3.灰色狼と射手の武器 1
折り返しの一段階目、
少しずつ作品の雰囲気が丸くなります・・・
「最近、スヴェインの姿を見ませんな」
シュタイル伯の言葉に、なぜかラスティアが渋面になる。
あの石炭の事件以来、愛し子とアグライア公の間のざらついた空気を案じて話題を変えたシュタイルだったが、今度はラスティアが、一刻も早く話題を変えたいという顔になる。
「あれが偏屈なのは、以前からですよ」
「僕、知ってるよ。我が君の石炭を、彼が引き受けたんだよね」
「…………それは本当ですか?」
ロードの思わせぶりな告発に、真っ先に反応したのはエレノアだった。
「はぁ?!スヴェインが何でさ?」
露骨に嫌な顔をしたフリードリヒに、ロードが、声も顰めずに耳打ちする。
「愛剣と引き換えにしてね」
「スヴェインが?!」
実際の武器を穿くことの少ない人外者にとって、
愛用の道具というものは、大抵の場合は特別な意味がある。
「別に義務ではないが、確かにしばらく顔を見ていないな」
気怠げに微笑むアレックスに、ラスティアが疲れ果てた仕草で手を広げた。
「顔を出すように言っておきます」
「ここに顔を出せないような理由に、ラスティアは心当たりがあるんだ?」
したりと笑ったロードに、ラスティアは柔らかな笑みで追従を絶つ。
「彼には彼の理由が常にあるだろう。君にだって私生活ぐらいあるんじゃないかな?」
「ご心配があるなら、鏡で見てみれば宜しいのでは?」
「シュタイル?」
予想もしてなかった提案に、ラスティアは隣の席を振り返った。
「我々は臣下だ。各自、リベルフィリアという時節の下で国を持ってはいるが、それも王のもの。
不安要因は残してはいかんだろう」
「あなたらしくもない提案じゃないですか」
「いや何、スヴェインは我等の第一席ながらに己の苦労を声に出さない気質であろう?
そなたは友人だからわかっているのだろうが、
あれを掴み難い私は、彼の心の負担が心配になるのだよ」
「スヴェインの城には、ユジィがいるんですよね?!私にも見せて下さい!」
守護者の言葉に重ねるように声を上げたエレノアが、
立ち上がって面倒そうにしているアレックスに詰め寄る。
「私は、あまり部下の生活には干渉したくないのだけどね」
「だったら、わたくしが頭を下げてお願いしますわ。
どうか、ユジィの、あの子の様子を見させて下さいませ」
「それくらいは叶えるべきだと?」
「そうです。守護者はシュタイル様ですが、わたくしはリベルフィリアの嗜好品でもあるんです。
この程度のお願いを、王であるあなたが与えられなくてどうなさいます」
「…………相変わらず踏み込むねぇ」
呆れた様子のロードのでさえエレノアを諌めないのは、
彼女が正式な嗜好品、高位の人外者とて庇護につける資質を持つ者だからだ。
美しく強いものを重用し庇護するのは、人外の嗜好の総意と言ってもいい。
「やれやれ、困った子だ」
艶やかに微笑むと、アレックスは卓上の黒水晶の水盤に手をかざす。
ゆらりと立ち上がった映像が鮮明な色を帯び、人外者達も覗き込む。
ただ一人、ラスティアだけは額に手を当てて大仰な溜息をついてみせた。
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雪が音を吸い込んで、おとぎ話の森を白く染め上げている。
繊細なレリーフの施された美しいコテージには、
肩にかけられた白狼の毛皮引きずった、顔色の悪い少女が座っている。
分厚い雪雲の隙間から差し込んだ陽光が雪原に突き刺さり、
白さと暗さの奇妙な狭間で、背後に立ったスヴェインの雪色のケープが同色の風に翻った。
「この花が嫌いならば、他の花を持ってきます」
