2_08 無謀極まる潜入作戦
「聞くだけは聞くが、急になんだ?」
グラーフは、ティッシに少しだけ嫌そうな顔のまま答えた。
「もし、獣人側が向こうに誰かを潜り込ませるような話になったら、あたしも参加させてほしいっす」
グラーフの眉間に、深い皺が寄った。
「はぁ? 何を言っている」
「そうなったらの話っすよ」
「なるわけないだろ」
「まだ、そうなると決まったわけじゃないっすよ。ガルド殿なら考えるかもしれないっす」
「なぜだ?」
「向こうはガルド殿を欲しがってる。正面から戦っても、いずれ数で押し切られる。だったら、欲しがられてるものを使って、中を見ようとするかもしれないっす」
ティッシは、いつもの口調で言った。
だが、冗談で口にしているわけではなかった。
「向こうも、ガルド殿が戻ってきただけなら疑うっす。でも、人類の捕虜でも連れていれば、多少は話が変わる」
「お前が、その捕虜になると?」
「そういう話になったら、っすけどね」
「何のためにだ? 第一そんな無茶な作戦をベローム殿が認めるとは思えん」
「そうっすね」
ティッシは、あっさり頷いた。
「だから、もし本当にそうなったらでいいっす」
「ならなかったら」
「この話は忘れてください」
グラーフは、しばらくティッシを見た。
いつもの調子。
だが、澪へ何かを頼んだ直後にこの話を持ってきたことを考えると、思いつきだけで動いているわけではなさそうだった。
「……本当に、そういう話になったらな」
「ありがとうございます」
「許可したわけじゃない」
「考えてくれるだけで十分っす」
ティッシは満足そうに笑った。
グラーフは、その笑顔を見て、早まったかもしれないと思った。
その会話を澪は黙って遠くからじっと聞いていた。
その日の夕方近く、ベロームとガルドがログハウスへやってきた。
護衛は最小限だった。
ベロームは普段と変わらない穏やかな顔をしていたが、疲労までは隠せていない。ガルドも腕や肩に布を巻き、歩くたびにわずかに顔をしかめていた。
「澪様。少し、ご相談がございます」
「はい」
澪が二人を迎える。
グラーフとラントも近くにいた。ティッシは少し離れた場所で、畑の支柱を直しているふりをしていた。
「まずはお礼を。澪様のお力添えいただいたおかげで大分楽になりました」
「それは何よりです。あ、お茶どうぞ」
「これはどうも。で、なのですが、先ほどの戦いで、澪様からお借りした農具が、敵の身を覆う黒いものに有効だと分かりました」
澪としては寝耳に水の話だった。
「農具が、ですか」
「はい。こちらの武器では弾かれましたが、澪様の農具は通りました」
「はあ……」
澪は首を傾げた。
普通の農具のはずだ。とすると向こうは青銅の防具なのだろうか? 鉄器と青銅で大きな違いがあったとかいう漫画を昔読んだ気がする。
「ですので、厚かましいお願いではありますが」
ベロームは、一度言葉を切った。
「身を守るものにも、同じような力が働く可能性がございます。防具でなくても構いません。何かお貸しいただけるものはないでしょうか」
「防具はさすがにないですね……」
澪は首をひねる。
「実はガルドには、ヴァルガ側へ入っていただく予定でして」
ベロームはガルドの方に目線を向ける。
「向こうは、なぜか俺を欲しがっています。まともな理由ではなさそうですが、因縁がありまして」
「危険すぎるのでは? 目的があるのですか?」
澪が言った。
「危険でしょうね」
ガルドはあっさり認めた。
「ただ、このまま壁の前で待っていれば、いずれ数で潰されます。何もせずに待つよりはましです」
つまりはできれば暗殺をするということなのだろう。
澪は何も言えなかった。
ほかに方法があるわけでもない。
自分が口を出してよい話ではないのだろう、とも思った。
「澪殿」
グラーフが声をかけた。
「防具などは無いとは思いますが、代わりにお守りのようなものはありませんか」
