七十二節、一夜の大冒険(後)
「男女間においての“好き”の感情って、具体的にどういうものを指すと思う?」
深夜を回っても、シエスタとシディアンの語らいは続いていた。
そろそろ寝なくてはならないのは二人にも分かってはいたのだが、ウマがあった二人にはいまこの時間が楽しくて仕方なかったのだ。
「好きという感情を具体的に…?」
唐突なシエスタの質問に、シディアンは少し考えを巡らせ、「あなたが欲しいー! みたいな?」、といった。
ドラマでよく見るシーンだというシディアンに、「そうね」、シエスタはくすくす笑いながら頷いた。
まだお互い知り合って一日も経ってない。しかし、二人はまるで旧知の友人のようだった。
年が近いせいか話題も事欠かなくて、どちらかが一言発するたびにどちらかが笑い出す。
特にシエスタから刺激的な話ばかりを聞けて、シディアンの目は爛々と輝いていた。
興奮は未だ覚めやらず、「相手が欲しい、自分のものにしたいという感情。他にも色々あるけれど、それが主な“好きという感情”の根本ね」、シエスタの話に聞き入った。
「そしてその感情の延長線上として…いえ、好きという気持ちを伝える手段として、性行為というものがある」
「一般的にはそうだと思うけど…」
「そうね」
そういって、一瞬黙り込んだシエスタは、しばしグラスに入った紅茶に視線を落とす。
褐色の液体が回っている様を見つめていた彼女は、
「じゃあ、もし…もしね、その隔たりがなかったとしたら?」
ミステリアスに微笑んだまま、目線をシディアンに戻した。
シディアンは案の定、「え?」、と不思議そうな表情を浮かべている。
素が優しい笑い顔だった彼女に笑いかけ、「肉体という隔たりがなかったとしたら?」、シエスタは続けた。
「相手が欲しい、自分のものにしたいという感情の終着点に性行為というものがあったとしたなら、それは肉体というものがあった上での話になる。じゃあ仮に、その肉体がなかったとして、感情のみがそこにあったとしたらどうなると思う?」
まただ。また、シディアンには考え付かない…考えたこともないが、面白そうな質問が寄せられた。
「肉体がない…」
つまり自分というものを形成する物理的要素を撤廃し、意識という存在のみが惹かれあった場合にはどうなるとシエスタは問うている。
う〜ん、としばらく唸り声を上げていたシディアンだが、突拍子もない問いかけだったので「分からないわ。どうなるの?」、早くその答えが知りたいとばかりに音を上げた。
「私もこの肉体というものがある以上、肌の触れ合いで満足してしまっているからそこまでの経験はないわ」
シエスタは切れ長の目を細めつつ、再び紅茶に視線を落とす。「けれど、私たちから出てくる触手は相手の心に触れることができる。肉体という隔たりを超えて、触れ合えることができる。その片鱗を感じることは出来るのよ」
肉体を通さない、意識のみの性行為。
シディアンは思わず生唾を飲み込んでしまい、「そ、それで? 感情の終着点は?」、やや緊張した面持ちで続きを促した。
「意識も何もかも、吸われてしまうわ」
なかなかに衝撃的なことを、シエスタはいった。「気持ちや感情、感じていること。自分という存在。その何もかもが、相手に吸われるような感覚になるの」
シディアンは目を見開いたまま、シエスタの話に聞き入っている。
「さっきも話した通り、男女間においての好きという感情は、相手を欲するものに近い。その欲求は、端的にいえば性行為で満たされる。その肉体を使ってね。下品にいうとイったら終わり。けれど、その肉体がなければ終着点はないということになる。肉体という隔たりがなくなると、際限なく相手を欲して、吸い尽くしたくなっちゃうのよ。無頓着に表現すると、掃除機みたいなものね」
比喩でもなんでもなく、自分というものが全て相手のものに。
