3.灰色狼と射手の武器 2
今回、場面の切り換えが難しいので少し長いです。
朝から銀貨色の重たい雲が空を隠している。
雨待ち風に、水と土の匂い。
陰鬱な天候ではあったが、ユジィは空を見上げる余裕もなく随分な距離を歩かされていた。
「何で私まで巻き込まれるんだろう!あの広間は、城の中心なんだぞ?!」
ラスティアがご機嫌斜めなのには理由があって、
頑として理由を語ろうとはしないスヴェインが、
どうやらノアの一件のあった広間を迂回して移動しているからのようだ。
(そう言えば、城内の一区画では、転移が出来ないって言ってたっけ)
結構な距離を大回りしているようで、早くも予定の時間よりは遅れている模様。
でも、あの場所に行かずに済むのはとても幸いだった。
(スヴェインは、何故か過保護だ)
どうしてそうなったのか、ユジィには未だによくわからない。
一度、スヴェインが席を外しているときに訪問したラスティアに、
君が泣いたからあいつは動揺したのだろうと言われたが、
高位の人外者の心がそんな脆弱な筈もあるまい。謎だ。
(とは言えもう、作為も何もありようがないんだけれど)
昨晩、夕食を完食しただけのユジィにどう感動したのか、
スヴェインは千切れんばかりに尻尾を振る狼のように、とあるものを差し出してきた。
ユジィが日々の生活に不安を覚えず、あの城で安らかに過ごせるようにという配慮だったが、
究極の個人情報的なものを差し出されてティースプーンを取り落したユジィよりも、
彼の傍仕えの侍従がその場で昏倒したことが、全てを現している。
(真名を提示したり、自分に不利な庇護条件出したり、危機管理能力が無さ過ぎる!)
石炭を懐かせる為に支払うには、あまりも大きな対価だ。
おまけにそこからは低姿勢のくせに、引かないスヴェインとの押し問答で、
最終的にはユジィも倒れそうだった。
受け取るか、受け取らずに交渉が終わらないの二択しかないとはあまりに惨いではないか。
人間には睡眠というものが必要不可欠で、徹夜ともなれば判断力が鈍るのだから。
(頑固な犬、いや犬じゃなくて狼、でもなくて、神とも評される残酷な人外者の筈だった)
脳内が支離滅裂になるのは、隣にいる美しい生き物が不可解なせいだ。
五柱の中でも誰よりも暗い色彩を持つくせに、
なぜかスヴェインの印象は最初から硬質な透明感があり、禁欲的な儚さがある。
と言うか最初は、かなり排他的な人外者ではなかっただろうか。
(おまけに、私が与えられていた制服の色彩を何倍か増しで綺麗にした髪色で………)
見ず知らずの世界だからか、不用意な相似性は、親近感を生むらしい。
ましてや、影と同じ色に落ちる手前の暗い灰紫の髪はユジィの大好きな色の五本指に入るのだ。
(更に言えば、深みのあって滲むような透明感のある瑠璃色は大好き度三位………)
抗い難い嗜好的なツボに、美しいものに弱いという壮大な弱点を持つユジィは日々慄いている。
そんな美しい生き物が、不自然に懐いたという現状を、まだ上手く噛み砕けない。
(あっ、しまった。こっち見た)
「足が痛くありませんか?」
「………いえ」
未だに距離感がわからなくて挙動不審になってしまうが、
目を合わせて貰えないスヴェインが落ち込んでいるのはわかる。
わかるが、手を差し出されながら先の質問をされて、一体どう答えろと言うのだろうか。
「さすがに半刻の遅れにはならないでくれよ。この際抱えて走ればいいんじゃないかね」
「急ぐのなら、自分の足で走れます」
「ユジィ、私でも嫌かい?」
「だから、抱えられるぐらいなら、いっそもう走りますから!」
実は、歩幅が圧倒的に違うせいで既に小走りなので、その言葉の信用性はやや低い。
(ラスティアが話しかけてくれるのは助かるかも。普通に話せる人だし)
案外、人外者にもいい人という枠があるのではないかと、再考させてくれるきっかけになったのが彼だ。何の要求も関わりもなく、ただスヴェインの友人というだけで、
時折美味しいお菓子を持ってきてくれる優しいお兄さん。
それがラスティアの印象だった。
(でも、あんまりこの人と話過ぎると、スヴェインが落ち込んじゃうんだけど……)
案の定、反対側には既に重苦しい気配がある。
「やはりあいつも少し奪われているな、」
苦い表情で何かを呟いたようだったが、ちゃんと聞こえなかった。
(あ、少し不機嫌になった)
どうしたものかと生ぬるい思考に陥りかけたところで、次の言葉に背筋が冷える。
「あまり遅いと、何をやっているんだろうかと行動を追尾されるぞ」
「王は、あまり水鏡がお好きではないだろう」
「お前、自分がこの上なく話題の中心だっていう自覚を持てよ!
