぎ始めた。俺を振り落とそうとしているのだろう。
残念なことに、この暴風の中踏ん張れる力は俺にはない。つまり、詰みである。
死を本当に覚悟したその瞬間、パーカーのフードが掴まれた。苦しいが、おかげで落ちずに済んだ。
一体何に掴まれたんだ、と見ると――そこには、囚人服の怪物が巨大魚の上に立っていた。赤い手が俺を支えている。
「さ、さっきの! 何で!?」
「死んじゃうと思ったから」
モニターの女はフードから背中の部分に持ち替えた。ぷらぷらと四肢が揺れる。彼女が手を離したら死ぬだろう。
彼女は何を思ったのか、暴れる巨大魚の上を歩き始めた。常人離れしている技術に身惚れている場合ではない。
「死ぬ! 本当に死んじゃいますって!」
「死なない。保証する。多分、きっと」
「きっとって何なんですか!? わ、うわっ!」
囚人は走り出した。ふざけるなと言いたかったが、彼女の機嫌を損ねそうなことは言えない。
「な、何して……!」
「舌噛むぞ」
そう言われて口を閉じた。今は、彼女がどうにかしてくれることを祈るしかない。
とうとう魚の頭までやって来た。近くで見るといっそうグロテスクである。モニター囚人はそこでしゃがみ、巨大魚に話しかけた。
「魚子、私だ。勝手に乗ってすまない」
彼女が言ったのはそれだけだった。この魚、もしや言葉が通じるのか? 期待したが、魚子と呼ばれたそれは止まらない。変化無しだ。
「ちょっと、聞いてませんよこれ」
「……むう。仕方がないか」
魚が止まらないと分かると、彼女は右手をすっと上に掲げた。指をまっすぐ広げ、チョップの形を取っている。
「あ、ちょ」
腕が魚に向かって振り落とされた。
ズドン、という凄まじい音が鳴った。魚は吹っ飛び、隣の建物に激突する。凄まじい衝撃で体が持っていかれそうだった。
「バッカ……!」
思わずそんな言葉が出た。だって仕方ない。こんな怪力を持つなら他の解決方法もあっただろうに。
魚はなお空に浮かんでいるが、くるくる目を回していた。空に停止している状態である。俺も三半規管を刺激されて少し吐きそうだ。
「じゃ、降りるぞ」
巨大魚が止まると、彼女は俺を抱えて飛び降りた。体がヒュンとなって、思わず彼女の体にしがみついた。
ずっしりとした衝撃が背中に伝わる。目を開けると、そこは既に地面だった。周囲の人々はぱらぱらと破片が落ちる建物を眺めている。ヤバい、あれ修理費とか請求されたらどうなっちゃうんだ。
「なあ」
「はい!?」
「検閲済」の文字が眼前に広がる。首なしだというのに、彼女がこちらをじっと眺めているのが分かる。
顔を背けるが、その分彼女は俺に顔を近づける。逃げ場なんてなかった。
「オマエ、まさか地球ユーザーか?」