「お守りですか?」
「ええ。農具に何かしらの効果があるのであれば、身につけられるものの方が都合がいい」
「なるほど……」
澪は倉庫へ入った。
そう言われても、お守りなど持っていただろうか。
棚を探していると、奥の方に小さな神棚があることに気づいた。
いつからあったのかは分からない。
その前に、細長い紙の札が何枚か置かれている。
「一応それっぽいものはありました」
澪は札を持って戻った。
「神棚に置いてあったお札です」
ベロームが、両手で慎重に受け取った。
「どのような神を祀ったものなのでしょう」
「いつの間にかあったので何とも……」
しばらく、誰も何も言わなかった。
澪は不思議そうに全員を見る。
「やっぱり駄目ですよね?」
「いえ」
ベロームは札を見つめたまま答えた。
「大変、ありがたいものかと」
その時、ティッシが近づいてきた。
「じゃあ、あたしも行くっす」
グラーフが額を押さえた。
「やはり、その話か」
「本当にそういう話になったらって約束だったっすよね」
「考えると言っただけだ」
「考える材料を持ってきたっす」
ティッシは、ベロームとガルドを見る。
「ガルド殿が一人で戻っても、向こうは疑うっす。仲間を売ってきた証拠もない。でも、人類側の捕虜を連れていれば、多少は話に箔が付く」
「あなたを捕虜にするというのですか」
ベロームが聞いた。
「そうっす」
「人類側の捕虜を手土産にする、か」
ティッシは静かにうなずく。
「それなりに身分のある人間ってことにすれば、もっと価値が出るっす」
「貴族の娘ということにするのか」
「はい」
ラントがティッシを見る。
「それは無理がないか?」
「失礼っすね! それっぽく振る舞うくらいならできますよ!」
ティッシは普段通りに怒っていた。
今のところ貴族らしさは無さそうではある。
「ただの貴族の捕虜では、途中で乱暴に扱われる可能性があります」
グラーフが言った。
「森のことを知る巫女ということにすればいい。澪殿の周囲について何か知っている可能性がある。上へ直接渡す価値があると思わせれば、下の兵も勝手には触らん」
「森の神の巫女っすか」
ティッシが自分を指さした。
「無理がないっすか?」
「似合わねえな」
ラントが即答した。
「でもまあ貴族よりはマシじゃね?」
「ぐうう……」
ティッシは不満そうな声を出した。
だが、断る様子はなかった。
お札は皆が下着に縫い付けることにした。不敬な気もするが背に腹は代えられないとの澪の発言に、みんなが目を泳がせていたが気のせいだろう。
捕虜として武器は持てない。
作業着や手袋も不自然だ。
小さな札なら、まあ、そう言う意匠ということで押しとおせるかもしれない。
「……無理はしないでくださいね」
澪が言った。
「もちろんっす。お願いもまだいってないっすからね」
ティッシのセリフに、フラグみたいで嫌だなと澪は思った。
出発する頃になっても、ティッシの態度は普段と変わらなかった。
両手には縄がかけられている。
ただし、一定の方向に強く引けば外せるように結び目には細工がしてあった。
「ちょっと緩すぎないっすか」
「これ以上キツくすると擦り傷になる。お前たちは毛が無いからな」
ガルドが答える。
「でもそれだと捕虜っぽく見えないっすよ」
「まあ、そこまで細かいところに気づくかどうか……」
「イヤな感じなんすね向こう」
ガルドのほかには、獣人と人類の兵が数人ついていた。
表向きはガルドとともに寝返った者、ティッシのそば仕えとして振る舞う。
好戦派の軍勢が見える距離まで来ると、ティッシは口数を減らした。
「さすがに緊張するっすね」
「全くそうは見えんがな……、神経が大木でできてるんじゃないか?」
「捕虜への配慮が足りないっすね」
「配慮をした戦争なんてバカバカしいだろ」
「まあ、それもそうっすね。バカバカしいっすね」