この応酬を見られただけでも、私は充分に不本意だからね!」
(場面を見られるって、今のこの状況を?)
高位の人外者の中には、アレックスのように怠惰な者も多い。
アールの消費は大きいものの、水鏡のように遠方の画像を拾えるアールは広く普及している。
だが、離れて久しい彼にこの場面を見られていたらと思ったら、妙に背後が落ち着かない気分になった。
(どういうわけか、心がまだ残っているし、…………スヴェインもいるし)
許可を得ているのなら、ユジィが彼の所有物になっているのは知っているだろう。
でもそれと、今更、彼に自分の言動を盗み見られるということは、だいぶ違う。
「ユージィニア、」
だから、そう呼ばれて伸ばされた手を振り払ってしまったのは、咄嗟のことだった。
「………………あ、」
(だって、いきなり本当の名前を呼ぶから!)
アレックスしか呼ばなかった名前を、まさかのこのタイミングで。
中庭に面した回廊を横切って、反対側の回廊へと渡ろうとしていた時のことだった。
しまったと思って振り返った先で、スヴェインが立ち尽くしている。
(しまっ…………!!)
「え?」
慌ててスヴェインに言い訳しようとしたその刹那、
鋭く弧を描き降り注ぐ沢山の矢の軌跡が、鮮明に脳裏をよぎった。
あまりの生々しさに眉を顰めてから、はっと息を呑む。
(これは、)
「いけない!!」
叫んで手を伸ばすよりも早く、
屋根の影から外れた全ての場所に、轟音と共に何十もの矢が突き刺さった。
地面の欠片をまき散らして、矢の中ほどまでが地面にめり込んだその威力は、
単純な弓技だけではなくアールの炎をまとわりつかせている。
「おいおい……、城の結界はどうしてしまったんだ」
狼狽するラスティアの声を背後に聴きながら、ユジィは、呆然と正面のスヴェインを見返した。
肩口に一本の矢を受けながら、先ほどと同じ表情でこちらを見ている。
(えええ?!どうして固まってるの?!)
不意を突いた襲撃だったので避け損ねたというよりも、寧ろ。
(落ち込み過ぎて、避けることすら忘れてるんじゃないよね?!)
ぞっとして駆け寄ると、傷心の名残を纏わせて目を瞠った彼の腕を掴んだ。
あまりにも澄明で美しい瞳に、わけもわからずはっとする。
何故か頑固に微動だにしない腕を引いたけれど、重たい体はぴくりとも動かないので、
焦ってその名前を呼んだ。
「ヴェイン!!」
「……っ!」
その一声で我に返ったのか、
スヴェインは、掴まれた腕でそのままユジィを抱え込むと、
先程までの沈黙が何だったのかという素早さで、中庭回廊の屋根の下に退避させた。
「スヴェイン!お前、真名を?!」
ラスティアが見当違いなところで驚いている間に、ユジィは二度目の兆しの鮮明さに、胸が悪くなる。
中庭では、立派なセレスティアの樹が、弓撃に無残に枝を落としていた。
(何で二人とも襲撃そのものには焦らないの?!痛くないの?日常茶飯事なの?!)
