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Reincarnation Memories  作者: 斗真


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6/6

ノア

今ここにいる私の名前

その夜、トーマは眠れなかった。


大会の傷はもうほとんど治っている。


体が痛むわけではない。


忘却の剣の声が聞こえるわけでもない。


ただ、目を閉じると白い服が見えた。


崩れかけた塔。


黒く染まった空。


遠ざかっていく背中。


そして、泣きそうな声。


トーマ、行かないで。


顔は見えない。


手を伸ばしても届かない。


夢の中の少女は、いつも同じ場所に立っている。


その声は、ノアによく似ていた。


トーマは寝台から起き上がった。


このまま目を閉じても、また同じ夢を見る気がした。


上着を羽織り、部屋を出る。


夜のシェイン王国は静かだった。


廊下に並ぶ魔法灯が、淡い光を落としている。


見張りの兵へ軽く頭を下げ、城の中庭へ向かう。


外の風を浴びれば、少しは頭が冷えると思った。


だが、中庭へ出る扉の前で、微かな魔力の揺れを感じた。


柔らかい。


けれど、あまりにも大きい。


この魔力を、トーマは知っている。


「ノア?」


中庭の中央。


星空の下に、ノアが一人で立っていた。


白い寝間着の上に薄い外套を羽織り、両手を前へ伸ばしている。


その周囲には、半透明の魔力膜が浮かんでいた。


一枚。


二枚。


三枚。


形の異なる膜が、ノアを囲むようにゆっくりと回っている。


守る膜。


流す膜。


支える膜。


テリア女王から教わった三種類。


だが、そのどれも不安定だった。


膜の端が揺れ、時折大きく膨らむ。


ノアの小さな体から溢れる魔力を、形に収めきれていない。


「ノア」


トーマがもう一度呼ぶと、ノアの肩が跳ねた。


魔力膜が一斉に膨らむ。


空気が震えた。


「っ……!」


トーマの目前へ、青白い膜が迫る。


だが直前で止まった。


ノアが両手を強く握りしめている。


「止まって……!」


膜は大きく揺れた後、夜の空気へ溶けるように消えた。


ノアは息を切らし、その場に膝をつく。


トーマはすぐに駆け寄った。


「大丈夫か?」


「うん……」


「どこか痛い?」


「痛くない」


ノアは俯いたまま答える。


「失敗しただけ」


「こんな時間に練習していたのか?」


「少しだけ」


「一人で?」


ノアは頷いた。


トーマはノアの隣へしゃがむ。


「ロイドに見つかったら怒られるぞ」


「トーマも夜に出歩いてる」


「俺は練習してない」


「じゃあ、何をしてたの?」


「眠れなかった」


ノアが顔を上げる。


「夢?」


トーマは少しだけ答えに迷った。


ノアはその迷いを見て、視線を落とした。


「白い女の子?」


風が吹いた。


ノアの白い寝間着が、微かに揺れる。


夢の中の少女と重なる。


トーマはすぐに目を逸らした。


その動きを、ノアは見逃さなかった。


「やっぱり」


声が小さくなる。


「私に似てるんだね」


「ノア」


「声も?」


トーマは黙った。


嘘をつくべきではない。


けれど、正直に言えば傷つけるかもしれない。


迷っていると、ノアが先に言った。


「似てるんでしょ」


「……似ている」


ノアの指が、外套の裾を強く握る。


「そっか」


その一言は、とても静かだった。


泣いてはいない。


怒ってもいない。


ただ、何かを諦めようとしているように聞こえた。


トーマは彼女の横顔を見る。


「どうして一人で練習していたんだ?」


「強くなりたかったから」


「合同訓練でも十分やっていただろ」


「足りない」


「何が?」


ノアは答えなかった。


立ち上がろうとして、少しふらつく。


トーマが腕を支えると、ノアは一瞬だけ身を固くした。


それから、そっと腕を離した。


普段なら、トーマに触れられて避けることはない。


その小さな拒絶が、胸に刺さった。


「ノア」


「私、もっとちゃんとできるようにならないと」


ノアは空を見上げた。


「みんなは、ちゃんと自分の力を持ってる」


「ノアにもある」


「私のは、大きいだけ」


「大きいだけじゃない」


「制御できない」


ノアの声が、少しずつ震える。


「戦おうとすると怖くなる。誰かを傷つけるかもしれない。守ろうとしても、大きくなりすぎる。止めようとすると、全部消えちゃう」


トーマは黙って聞いていた。


ノアは普段、あまり弱音を口にしない。


不安そうにすることはある。


けれど、怖いと直接言うことは少ない。


自分の力が皆を傷つけるかもしれない。


それを誰より恐れている。


「私がもっと強ければ」


ノアが続ける。


「トーマを守れる」


「守ってもらってる」


