↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『ダンジョン原状回復士の事件簿』〜勇者がぶっ壊した迷宮、敷金全額没収の上で元通りに直して帰ります〜  作者: 六井求真


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
1/98

第001話:その大惨事、過失割合十対ゼロにつき

16時40分。

懐中時計の蓋をぱちんと閉じて、アレクは大きく息を吐いた。定時まで、あと20分。


嘆きの地下迷宮、第3層。ここは王都から馬車で半日の距離にある古い迷宮で、石の壁は年中じっとりと湿っている。カビと冷えた石の匂い。壁の燭台では魔導油がちろちろと燃え、足もとの水たまりに頼りない橙色を落としていた。


アレクは回廊の壁にしゃがみ込み、真鍮の魔法メジャーを伸ばしていた。ヒビの幅、2ミリ。長さ、38センチ。昨日の点検時より、わずかに広がっている。バインダーに挟んだ点検表に数字を書き込みながら、腰のポーチから栄養ドリンクを取り出して栓を抜いた。魔力ポーション、レモン味。苦くて甘くて、後味に鉄の味がする。これがないと夕方まで持たない。


ネイビーのツナギは膝のあたりが白く粉をふき、ヘルメットには「安全第一」と「定時退社」のステッカーが並んでいる。24歳にしては目の下の隈が濃い。本人は気にしていない。


「今日は何事もなく終わってくれ」


口に出した瞬間、後悔した。こういう独り言は、たいてい世界に聞かれている。


ずん、と腹の底に響く音がした。


続いて、壁が震えた。天井から細かい砂がぱらぱらと降り、ヘルメットの上で小さく跳ねる。燭台の炎が一斉に横へ倒れ、遠くで、石が爆ぜるような轟音が連なった。一発、二発、三発。最後の一発は床ごと突き上げてきて、アレクは壁に手をつかなければ立っていられなかった。


その轟音の向こうから、やたらと通る声が聞こえてくる。


「はーっはっはっは! 見たか、これが勇者の力だ!」


アレクは栄養ドリンクを一気にあおって、空き瓶をポーチに押し込んだ。


「……定時まで、あと19分」


ため息は、地下の冷たい空気に溶けて消えた。



第3層の最奥、古の王の間へと続く大扉は、もう扉の形をしていなかった。


蝶番ごと吹き飛ばされた石の扉が、回廊の途中まで転がってきている。その横を、金色の鎧に純白のマントという、目に痛いほど派手な集団が通りかかった。先頭の男は髪をかき上げ、白い歯を見せて笑っている。勇者エドワード。ギルド連盟が誇る、今期の功績ナンバーワンだ。


「ん? なんだ、清掃員か」


エドワードはアレクを一瞥し、わざとらしく肩をぶつけて通り過ぎた。


「どけどけ。世界を救ったオレに道を譲れ。今の爆裂魔法、見ていただろう? ボスの首など一撃だ。この迷宮は今日からオレのものだ!」


「迷宮はギルド連盟の共有財産だ」


「細かいことを言うな! 掃除でもしておけ。ははは、お前にはお似合いの仕事だな!」


取り巻きの魔法使いたちがくすくすと笑う。アレクは表情ひとつ動かさず、小さく頭を下げた。そして、バインダーに「16時45分 勇者パーティ退出 無事故を確認(人的被害なし)」と、一行だけ書き込んだ。人的被害がないのはいいことだ。それ以外のことは、これから確認する。


金色の集団が高笑いとともに出口へ消えるのを見送ってから、アレクは王の間へ足を踏み入れた。



煙が、まだ晴れていなかった。


鼻の奥が焦げ臭い。石の粉が喉にまとわりつき、舌の上がざらざらする。ヘルメットのライトを点けて、アレクは天井を見上げた。


そこにあるはずのものが、なかった。


この王の間は、第三紀様式の円形ドームアーチで知られている。高さ18メートル、12本の石柱が荷重を分散して支え、天井の中央には要石が嵌まっているはずだった。迷宮管理局が定める国定重要文化財、登録番号は第01号。


今、その12本のうち9本は、根元から折れていた。要石は粉々だった。天井は半分ほど抜けて、地上の根っこが垂れ下がっている。壁画は、竜と王の行列を描いた1000年前の見事なレリーフだったはずだが、今は壁の一部と呼ぶのもためらわれる瓦礫の山である。