シディアンは驚愕の表情を浮かべ、「ぜ、全部吸われたら、どう…なるの…?」、好奇心に赴くまま、答えをさらに急かした。
そこでシエスタは口元を緩め、「もうもみくちゃよ」、それまでのミステリアスな笑みを消して椅子の背にもたれる。
「感覚も意識も全て、相手と混濁してしまう。コーヒーとミルクが混ざり合うように、一つになっちゃう感じかしら」
「ひ、一つに…?」
「ええ、一つに。好きという感情のみの終着点は、相手を自分のものにしたいとかいうレベルではなくて、存在そのものと同化したいということかも知れないわね」
一通り話したところでシエスタは紅茶を飲み、口の中を潤す。
対するシディアンは固まったままだった。
文字通りの一心同体。それが究極ともいえる愛の形に思え、しばし反応できなかったのだ。
すっかり顔は上気し、体中が熱い。それほどにシエスタの話は、シディアンにとっては情熱的に聞こえていたのだろう。
「思えば人と人が愛し合うのだって、肌を重ねたり身体を絡ませあう行為が多い。肉体があっても、無意識にそうして一つになろうとしていたのかも知れないわね。その子供たちが、同化した証ともいえるのかも知れない」
「そ、そう、ね…」
「そういう意味で考えれば、私たちヴァンプ族の吸魔行為は、通常の性行為とは比べ物にならないほど卑猥な、けれど幸福なものだといえるかも知れない」
固まったままのシディアンに、シエスタはさらに続ける。
「私の場合、一つになったのは一瞬だけ。その片鱗しか味わえてないの。心まで吸い尽くされて全てが同化した先に何があるかは、私でも想像つかないわ」
そういって、再び優雅に紅茶を啜り始める。
女性誌に書かれている性特集とは段違いに刺激的なシエスタの話に、シディアンの興味はまだまだ尽きないようだった。
「もうすぐ夜が明けちゃいそうだよ!」
ダインの背中にしがみついていたルシラは、肉壁を通して“外”が見えるのか、そういってきた。
「間に合わないかも!」
「くっ…スピード上げるから、もっと強く俺に掴まってろ!」
ダインはさらに足の回転速度を上げる。
精神体になっても身体能力の高さはそのままだったようで、トップスピードで走る車よりも景色の移り変わりが早くなった。
襲いくる触手を避け、ルシラの予知によってトラップを回避し、とにかく出口を目指す。
もう大陸間を渡るほどの距離は走ったかもしれない。
それでも前方は真っ暗なままで、出口らしいものが見える気配はなかった。
「んっ…あ、あ…っ!」
おまけに、抱えていたニーニアからは不安になるような喘ぎ声が漏れていた。
未だ目を覚ましてはいないが、身体は震え続けており、顔は真っ赤で、全身にしっとりとした汗までかきだしている。
「お、おい、ニーニ…」
眼下の彼女に意識を取られたのが原因だろう。
下からせり上がってきた触手に反応するのが一歩遅れてしまい、舌のような形だったそれはニーニアの下半身をべろりと舐める。
「うお…!?」
「ああ…っ!」
するとニーニアは大きく体を震わせ、口からはっきりとした声が漏れた。
触手の追撃を恐れダインは素早く跳躍し、「くそっ! ニーニア、大丈夫…」、いいかけて、彼は思わず走りを止めてしまった。
パジャマ姿でいたはずの、ニーニアの服が少し溶けていたのだ。
まるで消化液に溶かされたように穴が開き、そこから太ももの一部が見える。
「る、ルシラ! どういうことだ!?」
思いもよらない現象に、ダインはルシラの方を振り返る。
ニーニアの状況を確認したルシラは、「あー…多分、ニーニアちゃんの魔力が吸い尽くされたせいかも」、と言い出した。
「魔力がなくなったから、今度はニーニアちゃんの“心”の方を吸い始めたかもしれないよ」
「は、はぁ!? 心!?」
これにはさすがに驚きの声を上げてしまったダインだが、「うん」、相変わらず緊張感のかけらも感じないような笑顔で、彼女はいった。