今だって、移動したスヴェインが気にかけているのはユジィの安全だけだ。
刺さりっ放しの矢傷を間近で見てしまって、迂闊にも目の前が暗くなる。
医療班を!と叫びたいところだが、まずは、
「ここじゃ駄目です。第二射はこの中まで射抜いてくるから!」
「うん?そう言えばさっきも、君が警告を先んじたね?」
「もう!質疑応答は後にして下さい!早く!!」
いい加減その呑気さに頭に来て声を張ると、意外にも男達は素直に動いた。
抱えられたままの状態のユジィは、何だか色々と面倒になったので、
そのままの状態から安全地帯の指示を出す。
移動してすぐに、今まで立っていたあたりの床から柱身までを鋭い襲撃が削り取ってゆくのを、
三人はやや憮然とした面持ちで見送った。
「…………次は来ないです。多分、しばらくは?」
「本当かい?第三派があるのならば、合流するよりもここで防衛に徹した方が良さそうだが。
ともかくスヴェイン、その矢を抜こう」
「ああ。妙なアールが付随しているな。城の結界を破損させる程のものとは思えないが」
ユジィを下ろしたスヴェインの腕から、ひと思いに矢を引き抜き、
ラスティアは上品な立ち振る舞いから想像もつかないぐらいにぞんざいに投げ捨てる。
がらんと床に落ちたのはポプラ弓だろうか。青い風切羽を使い、飾り模様が描かれている。
拾って証拠品として調べたりとか、そんな繊細な作業は行わないらしい。
「すみません、俺のせいで怖い思いをさせましたね。怪我はありませんか?」
「怪我をしているのは、あなたですよね………」
さっそく甲斐甲斐しさ全開になった彼を制して、矢傷を伺うようにすれば
何でもないことのように反対側の手で押さえて苦笑された。
「この程度のものであれば、すぐに修復がきく」
「治癒には、いつもの三倍くらいのアールが必要になると思います」
その言葉に、スヴェインの瑠璃色の瞳が微かに陰る。
視線を一度腕に向けたので、彼も違和感を覚えたのだろう。
端正な顔立ちに薄く不快感を浮かべたものの、
ユジィに視線を戻すまでには全てを拭い去って、穏やかに微笑む。
「確かにそのようだ。これは、特殊なアールなんですね」
「こらこら、全ての説明を省いて納得しないで!ユジィ、何かを知っているね?」
「私みたいな乗り換えの来訪者は、ここにはいないと思っていたのだけど、いるみたい?」
じっと見ていると、スヴェインは止血の為か治癒の為か、
ぐっと傷口に押し当てていた指を外して血を払うと、傷口の消えた綺麗な肌を確認させてくれた。
「まさか武器来訪者だっていうのかい?しかし、この城には総王の織り上げた防壁があるんだ。
来訪者にあの攻撃を成せる程のアールなんて」
「アールの量は関係ないんです。あれは、理外れのアールだから」
「アールの量は関係ないとは初耳だね。お前は、彼等には随分と饒舌なようだ」
「…………!」
ふわりと空気が揺れる。
何気ない一歩を踏むよりも優雅に空間を渡る城主に、スヴェインとラスティアが小さく目礼する。
甘さと苦さの絶妙な裁量をみせるアレックス特有の夜の森みたいな香りに、
ユジィは呼びかけてしまった彼の名前をそっと飲み込んだ。
(もう私は、アレックスの石炭ではないのだから)
彼らの名前は特別なものだ。呼ぶだけで報復を受けることさえある。
見ていて何て綺麗なのだろうと密かに思っていたスヴェインですら、
やはりアレックスと並び立つと僅かに影になる。
息が止まりそうになってから、何だか腹立たしくなって慎重にその感想を思考内から揉み消した。
「秘密を持つなんて、従えられるということの在り方を知らない子供だね」
「あなたに聞かれたことには、全て答えていた筈です」
「お前にも同じような力が?」
「わかりません。……私達の能力は、願い事と引き換えなので」
「対価…………か、」
スヴェインの声に滲んだのは、身を案じるだけの優しさで、
きらりと愉快そうに目を輝かせたアレックスとの違いを際立たせた。
「誰が、お前にそれを教えた?」
「私が育ったのは書の世界だから、あらゆる知識を、好きなだけ書架から引き出せました」
「強欲な書架だね。我々ですら、理外れという力の由縁には無知だというのに」
目を細めたアレックスに、ユジィは、一度自分の言葉を頭の中でまとめ直す。
まだ襲撃の真っただ中なのだろうが、アレックスがいるのだから問題ないだろう。
何かあれば彼がどうにかするだろうという、根拠のない安心感があった。
「武器は違う世界からの来訪者だから、この世界の理を外れた力を備えているんでしょう」