「足りない」


「十分だ」


「十分じゃない」


ノアは首を振った。


「地下で、トーマが剣に取られた時、私は名前を呼ぶことしかできなかった」


「その声で戻れた」


「でも、止めたのはセイレンとルーク。剣を引き離したのは、みんな」


「ノアがいなければ、戻れなかった」


「本当に?」


ノアがトーマを見る。


瞳が揺れている。


「本当に、私だったから戻ったの?」


トーマは息を止めた。


ノアは胸元を握る。


「夢の女の子に似ていたからじゃないの?」


その言葉で、ようやく分かった。


ノアが怖がっているもの。


自分の魔力ではない。


少なくとも、それだけではない。


トーマの中にいる、名前の分からない少女。


自分がその誰かの代わりとして見られているのではないか。


トーマが名前を呼んだのも。


一緒に逃げないと約束したのも。


ノア自身ではなく、失った誰かを重ねていたからではないか。


その不安を、ノアはずっと抱えていた。


「だから強くなろうとしていたのか?」


ノアは答えない。


「夢の少女より、役に立てるように?」


ノアの瞳から、一滴だけ涙が落ちた。


「……分からない」


子どもらしい、掠れた声だった。


「私、その子のこと知らない」


「ああ」


「でも、トーマはその子を知ってるかもしれない」


「覚えていない」


「いつか思い出すかもしれない」


「そうだな」


「その時、私がいらなくなったらどうしようって思う」


涙がもう一滴落ちる。


ノアは慌てて袖で拭った。


「変だよね」


「変じゃない」


「だって、まだ何も分からないのに」


「分からないから怖いんだ」


ノアはトーマを見る。


トーマは彼女の隣へ座った。


今度は触れずに、同じ星空を見上げる。


「俺も怖い」


「トーマも?」


「ああ」


「何が怖いの?」


トーマは少し考える。


「過去を思い出すこと」


ノアの目が揺れる。


「思い出したいんじゃないの?」


「思い出したい」


「じゃあ、どうして?」


「思い出した時、今の俺が変わるかもしれないから」


トーマは自分の手を見る。


「もし、昔の俺が誰かを殺していたら。皆の敵だったら。夢の少女に酷いことをしていたら」


記録喰いの声が蘇る。


【思い出せ。お前が何を殺したのか。】


「過去を知ったせいで、ノアたちの前にいられなくなるかもしれない」


「そんなことない」


ノアはすぐに言った。


「過去に何があっても、トーマはトーマ」


「ノアはそう言ってくれた」


「うん」


「俺も同じことを言う」


トーマはノアへ向き直った。


「夢の少女が誰でも、ノアはノアだ」


ノアは黙っている。


「似ているかもしれない。声も、姿も。何か繋がりがあるかもしれない」


「……うん」


「でも、今ここにいるノアと、夢の中にいる誰かは同じじゃない」


「同じ人だったら?」


「それでも、今ここにいるノアを見る」


トーマははっきりと言った。


「俺が知っているノアは、ミアが突っ込むと心配する。ユナが静かにしていると隣に座る。魔力が怖いのに、誰かを守ろうとする」


ノアの目から、また涙が落ちる。


「甘いものを食べる時、少しだけ嬉しそうな顔をする。眠い時は髪が跳ねる。俺が怪我すると、自分が痛そうな顔をする」


「そんなところまで見てたの?」


「見ていた」


「……恥ずかしい」


「どうして?」


「分からない」


ノアは顔を伏せた。


けれど、先ほどまでのように距離を取ろうとはしなかった。


「それは夢の少女のことじゃない」


トーマは続ける。


「俺が今まで見てきたノアのことだ」


「でも、その子を思い出したら」


「思い出しても、ノアが消えるわけじゃない」


「トーマがいなくなるかもしれない」


「それは」


トーマは一瞬、言葉に詰まった。


絶対にいなくならない。


そう約束することはできない。


記録喰いがいる。


忘却の剣もある。


自分の過去には、まだ何が眠っているか分からない。


軽い言葉で安心させることはできなかった。


「いなくなるかもしれない」


トーマが言うと、ノアの肩が震えた。


「でも、何も言わずにいなくならない」


ノアが顔を上げる。


「もし過去を思い出して、どこかへ行かなければならなくなったら、ノアに話す」


「止めても?」


「話す」


「一緒に行くって言ったら?」


トーマは少し困った。


「危険なら連れていけない」


「嫌」


「ノア」


「一緒に逃げないって約束した」


「逃げないことと、危険な場所へ連れていくことは別だ」


ノアは頬を膨らませる。


「トーマはすぐ一人で行こうとする」


「そうか?」


「そう」


「覚えてない」


「そこを忘れないで」


トーマは少し笑った。


「記録帳に書く」


「書いて」


ノアの口元にも、小さな笑みが戻った。


風が吹く。


夜空には、無数の星が浮かんでいた。