「私たちはいま精神体だから、いま着てる服は心の服…精神を守っている鎧だっていうことだよ」
「それが溶けてるっつーことは…」
「鎧を溶かしてニーニアちゃんの心を吸おうとしているってことだね」
「超やべぇじゃん!」
「あ、でももちろん攻撃してる意味で服が溶けてるんじゃないよ」
あくまで危険ではないといいつつ、「きっとね、ニーニアちゃんが、全てをダインに差し出そうとしているからだと思う」、ルシラはこれまた笑顔のままいった。
「差し出すって…心まで俺に吸われたがっているってことか?」
「うん。文字通り、身も心もっていうことだね!」
「いや、さすがにやばいだろそれは!」
「まぁ吸わせるというか、ダインに何もかもあげたいんだろうね。それぐらいニーニアちゃんはダインのこと…」
ルシラと会話に夢中だったため、ダインはまた油断してしまっていた。
天井から伸びていた触手の舌がダインほど素早く動き、またニーニアの上半身を舐めてしまう。
「んあ…っ!」
ニーニアはまたびくりと反応し、パジャマがさらに溶けていく。
色々見えてきたので、「る、るるルシラ! どうにかしてくれ!」、咄嗟にニーニアから視線を逸らしつついった。
「せ、せめて俺から見えないようにしてくれ!」
「あはは! うん!」
ルシラは笑いながらニーニアに覆いかぶさろうとするものの、「あ」、途中で声を上げた。
「ど、どうした?」
「もう私も時間かも!」
「え?」
「朝が来たら私もここにはいられなくなるから!」
「ちょ…ま、マジかよ!」
「ごめんねダイン!」
背中がふっと軽くなる。
ルシラの体が浮いており、徐々に背景に同化して透けていった。
「後は頑張って! 出口はもうすぐそこだと思うから!」
ルシラが指差す先を見ると、確かにトンネルのような真っ暗な先に小さな光が見える。
「じゃあまたね、ダイン!」
「あっ! ちょ…!」
呼び止める間もなく、ルシラの姿は完全に消えてしまった。
(触手も回りにあるものも全部ダインだから、傷つけたりしちゃ駄目だよ!)
ルシラの声だけが、肉塊の蠢く洞窟内に木霊する。
何も傷つけず破壊せず、出口を目指せということだろう。
背後からは無数の気配がする。
振り向くと、そこにはニーニアを何としてでも捕らえようととてつもない数の触手たちがにじり寄ってきていた。
ネットタイプやカゴタイプ、ロボットタイプやモンスターを模したものまで。
とにかく想像しうる限りのモノを作り出し、いままさにダインとニーニアに襲い掛かろうとしていた。
必死どころか焦っているようにも見える。それはつまり、ルシラのいっていた通り出口が近いということだ。
ホラー映画でありがちな最終局面を思い出していたダインは、ニーニアを抱えなおして駆け出した。
が、一歩進んだ瞬間、前方の地面や天井、壁から大量の触手が現れた。それは絡まるようにして繋がっていき、一つの固まりになって壁となる。
「げ…」
出口が塞がってしまった。後ろの有象無象も一つに解け合い、壁となっている。
徐々に押し迫ってくる肉壁。さらに天井もゆっくりと降下を始めたようだ。
「ま…まずいな…さすがに…」
ルシラには止められていたが、破壊するしか退路は開かれない。
そう思い、ぐっと手に力を込めたときだった。
「ん…んん…」
抱えていたニーニアの口から声が漏れ出す。
閉じられたまぶたが僅かに震え、徐々にその目が開かれていった。
「ニーニア!」
呼びかけると、「あ…ダイン、君…」、ダインを見て、はっきりとした声を出した。
気付けば彼女のパジャマはボロボロになっており、ほとんど裸に近い。
意識を強く持ちニーニアの顔だけを見るようにして、「いま混乱してるかもしれないが、どうにかするからしばらくジッとしてろな」、といった。
「ダイン君…」
ボーっとした彼女の目は、ダインを捉えたまま。
