第六十三話/本八幡香奈①
幼馴染の彼女と同じ大学への進学が決まり、国宝級イケメン高校生、爽哉の人生は順風満帆だった。卒業式を迎えたその日、第二ボタンはおろか、袖のボタンからネクタイに至るまで、全て取られるモテ男ぶりを如何なく発揮する。自らが築き上げた学園ハーレムの総括とでも言わんばかりに、爽哉の周辺は華やかさに満ちていた。
しかし、そんな彼を神は祝福しなかった……
彼女のストーカーに襲撃され命を落とした爽哉は、稀代のブサメンとして高校生活をやり直す現実を強いられる。学園の抱える問題、断ち切れない因縁、消化不良な想い……。ブサメンの自らと向き合う覚悟を決めた爽哉は、果たして絆を取り戻すことができるのか――
今、試練の扉が開かれる。
【登場人物】
中間爽哉 イケメン高校生→ブサメン高校生
藤川千絵 爽哉の幼馴染
木崎優子 第三十六代生徒会長。図書委員
小澤詩織 攻守両立のコミュニケーションお化け
本八幡香奈 大手健康器具メーカーの社長令嬢
宮永遥 陸上部。インターハイ優勝候補
皆川結衣 第三十七代生徒会長
本条鈴音 第三十五代生徒会長。爽哉の姉的存在
中間涼香 爽哉の妹
内藤亮介 爽哉の親友
大里拓馬 ブサメン高校生→イケメン高校生
世間はゴールデンウィークへ突入した。
俺はというと、着慣れないスーツにサングラス姿という、いかにも怪しい格好に身を包んでいる。身を縮めて張り込んでいたのは、とある会社の裏口だった。ウェルネスエストグループ、本社。本八幡香奈の父、健太さんの経営する会社だ。本社は連休で、暗く閉ざされている。出入りする人の影はない。だが、もうすぐ姿を現すはずだ。
加賀谷正平
ウェルネスエストグループの役員にして、大番頭。近い未来、全国ニュースを賑わせる古狸のようなこいつの顔を、俺は今でも覚えている。憎しみを伴って。
加賀谷は会社から多額の金品や債券を横領していた。発覚するのはゴールデンウィーク明け。その頃にはこの男は高飛びしている。俺は加賀谷に考えを改めさせるため、身を潜めて待っていた。匿名で告発することも考えたが、逮捕時のニュース報道を思い出して止めた。加賀谷の逮捕容疑は公務執行妨害。確保の際にナイフを振り回し、捜査員二人に怪我を負わせていた。健太さんや香奈を危険に晒すわけにはいかない。俺は顔を覆うように読んでいた週刊誌を腹に差し込んで、ベルトで留めた。穏便に解決することが望まれた。
悪事が露見する発端は、商品の過剰発注だった。横領の手口である架空発注が実際に発注されてしまっていたのだ。お粗末な話だが、後には退けない加賀谷は過激な行動に出た。社内調査の網を搔い潜り、可能な限りの資産を現金化して、その大半を持ち逃げした。逮捕されたのは夏休みに入ってすぐの七月の下旬だったと思う。しかし、現金はなかなか健太さんの手元には戻ってこなかった。銀行の融資もすぐには対応できず、会社の資金繰りが急激に悪化。一時は倒産の噂もまことしやかに囁かれていた。
この事件が我が校に与えた影響は非常に大きかった。特に、福祉コースとスポーツ科学コースはウェルネスエストグループの援助で成り立っていると言っても過言ではない。備品から就職先の斡旋に至るまで、大部分を依存していた。援助の中止により、両コースの統廃合が決定されるのである。それだけじゃない。文化祭をはじめとした各行事の縮小や、部活動の制限を余儀なくされた。
その煽りをまともに食らったのが、結衣の率いる新生徒会だった。校則緩和の余波が尾を引く中、学校の存亡に関わる問題に直面することとなった。俺と優子は受験勉強の合間を縫って、問題の解決に奔走した。なんとか表面上を取り繕う形までは持ちこんだが、学校の未来に大きな禍根を残す結果となったのだ。
出てきた! 加賀谷だ!
俺はマスクで口元を覆い、早足に加賀谷へ近づくと、進路を塞ぐように立ちはだかった。加賀谷の顔に焦りの表情が浮かぶ。
「加賀谷、正平さん、ですね?」
俺は敢えて低い声を出した。
「……なんだね、君は?」
不審者の誰何に、加賀谷は明らかな警戒を示す。
「横領した物を返しなさい。あなたは確実に捕まります」
「な……⁉」
加賀谷は絶句した。
「あなたの行動は多くの人に迷惑を掛けます。既に警察が取り囲んでいます。逃げることはできません」
嘘だった。さすがに証拠もないのに警察を動かすことはできなかった。三年手帳を見せた所で、頭のおかしな奴だと思われるに違いない。俺でもそう思う。
「……なぜ知っている」
「説明はできません。自首してください。今ならまだ間に合います」
加賀谷は迷っているようだった。しかし、観念したようにゆっくりと、抱いていた鞄を降ろそうとした次の瞬間、猛烈な勢いで踵を返した。路地を駆け抜けていく。
「待てっ!」
俺は追いかけた。細い路地を何度か曲がりながら、加賀谷は道端の自転車やごみ箱を倒して妨害を試みた。辛うじて躱しながら進むも、意外と速い。見失うかと思われた所で加賀谷の青いスーツが目に入った。フェンスをよじ登っている。有刺鉄線がスーツを破るのも気にすることなく、加賀谷はフェンスの向こう側へ転がり落ちた。停めてあった外車に慌てて飛び乗ると急発進し、スキール音を響かせながら走り去った。
逃げられた。逃がしてしまった……。
俺は息を切らせながら、フェンスに寄りかかった。バイクの免許でも取っておくべきだった。天を仰ぎ、これから起こる絶望を考えて身を焦がす思いに包まれた。
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