ノアはしばらく空を眺め、それから両手を前へ出す。


「もう一回、やってもいい?」


「魔力膜?」


「うん」


「無理はするな」


「今度は、小さくする」


ノアは目を閉じた。


魔力が集まる。


先ほどのように一気に膨らませるのではない。


両手の間に、小さく。


丸い膜。


手のひらに収まるほどの、青白い光。


しかし、すぐに形が揺れ始める。


「大きくなりそう」


ノアが不安そうに言う。


「止めなくていい」


トーマは答えた。


「でも、広がったら」


「俺がここにいる」


「止められないよ?」


「止めなくていい。どこまで広げるか、一緒に決めよう」


ノアは目を開けた。


「一緒に?」


「ああ」


トーマは手を伸ばす。


魔力膜へ触れるわけではない。


ノアの手の横に、自分の手を並べる。


「ここまで」


二人の手を囲むほど。


小さな範囲。


「ここを守る膜にすればいい」


ノアは頷く。


魔力膜がゆっくり広がる。


トーマとノアの手を包み。


二人の肩を包み。


頭上まで伸びていく。


大きくなりすぎそうになるたびに、ノアはトーマを見る。


トーマは言う。


「まだ大丈夫」


少し広がる。


「そこまで」


ノアが息を整える。


膜の成長が止まった。


二人を覆う、小さな半球。


空気は柔らかく、外の風だけが静かに流されていく。


星明かりが膜に反射し、青白い光の粒となって降り注ぐ。


ノアは頭上を見上げた。


「できた」


「ああ」


「止められた」


「ノアが止めた」


「トーマがいたから」


「でも、動かしたのはノアだ」


ノアはしばらく魔力膜を見ていた。


大きな力ではない。


敵を倒す力でもない。


二人が座る場所を、夜風から守るだけの小さな膜。


それでも、ノアはとても嬉しそうだった。


「名前をつけたい」


「この膜に?」


「うん」


「何て名前にする?」


ノアは考える。


長い沈黙。


星の光が、膜の表面を流れていく。


「帰る場所」


「膜の名前としては少し長いな」


「じゃあ……帰星」


「きせい?」


「帰る星って書く」


ノアは小さく笑う。


「遠くにいても、見つけられるように」


「いい名前だ」


「本当?」


「ああ。ノアが決めた名前だから」


ノアは魔力膜へ手を触れる。


「帰星」


名前を呼ぶと、膜が少しだけ明るくなった。


まるで、自分の名を受け入れたように。


ノアはその光を見ながら、トーマへ少し近づいた。


肩と肩が触れる。


今度は離れなかった。


「トーマ」


「何だ?」


「夢の女の子を思い出しても、教えて」


「ああ」


「どんな人だったかも」


「分かった」


「私に似てても?」


「教える」


「似てなくても?」


「教える」


ノアは頷いた。


「私も、怖いことを話す」


「今みたいに?」


「うん。一人で練習する前に」


「それがいい」


「でも、少しは一人でもできるようになりたい」


「ノアならできる」


「トーマは簡単に言うね」


「できると思ってるから」


ノアはトーマの横顔を見る。


疑っていない顔。


夢の誰かを見ているのではない。


今ここにいる自分を見ている。


そう思いたかった。


今夜だけは、信じられた。


ノアは少しだけ迷ってから、トーマの袖を掴んだ。


「もう少し、このままでいていい?」


「魔力膜の練習か?」


「それもある」


「ほかにも?」


ノアは答えない。


ただ、袖を掴む指に少し力を込める。


トーマは追及しなかった。


「いいよ」


二人は小さな魔力膜の中で、並んで星を見た。


話すことは少なかった。


それでも、沈黙は苦しくなかった。


夢の少女の声も。


忘却の剣の囁きも。


今だけは遠い。


そこにいたのは、過去を失ったトーマと。


大きすぎる力を怖がるノア。


今ここにいる、二人だけだった。

ノアの訓練帳


帰星。

小さな範囲を守る膜。

遠くへ行きそうな人が、帰る場所を見失わないための光。

一人ではなく、誰かと一緒に大きさを決める。


その下には、トーマの字で追記があった。


ノア。

夢の少女に似ているかもしれない。

でも、今ここにいるノアは、夢の中の誰かではない。

ノアはノア。

俺が帰る場所を作ってくれた人。


さらにその下に、ノアの小さな字が増えていた。


トーマもトーマ。

過去を思い出しても、今のトーマは消えない。

一人で行かないこと。


そして、最後の一行だけは、少し強く書かれていた。


帰る時は、私の名前を呼ぶこと。


その夜から、トーマが悪い夢を見た後には、中庭に小さな青白い光が浮かぶようになった。


それは星ほど遠くなく。


灯火ほど弱くない。


トーマが名前を呼べば、いつでも見つけられる場所にあった。

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