ボスだったらしき巨大な骸骨の騎士は、壁際に頭だけが転がっていた。倒したことは確かに倒したらしい。ただし、周囲の被害は、倒す必要のあった分の三百倍ほどある。


アレクは、静かに右目に魔力を集めた。


《損害鑑定眼》。


視界が切り替わる。折れた柱、砕けた石材、ひび割れた床。そのひとつひとつに、薄い赤の線が浮かび上がる。線は破壊の軌跡だ。爆裂魔法の着弾点、魔力の流れ、石材に残る熱の痕。誰が、どの魔法で、どれほど雑に壊したのか。赤い線は、すべて一人の男の魔力に繋がっていた。


「着弾点が柱の根元。わざわざ荷重のかかる箇所を狙ってる。ボスの足元じゃなく、柱だ。派手に崩れた方が見栄えがいいからか」


つぶやきながら、アレクは魔法メジャーを走らせる。


「ボスのHPに対して魔法出力は300パーセント超。完全な過剰火力。止める理由があった形跡なし。故意に準ずる重過失」


バインダーに、さらさらと書き込んだ。


迷宮管理局の定める規約には、はっきり書いてある。迷宮は冒険者への貸与物件であり、借主は退去時に原状回復義務を負う。通常の使用による損耗はギルドが負担するが、故意または重大な過失による破損は、全額が借主の負担となる。


アレクは顔を上げ、誰もいない大広間に向かって、淡々と告げた。


「過失割合、十対ゼロ。免責事由なし」


バインダーの最終行に、判を押す。



作業は、いきなり始めない。


まず、残った3本の柱の根元に、魔導油圧のジャッキを噛ませる。天井の抜けた部分から、いつ砂利が落ちてくるか分からない。ヘルメットの下で、アレクの目つきがわずかに変わっていた。さっきまでの死んだ魚の目はどこへやら、焦点が一点に絞られている。


「一、仮設支保工。二、荷重の逃がし。三、瓦礫の選別」


手順は声に出して数える。ポーチから黄色と黒の養生テープを引き出し、崩落しそうな箇所に手早く巻きつけて立入禁止の線を引いた。それから、腰に下げた左官ゴテを抜く。刃渡り20センチ、柄は使い込まれて手の形に黒く沈んでいた。


瓦礫の山に、ゴテの先を軽く当てる。


《神速左官》。


石の粒が、震えた。


最初は、砂粒ひとつ。それが空中でふわりと浮き、元あった場所へ向かって滑り出す。つられて、周りの破片が次々に浮き上がる。まるで、映像を巻き戻しているようだった。粉々だった要石が、ひとつの塊へと寄り集まり、継ぎ目が溶けて消える。折れた石柱の断面が互いを探して近づき、かち、と小さな音を立てて嵌まり合う。


アレクはゴテを動かしながら、切れ目なく指示を出した。誰に向けたわけでもなく、自分に言い聞かせるように。


「柱の継ぎ目は、元の位置より2センチ北。そこで荷重の線が揃う。要石は最後。天井を閉じる前に、上の根を逃がす。次、壁画」


レリーフの欠片が、きらきらと光りながら壁に吸い寄せられる。竜の鱗の一枚一枚が元の場所へ戻り、王の行列が、ひとり、またひとりと1000年前の姿を取り戻していく。


時計を見る暇はなかった。それでも作業は、体が時間を覚えている。


最後の欠片が、王の冠の位置に収まった。


要石が、ごとん、と天井の中央に嵌まる。ドーム全体が深く息をつくように、低く鳴った。


煙は消え、焦げ臭さもなくなり、替わりに磨いた石の冷たく澄んだ匂いが広がる。12本の柱は、崩れる前より白く、まっすぐに立っていた。壁画の竜は金の瞳を取り戻し、天井からは、今ここで生まれたばかりのような柔らかな光が降りている。


アレクはヘルメットのつばを軽く持ち上げて、全体を見渡した。


「……指さし確認。柱、ヨシ。天井、ヨシ。壁画、ヨシ」


人差し指で空を突きながら、ひとつずつ頷く。


「所要時間、29分。定時、ぎりぎりだな」


懐中時計を覗くと、17時を2分過ぎていた。


「……2分、超過。これも請求だ」



ギルド併設の酒場「金の杯亭」は、夕方からずいぶんと賑わう。


アレクはカウンターの一番端に陣取り、泡の立ったエールをちびりと舐めていた。ツナギの上着を腰に巻き、ヘルメットは膝に置いている。ツマミは塩茹でした豆。それ以外は頼まない。大衆酒場の騒がしさが、かえって落ち着く。