「ちょっと待ってくれ、それでは呼び落としにかけるアールが釣り合わない」
ラスティアの声に不審感が混じるのも最もだ。
ユジィもこの城に来て初めて、
一般的な来訪者というものは、距離と時間軸の移動しか出来ないものだと知った。
書の世界の知識のせいで、異世界間の呼び落としも珍しくないと思っていたのだ。
「武器は基本的に、“移動”を軸にした願いをかけた者が成るんだと思います。
願い事と引き換えに世界の乗り換えをする。その代り対価は酷く重い。
これはそういう取引なんです」
「成る程、それで等価値とするのか。だが、無節操な渡し主だね。司る領域が広過ぎる」
「願い事と対価の仲介をするのが何なのかは、私も知りません。
自分事として声や文字で成されたことを知ってはいても、
そこに意志があるかどうかさえ、人間の持つアールの範疇では理解出来ない。
でも、願い事を失って壊れれば、高価稀少な道具として身を落とす。
つまり武器は、契約の仕方を間違えた人間の、一つの顛末なんでしょう」
(願い事を成すという意味で、アレックスの代行物にも関連性はある。
でも、もしそれに意志があるなら、
武器を生成する過程に噛んでいるのは、もっと複雑で厄介なものだ)
複数の世界を見張り、悪戯に手を出すもの。
恩寵と言うには、あまりにも過酷なもの。
そんな恐ろしいものについて考察なんてしたくない。
ただの結果と事実だけで充分だ。
個人的に疑問を持つのは構わないが、当事者としては是非とも掘り返さないで欲しい。
「その射手の襲撃に気付いたのは、あなたの能力ですか?」
「ううん。武器は武器を知る。
私が書の世界で読んだ教本によれば、私達は、お互いの理外れのアールの気配がわかるみたいです」
「興味深いね。そこはどんな世界だろう」
そう呟いたアレックスに、ユジィは息が止まりそうになる。
(どんな世界?)
塗り潰された灰色の世界。
背の高い四角い塔に青空は切り取られて、おとぎ話の森はとうに滅びた。
薄暗い図書館の端っこで、お気に入りの本にしがみ付いて、何とか息をしていた。
箱詰めの電車に揺られて、魔法ではないネオンサインをぼんやり見ていた毎日。
「…………息を吸うたび、毒を飲むようでした。
数多の世界の知識は物語として収集され、容易く手に入れられても、
アールに満ちた世界で生まれた私には地獄だった。
この世界でただの石炭として殺された方が、あの世界よりはまだ遥かに優しい」
声を荒げたつもりはなかったが、胸に潜ませた苛烈さが届いたのだろうか。
ラスティアがたじろぐのが見えた。
スヴェインはそっと頭にユジィの手を乗せ、アレックスは何も言わずに静かに見下ろすばかり。
(わたしが欲しいものは、ひとつだけ)
あの深い森の底で、寂しく微笑む綺麗なひと。
(やっと乗り換えの術を見出した時、私がどれだけ歓喜したか)
この世界にはアールが溢れていて、おとぎ話の森もいたるところに残っている。
でも、あのクリスマスの王様はどこにもいない。
だとすれば、残されたものは或いは……、
「都合のいい賭けだね。己の世界から、逃避の機会を得られる者はそういない」
「都合のいい賭けでした。
私を差し出すだけで、奪われた願いを取り戻せたのかも知れなかったのだもの」
いつの間にか、彼の石炭だった頃のように話していた。
空気が小さく震え、ユジィはふと我に返り、自分の言葉を後悔する。
真実を切り出してまで、彼に本当のものを見せてやる必要なんてなかった。
(私にとってクリスマスの王様が特別なのは、ただ彼が大好きだからだけじゃない)
もう充分に過去のことであっても借り物を放置出来なかったのは、
彼が、ユジィにとって普遍的な幸福を与えてくれたという、最大の恩人でもあるからだ。
(でも、そういう部分を掘り返されたら、私は私を詳らかにさせられる羽目になる)
「…………射手の物語は読んだことがなくて。
私が知っているのは、糸織りや道繋ぎ、影食いとかそんなものだけだから、
今回はあまりお役に立てないかも知れません」
「武器はそれぞれに特性があるんですか?」
話出そうとしたところで、スヴェインに一度止められた。
わざわざ視線を合わせて小さく微笑まれる。
さらりと揺れた髪にふと、獣の頭を撫でるように触れてみたいと思ってしまった。
「俺には敬語じゃなくていいですよ」
小さなノアの要求で頭を撫でてやったように、彼の要求に応えてみたくなった。
おとぎ話を失くして、いつか武器に成るくらいに負け通しだからこそ、
空っぽのこの手を誰かと繋ぎたいと思うことは罪だろうか?