そう言ってそっとユジィの膝の上に置いたのは、丁寧にリボンで結ばれた菫の花束だった。
虚ろな眼差しでそれを一瞥したユジィは手を伸ばさないまま、雪風が菫を膝から払い落とす。
無言の拒絶に項垂れたスヴェインと、振り返りもしないユジィの足元は、
無残に打ち捨てられた菫の花で埋め尽くされている。
今行われたことが、何百と繰り返されたのだと示していた。
よく見れば、足元で枯れた菫には様々な種類があり、
スヴェインが彼なりに試行錯誤している苦労も見て取れる。
「放っておいて下さい。私が逃げられないのは、承知の上でしょうに」
永遠にも近い沈黙の後、ユジィが口にしたのはそれだけだった。
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「待って、衝撃的過ぎて意味がわからない。ラスティア、彼は病気にでもなってるの?」
「ロード、それを私に訊かないでくれ。私もほとほと困り果てているんだよ」
「何あれ?何なの?」
「ロード、私を揺さぶる前に一考してくれ。私はスヴェインの保護者じゃないからね?」
率先して覗き込んでいたエレノアは、まだ思考がついていかないのか、
愕然とした表情で無言のままだ。
一度何かを言おうとして口を開きかけ、そのまま途方に暮れた眼差しになる。
「あの石炭を気に入っているってこと?」
不快感も露わに驚愕を示したフリードリヒに、シュタイルも返す言葉もなく首を振った。
「ラスティア、彼と話をしているんだよね」
なぜかロードの詰問の矛先は、ラスティアに向けられている。
「話したさ。とは言え、私が不用意にあの子に近付くと不機嫌になるからね。
子猫を溺愛する母猫みたいな彼には、言うべきことも伝えきれない」
「そもそも、何でスヴェインがあの石炭を欲しいなんて言い出したわけ?
あのチビを真っ二つにしたことに、罪の意識でも感じてるの?」
「そんな訳ないじゃん。スヴェインが?彼は僕より冷酷なくらいだよ。まさか」
フリードリヒの推理を切り捨てながらも、ロードは自信なさげに視線を揺らす。
「ラスティア、お前もその時傍にいたね?」
「ええ、王。…………恐らく、私が思うに、……彼女が泣いたのを見て」
「ユージィニアが泣いた?」
静かな言葉なのに、ラスティアは思わず首を垂れそうになった。
首筋の刃より鋭く、あまりにも暗い。だがその暗さを、少し不可解に思った。
「いえ、実際に涙を流してはいなかったので、慟哭、いや悲鳴だったでしょうか。
あれに打ちのめされたんじゃないかな」
無意識に記憶を辿って、ラスティアは胸を震わせる。
(あれは、純然たる無慈悲な力だった)
「王、あれ程に力に溢れた声を持つのに、彼女はただの石炭なんですか?」
「不思議なことを言うね」
「…………確かに、あれはアールではなかった。でも確かに、力だったんです。私は、あんなに……」
言いかけて口籠ったラスティアは、自嘲気味に首を振ると自分の席に深く座り直した。
「馬鹿馬鹿しい!あれは何の価値もない屑来訪者。石炭でしたよ、アグライア公!」
「そうだね、フリードリヒ。でも、スヴェインの様子は気になるね。
ラスティア、一度彼をこちらに連れて来てくれるかな。勿論、ユージィニアも一緒にね」
「…………御意」
機嫌よく微笑んだ主が決して上機嫌ではないことを、ラスティアは嫌というくらいに感じていた。
「俺を好きに使って下さい。あなたの為なら何でもします。
フリードリヒの首が欲しければ刈ってきましょうか?それとも、俺の首が欲しいですか?」
懸命な問いかけが悲痛で、胸が苦しかった。
彼は本来、貰い事故に巻き込まれただけのやや被害者寄りの存在だ。
許せないのも嫌いなのもユジィの心の問題で、彼はほとんど他人でしかない。
