降臨
「おじいちゃん!」
アルマの悲痛な叫びが神殿内に響く。アルマを庇って背中に重傷を負ったトマスは、その場に倒れ込み、虫の息でアルマに支えられてる。
「じいちゃん、しっかりしろ!」
ダリルも叫ぶ。
ノエルは治癒魔法でトマスの傷を治そうとするが、かなり傷が深いためか、どんなに魔法を使っても、もう回復させるのは無理だとわかっていた。
しかし、ノエルは魔法をやめようとはしなかった。アーシェも限界以上の力を発揮してロドネスの攻撃を跳ね除け続けている。
「アルマ……無事か?」
苦しそうに顔を歪めつつ、吐き出すように声を出すトマス。そんな祖父の姿に涙を流しつつ答えるアルマ。
「私は無事よ、だっておじいちゃん……おじいちゃんが庇ってくれたんだもの」
「そうか、よかった……」
ゆっくりと微笑むトマス。
「おじいちゃん、しっかりして!」
「……アルマ。ダリル……お前たちが無事に……小さいとはいえ、幸せに暮らして……」
トマスの言葉が途切れる。
「いやぁぁ! おじいちゃん!」
泣き叫ぶアルマ。
「ちくしょう! 目ぇ開けろよ! じいちゃん!」
ダリルも祖父の手を握り、声をかける。まだ息はあるものの、返事はない。
ロドネスは攻撃の手を止めて、この様子を見ていた。ニヤニヤと嘲笑うような嫌な笑みを浮かべて。
しかし突如厳しい顔に戻り、目の前のアーシェに向かって叫んだ。
「クソジジイがなんだぁ? 御涙頂戴の三文芝居とかくだらねえことやってんじゃねえ!」
「なんですって!」
アーシェが叫んだ。
「アーシェとか言ったな? いくら頑張ろうが、お前ごときがこの魔族の力を得た俺様に勝てるとでも思ってんのか、あぁ? 今すぐ皆殺しにしてやろうかぁ?」
「そんなことさせない! もうこれ以上辛い目に合わせたくないもの!」
「どうやって俺に勝つってんだぁ? それとも何か、そのジジイが言ってたように、アンシェラトスにでも助けてもらうってか? そんなもんいるわけねえだろ。ギャハハッ!」
ロドネスの下品な笑い声が響く。アーシェだけでなく、ノエルやダリルまでも、目の前にいる人間を捨てた化け物に憎悪を抱いた。
そんな時、アーシェは何かを決心したような顔をしてつぶやいた。
「――ノエル。私もうやるよ。止めたって聞かないから」
ノエルはそれを聞いて、回復魔法を行使しつつも答えた。
「……しょうがないな、君は。でも、もう僕も止めやしないよ」
「ありがと」
アーシェはニコリと微笑み、その後、空に向かって言った。
「我が主人たる女神レダよ——主の愛するこの大地を汚す、邪悪を滅する力を行使することを許したまえ——」
その後、アーシェは手に持った剣を高く掲げた。
その時、ウィスラーは不穏な気配を感じた。これは非常に不味い。嫌な予感が見事的中してしまったと確信した。
「ロドネス、ここは危険だ。退却するぞ」
「はぁ? おいおい、あんな小娘に何ができるってんだ! 退却って馬鹿か! テメェ一人で逃げろ」
ロドネスはウィスラーを馬鹿にしたような言葉で拒否した。ロドネスは完全に、この老伯爵を見下していた。
「……愚かな。この恐ろしき力を感じられぬとは」
ウィスラーには、とてつもなく危険な力を感じているようだ。そして、ウィスラーはロドネスを残して、密かにこの場を立ち去った。
アーシェの不可解な行動に、怪訝な顔をしたものの、大したことはないと思ったロドネス。しかしこの直後、とてつもなく強烈な力がアーシェから発せられ始める。
「な、なんだ――この凄まじい力は!」
それでもまだ大したことはないと侮っていたが、次第にそれが間違いであったと考えざるを得ないほどになっていく。
「セイントフォーム!」
アーシェが叫ぶと同時にその体が光に包まれる。そして、空中に浮き上がり、着ていた服や道具類が消え、素っ裸になった。
アーシェの裸体は光を放出し、その頭部と腰部に大きな羽が生えてきた。眩いばかりの純白の羽根に包まれ、その神々しさは、まるで神話の中の神を思わせた。