(………なんて我儘なんだろう)
贅沢な欲求も、身勝手な嗜好もなんと軽薄なことか。
人間のような思考回路を持たない人外者達こそ気付いていないが、
ユジィ自身は自分の精神のしたたかさに物悲しくなる。
レスタも、リアナフレスカも、ユジィの浅はかさで失われたノアも、
幾つもの悲劇に触れてもまだ、この心は素知らぬ顔で動いている。
何かを望んだり、何かに焦がれたりする。
(この綺麗な生き物は、大事にしたら私の側にいてくれる?って考えちゃうんだ)
ユジィは自分の孤独の節操のなさに、ずしりと暗い気分になった。
「………………!」
けれどもその躊躇いを穏やかな微笑みで包み込んで、スヴェインはさらりとユジィの頭を撫でる。
呆然と見返して、こちらの迷いと欲求を見透かした観察の鋭さに淡い恐ろしさを感じてから、
計算された短い接触と髪に残った温度の巧みさに蕩けそうになる。
(ああ、この人は恐ろしく狡猾で、とても優しい人だ)
けれどもこの短い接触が、ユジィから最後の抵抗の力を奪ってしまったのも事実だった。
「…………うん。武器の力は、それぞれの願い事に起因するの。
そしてその全ては、この世界の理では防げない。
理外れのアールをこの世界のアールで屈服させるには、それを上回る質量で凌駕するしかないから、
あなた達高位の人外者は、一番やりにくい相手の筈」
「だから、過分にという訳か」
「そういうものかな。城の防衛を補填してみたが、無効化されてしまったが」
アレックスの言葉に、ラスティアとスヴェインが瞠目する。
王の守護を無効化したとは思っていなかったのだろう。
「それなら、その行為そのものが、射手の願い事に起因する特性なのかもしれない。
破壊するとか、必ず届くとか。私達の特性は、それに特化するだけに防ぎ難いとされるから」
「お前なら防げるだろうか」
「王!」
「スヴェイン、自分のことを武器だと教示したのは彼女だよ」
「だが、彼女は武器として成っていない来訪者の筈です」
「どうだろう?今のユージィニアは、武器としての欠片もないのかい?」
アレックスの問いかけに、はっとしたユジィはやや緊張感を滲ませて考え込む。
(確かに私は使い方もわからないまま、自分は武器に成っていないと思っていた)
その考えが揺らぎ始めたのは、スヴェインとラスティアの変化だ。
(ただの人外者の気紛れとは違う何かが起きて、それは私に都合のいいことだった)
つまり、ユジィが、自分に好都合になるよう何某かの力を行使した可能性があるのだ。
そう考えるのは恐ろしかったが、考えなければいけないものでもあって、
幸いここのところのユジィには一人の時間が腐る程にあったのだ。
(アレックスも多分、その可能性を疑っている?)