この異常な光景は見えているはずなのに、彼女の視線は少しも動かなかった。
「ニーニア?」
彼女の様子がおかしいことに気付き、大ピンチであるにもかかわらず、ダインはニーニアをジッと見てしまう。
「ダイン君…ふふ…」
彼ににっこりと微笑んだかと思いきや、ニーニアは彼の頬に手を添え、上半身をあげ…顔が迫ってきた。
「え? どうし…」
あまりに自然な動作だったからかも知れない。その一連の動きに躊躇いは全く感じられなくて、だからニーニアがしていること…されていることに、ダインは一瞬では理解できなかった。
唇に当たった柔らかいものが離れていき、再びニーニアの笑顔と目が合う。
すぐ背後まで迫ってきた肉壁。差し迫った天井はすぐ真上にあり、もはや立ち上がることも動くことすらできない。
そんな状況なのに、ダインをジッと見つめていたニーニアは再び口を開いて…、
「━━大好き━━」
そこでダインとニーニアは、ダインの“本能”に全て飲み込まれてしまった。
「━━うわぁっ!?」
声を張り上げ上半身を起こした瞬間、「わぁっ!?」、という別の驚きの声が間近から聞こえた。
顔を向けると、そこにはシンシアとティエリアがいた。
彼女たちは驚愕の表情でこちらに目を向けている。
「あ、よ、良かったぁ…目を覚ましたんだね」
と、こちらを見ながらシンシアはほっとしたようにいった。
彼女の背後には窓があり、そこから部屋の中に朝日が差し込んできている。
どうやら夜が明けたらしい。
「ずっと身悶えていたから心配だったんだよ。いくら揺らしても起きないし…」
というシンシアに続き、「何かございましたか?」、ティエリアが心配そうに尋ねてきた。
「あ、いや、何も…」
先ほどまで見ていた“半現実”のことがフラッシュバックする。
何もかもが不可思議で艶かしい記憶にまた体が震えそうになるが、気丈に振舞って彼女たちに笑いかけた。
「ちょっと変な夢見ててさ。でももう大丈夫だ」
と、彼女たちを安心させようといったつもりなのだが、
「え? う、うん…うん…?」
どういうわけか、シンシアとティエリアは不思議そうな顔でこちらを見る。
「ん? どうした?」
「え、いや、どうしたって…え?」
また驚いたような、不思議がるような顔になった。
「ほ、本当に大丈夫ですか?」
反対側からティエリアもベッドに身を乗り出してきて、熱はないかと額に触れてきた。
「え、俺どこかおかしいか?」
「お、俺…?」
三度、シンシアたちはびっくりして、何故かお互いに顔を見合わせる。
そのとき、部屋のドアが勢い良く開かれた。
「だいんどこーーー!!」
そんな元気な声と共に入室してきたのはルシラだ。彼女はベッドの上で固まるシンシア達を見るなり、「あ、だいん!」、顔に笑顔を広げていく。
「だいん、おはよーー!!」
「るしらも混ざる!」、といいながら、ベッドにダイブしてきた。そのまま布団の中を泳ぐようにして近づき、“ダイン”に抱きつく。
「…だ、ダイン?」
シンシアもティエリアも困惑しっぱなしのようだ。
「いや、二人こそどうしたんだよ? なんかおかしいぞ?」
ダインが疑問を向けるも、「お、おかしいも何も…ダイン、君?」、と、何故か改まったようにきいてきた。
「俺だけど…どっか変なのか?」
自分の顔を触ろうとしたダインだが、シンシアは「あ、あれ見てみて」、と部屋の隅に置かれてあった姿見を指差した。
「わ、私たちが驚いてるのが分かるはずだから…」
そんな声につられるように、ダインはどういうことだと思いつつベッドから降りて、姿見の前に立つ。
自分の姿を確認し、“彼”は長い間を置いた後、「…は?」、と声を出してしまう。
そこに映っていたのは、茶色い髪、短い手足、子供のように小さな等身。
なんとも可愛らしい顔つきをした、見知った人物であるはずの…、
━━ニーニアだった。




