★NO.undici――未来へ繋ぐ ラモーレ エテルノ
ギリシャの大陸部分南端に広がるペロポニソス半島――アルカディアは、稼穡に適さない山岳地帯だが理想郷と伝承されている。
黄緑色の絨毯、透き通った水、山にかかる雲、心地良い風、無限大の青空、生と死が混合し存在した世界はどの国々より神々しい。自慢の故国だ。
「帰ってきた……」
そんな愛する母国に南イタリアのバーリからフェリーで直行帰国したものの、見下ろす腕時計の針は午前八時を指していた。即ち今日は戦争の二日目――時間がない。
(一刻も早く父を……っ)
俺は息つく間もなく都市トリポリに迎い、本邸へ戻るや否や、迷いない歩調で大広間に踏み込んだ。バタン、と開けた扉が響き渡る。
「――父さんっ!」
同時に反響した自分のドでかい第一声で、その場にいる同胞たちが一斉に振り返った。
「リトア様!?」
「リトア様だ!」
「リトア様のご帰還だぞ!」
「リトア様ッ、もっと近くで御尊顔を拝見させて頂きたい!」
わっと白々しい歓声が湧き上がる。滑稽な光景だ、見るに堪えない。
(一筋縄でいかない俺を疎んでるクセに……、いつだってお前らは……)
偽言で俺の孤独を抉り弄ぶ。本能と狂気に身を任せる彼らは心を持たない、中身のない正真正銘の――災厄を糧とする化物だ。
「父とロト、三人で話がしたい」
遠回しに『お前らは邪魔』だと退室を命じた。余計な横槍で話に水を差されたくない。
「ですがリトア様!」
「我々は!」
「…………」
反論する一部を無言で睨んだ。凍った空気に全員の喉が詰まる。
「……ッ、ごゆっくりどうぞリトア様」
渋々といった面持ちで従い、皆一様にぞろぞろ部屋を出ていった。居残るは無論、俺を含め三人だ。
(――さて)
ようやく視界が開け、中央まで歩を進め立ち止まる。久々の対面に『感動』はない。
「……兄さんっ!」
「ありがとうロト、ご苦労だったね」
駆け寄ってきたロトに礼を告げ、無表情で王座に座る父・リュカーオーンを見据えた。
父は黒シャツに璃紺スーツを重ね、首元にはネクタイ代わりで狼の毛皮を巻いている。容貌は眉目秀麗だ、狼族を自ら築き上げてきた『太祖』の風格も伊達ではない。
「ロトに私を抑留させ満足か?」
父は黄金目の黒い瞳孔を刃に細め、冷笑を浮かべた。どうやらご立腹の様子だ、容赦ない態度で威圧される。
だけど焦りは一切ない。予測の範囲内だ。
「ええまあ、お陰で貴方に直接報告ができます」
「……ほう、貴公が私に『報告』する行為は初めてだ。申してみよ」
促され、ロトを見やる。心配げな表情に相槌を打ち、俺は逡巡せず刹那の沈黙を破った。
「私は貴方の血を引く始祖家の王血ですが、父さんが忌み嫌う下等な人間……血族・陰影隊との間に子を授かりました」
「――――」
突然の告白に案の定の反応である。顔面蒼白の父を意に介さず、俺は言葉を継いだ。
「リュカーオーン家始まって以来の汚点でしょう。これを古き掟と歴史を重んじる協会に言えば、息子の『失敗』を誰の首一つで処理する選択をなさると思いますか?」
ウルフ協会は衰退の一途を辿る父に危惧の念を抱き、度々、『瑞々しい王血を玉座に』と隠居を仄めかす発言をしていた。要は厄介者扱いだ。故にこの機で狙うだろう。
「――私の首は狩らせん」
「わかっています」
俺は間髪を容れず頷いた。父の性格だ、自ら命を差し出すわけがない。
「ハア……、今日は星の巡りが悪い。先程、ラティオスに増援を送ったばかりだ。しかし粗暴な戦法で状況は悪化する一方、私が出向かない限り勝利を収める可能性は低い。何にしろ――彼奴の領地に乗り込む兵力は手元に残っておらん、それを承知で私を脅し今回の一連に『終止符を打て』と命じておるのか」
そうため息交じりに淡々と言い連ねた父は、俺の行いを揶揄せず怒鳴らず、意外な冷静さで『最期の望み』を訊ねてくる。野性的な両眼で「答えよ」と催促された。
「――はい。どうか私の首で『敗北』と『大罪』二つの汚点を拭い去り……、子の誕生はお忘れ下さい」
覚悟は揺らがない。俺は跪き、眠り懇願する。
「確かに聞き届けたなロト、貴公が承認だ」
「はい……ッ」
ロトは掠れた声で返事をし、ギリリと奥歯を鳴らした。末子は本当に優しい子だ。きっと歯痒い顔をしているに違いない。
「申し分ない判断だ。決行は明日の半宵二十七時、異論はないなリトアよ」
「ありがとうございます」
永き旅路の終着点が決まる。不安や恐怖はない。俺は目を瞑り、瞼の裏に映る大神に微笑んだのだった。
* * *
陰影隊と狼族の戦争は三日三晩続き、軍配は陰影隊に上がった。多大な犠牲を双方払ったにも拘わらず、数え切れない屍の上で獲得したものは『勝利と敗北』の憫然たる文字のみだ。恋人を殺された勝利者、友を失った敗北者、親を奪われた子供、戦争後は苦しみ悲しみしか残らない。
(…………、俺の命一つで両一族の運命が変わるといいけど)
処刑時刻――半宵二十七時、白い布一枚で身を包んだ俺は地下室にいた。そして時計の針が重なると同時に、中央で待つロトのところへ足を運んだ。
「ロト、あとのことは宜しく頼むよ」
「兄さん……、任せ……てっ」
「良かった。大丈夫、きっと彼女が元気な子を産んでくれる」
泣きながら頷くロトににっこり笑いかけ、俺はその場で跪き両手を後ろに回す。直後、背後から抱き締められた。
「俺は兄さんが大好きだよ……ッ!」
「ありがとう、俺は良い末弟に恵まれたね。ほら、時間がないよ」
優しい弟の腕をぽんぽん叩き促せば、涙を拭うロトが銀の鎖で十字架の柱と俺の両手を括りつける。そう、ここが処刑台だ。
「――では、ダニエルの書の秩序に倣い処刑を決行する」
長剣を持つ父が号令を上げ、ロトは名残惜しそうに離れていった。含み笑う俺に誰も気づきやしない。
(大神……)
愛しい彼女の名を心で呼んだ。愛する人がいる、ただそれだけで世界は輝きを増す。
(俺は孤独じゃない。愛してるよ、大神……永遠にキミを)
彼女に語りかけた瞬間、走馬灯が駆け巡り、俺と言う存在は白い灰となって消滅した。最期の一瞬に願った夢は言うまでもない。
「もし来世があるなら、また必ず大神と出逢えますように」