彼だけでなくここにいる全員が、その可能性を思案するだけの下地は確かにある。
「わかりません。私はまだ随分と心を残しているし、
理外れのアールがどういう仕組みで、どうすれば使えるかどうか、試したこともなかったから」
「では、試してみる機会としては丁度いいね。ユージィニア、こちらにおいで」
有無を言わせない高慢さで、ユジィを呼びつけて中庭に出ようとしたアレックスに、
スヴェインがユジィを背中に庇う形で割って入る。
「アグライア公、彼女は俺の庇護下にあります」
「だがお前は、私の臣下だ」
目を細めて笑ったアレックスの冷ややかさは、高貴な闇夜のよう。
秋冬の城の主らしくない、爛漫たる春宵の穏やかさを、彼は悪戯に反転させる。
(お伽噺の悪い王様と、その森にいる特別な狼みたい)
眼差しを険しくしたスヴェインも、見慣れない美しい獣みたいで、ユジィは少しだけ考える。
アレックスを封じて、スヴェインを安心させるにはどうしたらいいのか。
厄介な嗜好と願い事を抱えたユジィが、
たった今、男前とも大雑把とも両極端に言える人生の結論を出したことを、
目の前の人外者達は知らない。
(だって私は、書の国育ちだから)
生々しい結論を丁寧に仕舞い込んでから、表情を改めた。
「ヴェインも一緒に来てくれ……る?」
不慣れな言葉で舌を噛みそうになりながら手を伸ばしたユジィに、アレックスは微かに嫌な顔をした。
反対に、真名を呼ばれたスヴェインの瞳が見開かれる。
(でも、これなら正しいのよね?所有物が、所有者の意向を汲むのは正しいやり方の筈)
エレノアを巧みに護っているシュタイルを見ていて、学んだことだ。
「俺も出ましょう。それなら文句はありませんね?」
「やれやれ、ユージィニアも狡賢くなったね。いいだろう」
空の下に出れば、また違う曇天の薄闇に包まれる。
目を凝らしてみたが、飛来する矢は見えなかった。
視線を巡らせて仰ぎ見たアレックスが、眉を持ち上げてみせる。
「先程と同じ足音だ。そろそろ次の手を打つだろう」
言われてもう一度目を凝らしてみたが、よくわからない。
(雪喰鳥が飛んでる。今夜は雪が降りそうだ……)
不安とも疲弊と言えない散漫さを覚えて、空の青さにそう思った時だった。
「ユージィニア!」
「……くっ!!」
スヴェインの声に我に返った時には、体を反転させてアレックスの前に飛び出していた。
盾にする為に振り抜いた片手の軌跡をなぞって、黄金の防壁が強弓を弾き返す。
一枚一枚は、目眩がするくらいに精緻な装飾を施した金水晶細工の槍のようなもの。
それが、雪の結晶が生まれるように瞬く間に錬成され、大気中に連なり、盾を形成していた。
足を踏み込んだ際の衝撃は痛いほどだったが、腕そのものに迎撃の余波は微塵もない。
「…………うそ、出来た?」
(武器に成りかけているの?)
力を扱えた安堵感と、心があるのに武器になりかけている困惑と。
(…………でも、何か…………?)
「こりゃ厄介だな、アグライアにも武器がいるのか」
だから、場違いに明るい声が届いたとき、意識が追いつかずにぽかんとしてしまった。
「射手?!」
「そう、それがそのまま俺の銘だ、同胞」
庭を挟んだ反対側の回廊の渡り屋根から身軽に飛び降りたのは、
オリーブ色の肌に、長い金髪をひとつに結び、割れそうな程に青い瞳をした男だった。
どこか砂漠の民を思わせる装束は、確かこの世界ではトランの民族衣装だったか。
「お前、………銘が見えないな。なり損ないか」
陽気な口調に驚いたが、ふっと笑った目には感情の欠片も見当たらない。
「単身では城は落とせないし、密偵には派手過ぎる。誰かに挨拶を頼まれたのかな?」
「これは、これは、リベルフィリアの総王。あんたが言うように、今回はただの俺のお披露目だ。
挨拶というのは、お互いの顔が見えなくちゃな」
弓を反対の手に持ち変えると、男は異国風の優雅な仕草で一礼する。
おどけた仕草に、アレックスは艶然と微笑む。
「お前が武器だというのなら、主が挨拶に参じるべきではないか」
「はは、違いない。だが、俺の主人は人見知りでね。
さて、ここからは俺という武器を知った上での商談だ。
あんたの秘蔵の来訪者をひとつ、こちらに譲ってはくれないか?」
「名も名乗らない相手に?」
「これは失礼した。俺は射手の武器、ラエドだ。それで?商談に乗る気はあるか?」
「不要なものなら構わないが、私の求める対価に応じられる用意があるだろうか」
「悪いがこちらは身銭を切れない。となれば、いささか品のない手段も止むを得ないなぁ」
「ふふ、そうであれば、残念ながら帰りの道中は少し長くなるかもしれないよ」
「勘弁してくれよ、俺はあんた等とは相性が悪い」
言うなり身を翻して、ラエドは弓をつがえるのに十分な距離を空ける。
「おっと、」
すかさず放たれた矢は、踏み込んだスヴェインの手に現れた剣に両断され地面に落ちた。
剣は役目を終えるとゆらりと発光して大気に消え、
スヴェインは錬成の様子を確かめるように空の手を握り直す。
「高位の人外者にまで、武闘派がいるとは驚きだ。
詠唱破棄のきく自由な身分で、あえて手に武器を持つ酔狂さが珍しい」
(追尾型の矢だ。あの纏う炎のアールは何だろう、)
スヴェインが前に出てくれたことを幸いに、ユジィは不安を宥めて射手の分析にかかる。
彼の物語を読んだ記憶はないが、彼の持つ矢の様式に、何か心当たりがある気がしたのだ。
だがその刹那、空間そのものがふわりと翻った。
(この錬成は知ってる!)