しばらく歩くと最初の見張りが姿を現した。
赤く濁った目が、ガルドを見てからティッシへ移る。
「気が変わったか」
「ああ」
見張りの発言にガルドは小さく頷く。
「それは?」
「人類側の捕虜だ」
見張りの一人がティッシの腕を掴んだ。
その瞬間、ティッシの表情から普段の軽さが消えた。
「手を離しなさい」
低く、静かな声だった。
怒鳴ってはいない。
だが、命じることに慣れた声だった。
見張りの手が止まる。
手を縛られ、粗末な外套を着せられていても、卑屈さがない。
ガルドが、横目でティッシを見る。
普段の姿からは想像もつかない。なるほど確かに貴族だ。それも高位の。
と言わんばかりの態度だった。
「こいつは?」
「人類側の貴族だ」
ガルドが見張りへ言う。
「森の神に仕える巫女でもあるらしい。あの谷と、人類側の動きについて何か知っている可能性がある。勝手に触るな。ハ・ヴァルドへ直接渡す」
見張りは不満そうに手を離した。
ティッシは一度もそちらを見なかった。
そのまま顎をわずかに上げ、ガルドに連れられる形で軍営へ入った。
好戦派の軍営は、外から見た以上に大きかった。
森を切り開き、天幕と粗末な柵を並べている。
だが、普通の軍営とは空気が違った。
負傷者の呻き声が少ない。
怪我人がいないわけではない。
腕を折った者。脇腹を裂かれた者。足を引きずる者。澪の農具で黒い層を削られ、血を流している者もいた。
それなのに、ほとんど声を上げない。
痛みに耐えているというより、痛みへの反応そのものが薄くなっているようだった。
ティッシは目を伏せたまま、周囲を見ていた。
兵の数。
天幕の位置。
見張りの間隔。
骨飾りを身につけた者の人数。
途中、ハイエナ系らしい耳を持つ兵を何人か見かけた。
ティッシは歩調を変えなかった。
軍営の中央に近づくと、地面へ寝かされた負傷兵が見えた。
数人のまじないしが、その周囲に座っている。
傷の手当てをしているようには見えなかった。
黒い泥のようなものを傷口の周囲へ塗り、細い骨を皮膚へ押し当てている。低い音が続き、兵士の体が大きく痙攣した。
折れた腕は、折れたままだった。
傷口も塞がっていない。
それでも、兵士はゆっくりと起き上がった。
赤く濁った目で前を見つめ、そのまま武器を拾う。
肩から胸にかけて、黒いものが薄く浮き出していた。
鎧を着せたのではない。
皮膚の上に、何かが現れている。外骨格のように体を覆っている。
ティッシはガルドのすぐ後ろまで近づいた。
「あれが獣人の治療術なんすか?」
周囲に聞こえない程度の声だった。
「んなわけねえだろ」
「っすよね」
まじないしの背後には、土へ半ば埋もれた石が置かれていた。
古い印が彫られている。
ガルドの視線が、そこへ止まった。
「知ってるんすか」
「王家の祭殿で見たことがある」
「何の印っすか」
「知らん。歴史家は獣人族が国を持つ前の時代のものだと言っていたが……」
ティッシは、もう一度石を見た。
「それが、今回の騒動と?」
「分からん」
ガルドは短く答えた。
「ただ、まあ、どう見ても無関係ではないだろうな」
それ以上話す前に、前方から兵が近づいてきた。
「ハ・ヴァルド様がお待ちだ」
ハ・ヴァルドは、大きな天幕の前に立っていた。
防壁の向こうから見た時と同じく、静かな顔をしている。
ガルドを見つけると、その口元がゆっくりと歪んだ。
「兄上、いや、ガルド。久しいですね」
ガルドの腕に巻かれた布と、頬の傷を一つずつ確かめ、満足そうに笑っていた。
「随分と、みすぼらしくなったな。古き王の血も野卑の中ではくすむようで」
ガルドと違い細身のヴァルドは大げさに手を広げて嘆く。
「お前は元気そうだな」
「ええ。もちろんですとも」
ハ・ヴァルドはガルドへ近づいた。
傷のある肩へ手を置く。
指先に力を込めた。
ガルドの顔が、わずかに強張る。