店の奥の大テーブルでは、一際大きな声が響いていた。


「そうだとも! あの骸骨騎士など、オレの手にかかれば赤子同然よ!」


勇者エドワードだ。両側に町娘風の美女を侍らせ、機嫌よくグラスを振り回している。取り巻きの魔法使いたちは、おだてるのに必死だ。


「さすがです、エドワード様!」


「ここは全部オレの奢りだ! どんどん飲め、どんどん食え!」


歓声が上がる。店の看板娘が、三杯目の高級酒を運んでいく。ひと瓶、3万ゴールド。


アレクは、豆をひとつ口に放り込み、その様子を横目で眺めた。そして、懐中時計をちらりと見て、バインダーの最終ページを破った。


カウンターの上には、小さな銀色の板が置かれている。ギルド連盟が各冒険者の口座を管理するための魔導端末だ。破り取った請求書を、アレクはその上にそっと載せた。


板が、ぽう、と白く光る。


《敷金強制回収》。


魔導端末は静かに、確かに、役目を果たした。


酒場の奥で、エドワードの手元に置かれた銀色の板が、ちりん、と軽い音を立てた。


「ん? なんだ、この通知は。……なになに?」


エドワードは酔った顔のまま、板の表面に浮かび上がった文字を、声に出して読み上げた。


「《嘆きの地下迷宮 第3層 古の王の間 原状回復費用、500万ゴールドを、ご利用口座より引き落としました》……ほう、ついにギルドも勇者の功績を金で評価してくれたか! やはりオレは——」


そこで、エドワードは止まった。


板の下の行に、もう一行、文字が出ていた。


「《現在の口座残高:〇ゴールド》」


沈黙。


酒場全体の音が、すうっと遠のいた。


エドワードの両眼が、ゆっくりとひっくり返った。白目だ。完璧な白目だった。口がぱかっと開き、下顎が外れそうな角度で停止する。


「…………ぜ、ろ?」


かすれた声が漏れる。


「ゼロ……? オレの……報奨金……3年分が……?」


取り巻きたちが、そろって席から腰を浮かせた。


「え、エドワード様、ここの支払いは……」


「なぁにぃぃぃぃぃぃ!?」


絶叫だった。屋根が震えた。グラスが跳ね、美女たちが悲鳴を上げて椅子ごと後ろへ下がる。看板娘は運んできた高級酒を抱えたまま、無表情でその場に立ち尽くした。


「待て! 待て待て待て! 誰だ! 誰がオレの金に手を出した! 500万ゴールドだと!? 何の費用だ! 迷宮の……げ、原状……回復……?」


カウンターの端で、アレクは最後の豆を口に入れた。


ゆっくり咀嚼し、エールで流し込み、小さく息を吐く。


「指さし確認。回収、ヨシ」


立ち上がり、ヘルメットを小脇に抱え、代金を置く。看板娘が、ほんの少しだけ口の端を持ち上げて目配せをしてきた。アレクは気づかないふりをして、出口へ向かう。


その途中、入口脇の掲示板が目に入った。


新しい紙が一枚、画鋲で留められている。ギルド連盟の公式印が、真新しいインクで押されていた。


『辞令 迷宮管理局・首席監査官として、シエル・フォン・シルフィードを着任させる。明朝9時、現場事務所に出頭のこと』


アレクの足が止まる。


「……監査官?」


嫌な予感が、背筋をなぞった。


経験上、「新任」で「首席」で「名門っぽい名前」の人間がやってくるときは、たいてい現場の空気をまったく読まない書類が束になって付いてくる。


背後では、エドワードがまだ絶叫していた。


「オレは勇者だぞぉぉぉぉ!」


アレクはヘルメットをかぶり直した。


明日は、残業になるかもしれない。

お読みいただきありがとうございました!


今後が楽しみ!と思っていただけましたら、

画面下の【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして応援していただけると、現場の安全運行の大きな励みになります!


ブックマーク登録やレビューもお待ちしております!

本日も全員、ご安全に!


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。