何度も書の中で詳細を描かれていたので、その現象には心当たりがあった。
「道繋ぎだわ!ヴェイン、下がって!!」
温度のない風にはためくヴェールは、空間そのものから派生している。
ふわりと渦巻きラエドを包み、彼の周囲をいとも容易く不可侵領域とした。
「道繋ぎを知っているのか。それにあんた、………妙だな」
その真ん中で、射手は青い瞳を眇めて不躾にユジィを観察する。
スヴェインが錬成した槍を投じたが、道繋ぎの力はそれをラエドには繋がせない。
「どこの世界から来た?」
「書の世界だよ。あなたは、どこで生まれたの?」
「書の世界、か。そうだよな。その脆弱さにはやはりそうか」
まだ得心のいかない顔で、ふっと射手が笑う。
「前にも一度、書の世界の武器を見たことがある。石と硝子の塔の都を持つ、最も脆弱な武器の産地だ。 俺たち武器は、元の素材が能力を左右する。だが、……どこか妙だ」
「ピエタ」
ユジィは、あえてその名前だけを口にした。途端にラエドという射手が目を細める。
「………他の世界の町の名前まで知っているのか」
「砂漠の中にある、林檎の森の城塞都市。
青い風切羽のポプラ弓に、腕と矢に守り術式を装飾する、燐光の青い瞳の弓兵の一族がいた。
あの街は炎に焼かれて滅び落ちた」
「書の世界の節操のなさも大したものだが、俺は心を欠け落とした武器だ。揺さぶりにもならんぞ。
……アグライア王、取引について再考してみてくれ」
これは揺さ振りなんかじゃない。ただの郷愁だ。
けれどもそれを告白するわけにはいかないので、ユジィは反論せずに沈黙を守る。
言う傍から声が遠くなってゆく。
去り際に道化めいた大仰さで一礼するラエドの姿は、
最後の言葉を紡ぐ頃には、空間のヴェールに巻き込まれて見えなくなってしまった。
「あれが道繋ぎねぇ、早々に帰らせてしまいましたね、王」
「構わないさ。新しい武器とやらが出るなら、それも見てみたかった」
離れた円柱に寄り掛かって事の成り行きを観戦していたラスティアに、
アレックスは楽しそうな微笑を見せる。
後学の為にとラエドが消えた場所を見ていたユジィは、すぐにスヴェインの過保護な検分に捕まった。
「……怪我はしてませ……ないよ!ちょっと、ヴェイン!!」
「スヴェイン、どう見ても彼女は、小さな子供じゃないと思うけれど?」
そそくさと抱き上げられたユジィの抗議に、呆れたラスティアの言葉にも、
スヴェインは涼しい顔をしたままだ。
こちらに向けられる微笑は爽やかだが、どこか掴み所がない。
(もしや、過保護というのを通り越して、意外に我儘なんじゃ?!)
事前教材がフリードリヒとアレックスだったので、
比較的善良に、そして不器用に見えてしまうだけかもしれない。
お人好しで、苦労人で、あまつさえ何だか面白くさえ見えてしまうラスティアとて、
老獪なリベルフィリアの人外の一柱だ。
「目的はエレノアですかね?」
「彼女は特別な嗜好品だが、総王に交渉を望む程か?」
三人の視線を集めて、アレックスは肩をすくめる。
「さぁ、自分ではない者の欲求や願いなど理解しようがないからね」
あからさまな誘拐宣言まで聞いておきながら、立腹する様子もない人外者達に、ユジィは眉を顰めた。
エレノアに不安を与える可能性があると、彼等にはわからないのだろうか。
「考えてみれば、お前は履歴を告げる際に私を謀ったのだね」
その声に引き戻されて、ユジィは普通にアレックスの目を見られることに気付いた。
(思っていたよりも怖くないのは、アレックスが私を見て話しているから?)