アーシェの体に華麗絢爛な鎧が装着される。
その姿は、まさに神話にある女神レダの代行者「アンシェラトス」そのものだった。
「ま、まさか……」
ロドネスは、目の前の出来事が信じられなかった。この辺りの地方ではよく信仰されている、アンシェラトスの神話など所詮は作り話だと考えていた。どころか信仰する人々を嘲笑してすらいたが、まさか本当に存在するとは。
「な、なんだ……アーシェ……なのか?」
ダリルは、神々しい姿に変貌したアーシェを目の当たりにして、驚きを通り越して呆然としていた。あの陽気な女剣士が、まさか神話に聞くアンシェラトスの姿そのものになってしまうとは。とてもそういう人物には思えなかったが、事実、目の前に存在している。
アルマや他の人々も、その神々しい姿に言葉もない。皆、唖然とし、中には平伏し祈りを捧げる者まで出てきた。
「……おお、ア、アンシェラトスさま――ご、ご降臨なさった――おおっ」
もはや虫の息だったトマスが突如目を開けて言った。神の奇跡だろうか、アンシェラトスの神々しい姿を目の当たりにして、涙を流していた。幼少時から信仰し、その降臨を願い続けたトマスは、とうとうその願いが叶えられたのだ。
アンシェラトスは頭上よりロドネスを見下ろし、ゆっくりと口を開いた。
「――我は女神レダの代行者なり。神に仇なす邪悪なるものよ。貴様はこの地上に存在してはならぬもの。よって、レダに代行し裁決を下す——邪悪なるもの、この地上から滅せよ——」
ロドネスは目の前の状況が信じられなかった。あの伝説に伝わる、神の代行者——アンシェラトスが自分の眼前にいる。そして、その人智を超えた凄まじき力も認めざるを得なかった。
アンシェラトスから発せられるこの恐ろしい力は、言ってみれば触れられただけで消し去られてしまいかねないくらいのもので、あまりのことに、一歩踏み出すことすらできなかった。ウィスラーがさっさと逃げ出したのも、今では納得できた。
「ギャァァァッ!」
叫び声を上げて消滅していく、アンシェラトスの周囲を囲む魔物たち。
「な、何が起こった! ――うぐぐ!」
ロドネスは驚きの声を上げつつも、自身も体を蝕む凄まじい力を感じて呻いた。
アンシェラトスはそこに存在するだけで、凄まじい神威を発揮する。その力は神に反するものには猛毒で、力の弱い魔物では、アンシェラトスの近くにいるだけで消し去られてしまう。
アンシェラトスの恐ろしさは、ロドネスの想像を遥かに超えていた。『神の代行者』というものは、これほどまでに恐ろしいものなのか——この場から今すぐに逃げ出したい、しかし体は動かない。恐怖が体を締め上げ、呻くことしかできない。
自分の死が確実なものになったことを思い知らされた。
「人の体を捨て、邪悪なる力に魂を売ったロドネス! もうお前は神によって加護される存在ではない! 消えてなくなれ!」
アンシェラトスの死刑宣告が、ロドネスの身体をズタズタに引き裂いた。
ロドネスは、その後のことを何も感じることはできなかった。アンシェラトスの言葉通りに、地上から消滅させられたのだから。
ロドネスと魔物たちを完全に消滅させた後、アンシェラトスはふたたびアーシェに戻った。敗れて消えた服がないので素っ裸だったが、ノエルがすぐに自分のマントを被せてくれた。
「ノエル、ありがと」
「そんな格好でいるわけにはいかないだろう」
アーシェはすぐにトマスの元に駆け寄った。
「トマスおじいちゃん!」
トマスはゆっくりと目を開けて、アーシェを見た。
「——アンシェラトスさま……どうか、どうか孫たちを、ダリルとアルマを……ご……ご加護……を……」
息も絶え絶えにそれだけを言うと力尽きた。
「おじいちゃん!」
「じいちゃん!」
アルマとダリルの悲痛な声が響いた。脅威が去り、街まで戻れるようになったが、皆の心は悲しさだけに包まれていた。