だからこれは八つ当たりで、近付かなければ振り払われることもないのに。
「そんなものいらない」
(お願いだからわかって。
今の私は、心を動かすことが苦痛なんだ。あなたがいると、苦しくて堪らない)
しんしんと静かに降り積もる雪の静謐さは、死にも似た安息の尊さを唆す。
(心なんて、何て厄介なもの)
多分ユジィは、自分がそう在りたい程に弱くなく、繊細でもない。
だからズタボロになっても心を動かしたい欲求に駆られるし、
声を枯らす程に叫んでも、何かを得たいという欲求も堪えられない。
でも、それでは傷だらけになるだけなのだ。
そろそろ手を引きたい。
(だからもう、欲求も願いも動かさないで欲しいのに)
菫を摘みにいかないときは、雪の中コテージの外に立ち尽くしている。
屋根の下はユジィの領域だとでも思っているのか、肩に雪を積もらせて忠犬みたいに項垂れて。
(…………犬みたい)
獰猛な大型の狩猟犬か、野生の灰色狼が背中を丸めているみたい。人間はとても頑強な生き物だ。
時間とともに苦痛は枯れて、痛みもだいぶ凪いだ筈なのに、スヴェインが傍にいると僅かにざわめく。
それが嫌で、益々彼を疎んじた。
「食べなければ駄目だ。俺が嫌いなら侍従からでいい。どうか食事をして下さい」
殊勝なようで、時折ひどく頑固になる。
それは、ユジィに食事をさせる時と、眠らせる時に限定された。
部屋は新調された衣装で溢れ、小憎いことに趣味が秀逸でもある。
(これもまた、何かの遊びか罠なの?)
こんな風に甲斐甲斐しく世話を焼かれたのは初めてで、ひたすらに困惑している。
そして、コテージの床が菫色に染まる頃には、さすがにユジィも折れかけていた。
ちなみに菫を床に落としたのは、その意図を図りかねたからだった。
なぜ菫の花束を渡されるのかわからなかったし、唐突に差し出されても怖くて受け取れない。
彼等が触れれば、可憐な花もアールに染まる。
フリードリヒが差し出した百合の花に食べられた生徒がいたのは、今も心の傷になっている。
(心が足りない状態でも、罪悪感で死にたくなるって、一体どんな仕打ちなの?)
寧ろしおれているのはスヴェインの方ではないか。
打ちひしがれてか細い声で鳴いていて、毛並みもボサボサになった灰色狼を想像して、
ユジィは重たい溜息をついた。
(駄目だ。申し訳ないし、いたたまれないし、可哀想で、…………可愛すぎる)
諦めてしまうと、少し安堵した。
人外者を憎まなければ、例え願い事が叶わなくても、
ユジィは自分の罪や我儘を、理由を持ってきちんと受け止めてゆける。
(どんなに悪しきものでも、それは彼等という災厄の気質なんだわ。
ノアが死んでしまったのは、私がその性質をきちんと見極められなかったせい。
………だから私は、今もまだこの世界がやっぱり好きだ)
ノアを斬った当人であっても、
流石にそろそろ、スヴェインのやつれ具合をどうにかしてあげたいと思う。
でもそうなると今度は、中々に機会が掴めないものだ。
視線を向ければ、彼は壊れ物みたいに痛ましく微笑むし、自分の要求を嗅ぎ取らせる気配もない。
(何か、…………彼が、自分自身の欲求で感情を見せたことってあったかな?)
そう言えばここに来たばかりの頃、
八つ当たりで酷い言葉を投げつけたときには、なぜか仄かに嬉しそうにされた。
そちらの方面は恐ろしくて掘り下げられないので、健全な方向で何かないものか。
彼が安心しそうなことを想像して、きちんと夕食を残さず食べただけで、涙ぐまれた翌日のことだった。
死にそうな顔で朝を迎えたユジィのところに、
こちらもまた死にそうな顔色のラスティアが、
アレックスからの命を携えて、アシュレイ領のスヴェインの城にやって来た。