あの舞踏会の夜の彼の目には、ユジィという人間は映っていなかった。
でも今は気紛れに、こうして会話をしている。
「自分の意思で、ここに来たと話した筈です」
「リアナフレスカから。お前は、私にそう誤認させただろう」
「あれだけの時間では、説明するのが厄介でしたから」
「書の世界か。遠い昔に聞いた物語の中のものだと思っていたんだけどね。
世界間の乗り換えという武器の成り立ちがわかったとなれば、確かにそれなりに興味深いなぁ」
総王の不機嫌さをいなすように、ラスティアが舵を取り直す。
「ラスティアも、他に世界があることは知っていたんですね」
「他世界があることは私達も知っているよ。
でなければ“この世の理ではない力”を持つ武器の説明が成り立ないだろう?
だが、取り寄せの能力の一環で、出身そのものが異端だとは思わなかったなぁ。
まったく、いい話を聞かせてもらったよ」
「書の世界のことも知っていたの?」
「他の世界の者達を収集して、その物語を剥ぎ取る貪欲な獣のような世界だと言われている。
どれ程に潤沢で緻密なアールがあることか」
「書の世界にアールはないよ?」
あっさり答えると、その事実にラスティアは驚いたようだった。
「アールがない?」
「あの世界は、腹ペコの獣みたいに、ただ刈り取ってお腹の中に納めてしまうだけ。
物語を奪われた私達は、自分が誰だったかを忘れて、物語を欲する側の国民になるんです」
その言葉にアレックスが首を傾げる。
「お前は自分の物語を持っているようだけど?」
「……自分の本を見付けたから」
「書の世界の本は、みな剥ぎ取られたものなんですか?」
「物語はみんなそうなんだと思う。私が乗り換えを知ったのも、
武器だった人や、武器を知る人の物語があったから」
武器と石炭というタイトルの意味を紐解こうとして、
同じ武器という言葉を題名に持つ本を読み漁ったのだ。
実際の備えとして読み込んだ読書量は、膨大な数になる。
「ふーん、武器に成った者が多いということは、あまり有効な手段とは言い難いのかい?」
「この乗り換えで、願い事を叶えた人はまだいないの」
僅かな沈黙があり、思わぬ返答に言葉をなくしたラスティアの代わりに、
スヴェインが疑問を引き取った。
「なぜ、そんな危険な手段だとわかった上で、こんなことをしたんですか?」
「ずっと傍にいるって約束したから」
叶うと思っていた。
(妙な自信があった。願うことで私が仕損じるなんて思ってなくて、
私は自分だけは成功すると信じていた)
だってアレックスは、クリスマスの願い事の王様だから。
願い事は彼の領分で、自分の味方だと思ってしまっていた。
(私の何かが壊れたり、変わったりしてしまっても、
アレックスならきっと見付けてくれるって信じてた)
そんな思いの淵で、ふと、とても大事なことを見落としているような気がした。
(……………変わってしまっても?)
物語の罠に足をすくわれないように、武器の本は、それこそ端から端まで読み込んだ。
言葉に潜む二重の意味を警戒して、辞書を引くことすらあった。
(でも私は、自分の物語をそんな風に読んだかしら?)
対になったアレックスの本を、そんな風に読んだだろうか?
(王様は、ユージィニアに自分の半分、彼女を想う心を庇護として渡してしまう)
その一節に特別な意味があるとしたら?
(手放してしまったものは、欠け落ちる…………)
「アレックス、」
ぱっと顔を上げてその名前を呼んだ。
深淵の瞳がじっとこちらを見下ろしている。
そのがらんどうの暗さに、悦楽の嘲りを見たようで、ひたりと恐怖の欠片が胸の中に落ちる。
(この人は、私を想わず、私を守らない。クリスマスの王様に瓜二つの人)
そしてここは、クリスマスの季節を司る、リベルフィリアの城。
「あなたは本当に、人違いのアレックスなの?」