幕間 ライラとアイリス
屋敷からの脱出の準備を整え、朝までの時間を持て余していた時のこと。ライラはふと思い出して、しまい込んでいた指輪を取り出して手に乗せる。
「おまえ、この指輪に心当たりは?」
ライラが差し出した指輪をアイリスはじっくりと観察した後、首を横に振った。
「いえ、存じ上げませんね」
「そう……おかしいわね」
これはアイリスの遺品だったはずなのに、本人が知らないとは。一体どこから出てきたものなのだろう……そう思って指輪を見つめたライラの脳裏に、ふと同じようなものを見た記憶が浮かんでくる。
『わたくしが死んだら、これはライラに……』
風に舞う銀髪と、細くて白い指。穏やかな日差しを受けて赤い目が、キラキラと輝いていた。その指にはまっている、虹色に輝く銀の指輪。母が亡くなってから輝きを失くしたそれを、幼い頃に手に取った時があった――ような気がする。
「まさか、これはお母様の……?」
思わず呟いたライラの声を聞きつけたのか、アイリスが首を傾げた。
「ライラ様のお母様は、どんな方なんですか?」
唐突な問いに、ライラは答えに詰まる。
「……幼い頃に亡くなられたから、あまり覚えていないわ」
さきほど思い出したおぼろげな記憶が、実際にあったことなのかもわからない。自身の髪色が母譲りであることと、皇族の血族として受け継いだ赤い目をしていたことは、遺された肖像画で知っている。
母――アリシアは、一体どんな人物だったのだろうか。
「お辛いことを思い出させてしまいましたか?」
その声に目を向ければ、アイリスが眉尻を下げてライラを見ている。まさか同情でもされているのだろうか。そんなことはライラの矜持が許さないので、腰に手を当て胸を張る。
「わたくしは完全無欠よ? 身内の不幸さえ、わたくしを損なわないわ」
「……そうですね。ライラ様は、本当にお強いです」
眉尻を下げたまま、アイリスが微笑む。この女と話していると、どうにも調子が狂う。心の中を見透かされているような奇妙な気持ち……そういえば、最初からそうだった。
「おまえ、なぜわたくしが未来から来たことに疑いを持たなかったの?」
疑われたら大いに憤慨していた自信はあるが、疑問を持たれてもしかたがない状況であったはずだ。しかしアイリスはまるで心を見透かしたかのように、ライラのことを信じた。
なにかよからぬ力でも持っているのでは……と半目になるライラに、アイリスは笑う。
「簡単ですよ。ライラ様が『息子の名前はアレクだ』とおっしゃったからです」
アイリスは少女のような表情で「女の子ならフィリア、男の子ならアレクにしようと昔から決めていたので」と手を合わせる。なんだ、馬鹿馬鹿しい……ライラはまたも拍子抜けしてふうとため息を吐いた。
「そんなことで他人を信じるなんて、おまえは本当に愚かね」
「そう言って、信じなかったらお怒りになるんでしょう?」
「当然じゃない。わたくしを疑うなんてあり得ないわ」
自信満々に言い放つライラに、アイリスは「やっぱり」と楽しそうに手を叩く。またも見透かされたような気持ちになり、眉を寄せたライラは「おまえ、生意気よ」とアイリスを睨みつけた。
「おまえ、本当に生意気よ」
話しかけても返事はない――相手は墓石なのだから、それも当然だ。
今度こそ家の荷物を整理するというアレクについて町にきたのは、文句を言うためだった。ライラの言いつけを破ったのだから、叱りつけてやらなくてはならない。アイリスはそれでも微笑んでいそうだが……。
「勝手に死んだら許さないって、言ったじゃない」
微笑むばかりの女は、やはり嫌いだ。皇后の座をかすめ取った、狡猾な女がそうだったから。アイリスも同じだ。穏やかに微笑んでおきながら、とんでもなく強情で言うことを聞かない。
嫌いなはずなのに……アイリスの最後の微笑みが、まだ記憶から消えてくれない。
ライラの記憶に残るだなんて、そうできることではない。無害そうなふりをしておきながら、なんて不遜な女だろうか。フンと鼻を鳴らして踵を返すと、ちょうど男が一人歩いてくるところだった。
「おや? お嬢さん、アレクは一緒じゃないのかい」
アレクが「ヒポさん」と呼んでいた男だ。こうして見てみると、その間抜け面に残る面影には見覚えがある。ライラが過去で雇っていた、あのギャーギャーとうるさい御者の男だ。
御者はライラの言葉通りアイリスを送り届け、ずっと見守ってきたのだろう。
「大儀だったわね」
すれ違いざまにライラが声をかけると、男は「……へ?」と間抜けな声を上げた。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
4月中には3章の学院編をはじめる予定です。
ブックマークをしてお待ちいただけたら幸いです。