それを見て、ハ・ヴァルドは嬉しそうに目を細めた。
「久々の兄弟の再開です。もう少しうれしそうな顔をしてください」
「久しぶりすぎて性格も変わったように思えてな」
ハ・ヴァルドの笑みが、さらに歪んだ。
肩を突き放す。
ガルドは一歩だけよろめいたが、倒れなかった。
昔の弟なら、あんな笑い方はしなかった。
ガルドは、それを顔には出さなかった。
ハ・ヴァルドの視線が、ティッシへ移る。
「それが?」
「人類側の貴族だ」
ガルドが答える。
「森の神に仕える巫女でもあるらしい。人類側と、あの谷について何か知っている可能性がある」
「巫女……」
ハ・ヴァルドはティッシへ近づいた。
ティッシは目を伏せたまま、膝をつかなかった。
「顔を上げろ」
ティッシは、ゆっくりと顔を上げた。
ヴァルドの目を怯えず見返す。
「名は」
「ルクレティア・アズラウグ」
迷いのない声だった。
ガルドは、初めて聞く名だと思った。
「人類側のどの家だ」
「名前を聞くときは自分から名乗るものだと思っていましたが、名乗られても名乗らないのがそちらの流儀ですの?」
周囲の兵がざわめいた。
ハ・ヴァルドは一瞬だけ目を見開き、それから笑った。
「面白い」
怒ってはいなかった。
すぐに壊すより、しばらく手元に置く玩具を見つけたような顔だった。
「逃がすな。傷つけることも許さん。父上へ見せるまではな」
それだけ言うと、ハ・ヴァルドは再びガルドを見る。
「ハ・ヴァルド。次の王となるものだ」
「そうですか」
ティッシは興味がなさそうにそう返す。
夜になっても、軍営は静かにならなかった。
負傷者が運ばれ、まじないしたちがその間を歩いている。
ティッシたち人類側は捕虜用の小さな天幕へ入れられた。
見張りは二人。
縄はつけられたままだったが、手首に隠した結び目を動かせば、いつでも外せる。
ティッシは外套の内側へ指を入れた。
澪から渡された札が、胸元にある。
今のところ、何かが起きた様子はない。
それでよかった。
ティッシは小さく息を吐いた。
自分の目的は空振りだったが、代わりに見つけたものは厄ネタにしか見えなかった。
黒い鎧。
痛みを失った兵。
傷を治さず、壊れた体を立たせる儀式。
そして、獣人の始まりに関わる印。
軍隊を強くしているのではない。
何か別のものに近づけている。
ティッシには、そう見えた。
夜半を過ぎた頃、ハ・ヴァルドの天幕から何かが倒れる音がした。
見張りの兵たちは動かなかった。
聞こえていないのではない。
聞こえていて、何も聞かなかったふりをしていた。
天幕の内側で、ハ・ヴァルドは片膝をついていた。
肩から腕を覆っていた黒い層が、不規則に脈打っている。
浮かび上がっては薄れ、そのたびに皮膚の下で筋肉が引きつった。
爪が地面を削る。
傍らのまじないしが、無言で黒く変色した皮膚へ手を伸ばした。
ハ・ヴァルドは、その手を乱暴に払いのけた。
「触るな」
黒い層の一部が剥がれ、床へ落ちる前に煙のように消えた。
その下から、内出血の浮いた皮膚が現れる。
「この森は、不愉快だ」
ハ・ヴァルドは吐き捨てた。
少しでも油断をすると、身体の奥から力を抜かれていく。
ここへ来る前なら意識すらしなかった傷が、一つずつ存在を主張していた。
立ち上がろうとして、一度だけ膝が揺れる。
それが、さらに彼を苛立たせた。
防壁の上に立っていたガルドを思い出す。
傷つき、疲れ、それでも自分へ屈しようとしなかった兄。
肩の傷へ指を食い込ませた時の、わずかな顔の歪み。
ハ・ヴァルドの口元に、歪んだ笑みが浮かんだ。
「本国に帰るのが楽しみだ」
楽しそうな声だった。
黒い層が、再び肩を覆い始める。
ハ・ヴァルドは、天幕の外に広がる森へ目を向けた。
兄へ向けるものとは違う、純粋な憎しみだった。
「この森は滅ぼさねば」
ガルドを屈服させるために。
そして、自分から力を奪うこの危険な森の存在を消すために。




