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第59話:62,000本の納品

2027年2月


川崎ダンジョンの地下工房に引きこもり、材料工作に没頭していたおじさんは、ある重大なことを完全に失念していた。


横浜第三ダンジョンの専属窓口で、彼女に角うさぎの角の換金を相談したきり、放置してしまっていたのだ。


前回の個別契約の際、おじさんは彼女に『数1000本ほど持っている』とかなり控えめに切り出していた。


(あの時は手元に数1000本あると伝えたはずだが、在庫を再集計してみたら現実の数値は私の記憶を遥かに超越していたな)


正確には、62,900本。

ほぼ63,000本という、大型トラックの荷台を完全に埋め尽くす数量が、インベントリーに眠っていたのである。


重量にすれば約3tに達する規模だ。

さらに言えば、自動罠から得られた角うさぎの魔石の方も60,000個近くに達していた。


これだけの量の魔石をいちいち両手で握り、魔力を取り出して体外の魔力庫へ移し替える作業など、今のおじさんには到底時間が足りない。


そのため、魔石の方はすべて『インベントリー』の肥やしとして突っ込んだまま、完全に放置せざるを得ない状況だった。


「さすがに、これ以上の在庫過多はな……」


完全に収拾が付かなくなってきたため、おじさんは一度、川崎ダンジョンに設置した角うさぎの自動罠を止めることにした。


ただし、今後の主力兵器となる魔石ライフルの『角弾』の消耗に備え、予備の素材として常に1,000本は手元に残しておく必要がある。


それを差し引くと、今回地上へ搬出して換金に回す正味の数量は、正確に『62,000本』となった。


ひとまず、おじさんは換金の具体的なスケジュールを話し合うため、『横浜第三ダンジョン』の探索者協会支部へと向かった。


正面ロビーに入ると、いつものように不人気窓口の前に座っていた彼女がおじさんを認め、無言で『準備中』の札を出して奥の防音個室へと案内してくれた。


個別対応は実に快適である。

個室のドアが閉まり、ソファに向かい合って腰を下ろしたところで、おじさんは大人のポーカーフェイスを維持したまま、口頭で提示した。


「さっそく前回の件なのですが、あの後、手元の在庫を正確にというか、よくよく数え直してみたところ、角うさぎの角が62,000本ほどありました」


「……」


いつも鉄面皮を崩さないクール・ビューティーな専属担当の彼女が、視線を凍りつかせ、言葉を失うのが分かった。

おじさんはお構いなしに、淡々と切り出した。


「さすがにこれだけの量を一度に持ち込むのは物理的に不可能です。ですので、1回の量を25kg、本数にしてちょうど500本ずつにまとめ、小分けにして持参しようと考えています」


「計算すると、合計で124回の分割になりますが……全部順次換金の手続きを処理してもらうことは可能でしょうか?」


骨の角500本(25kg)といえば、現代社会の一般的な40~50Lサイズの登山用リュックサックに綺麗に収まる量だ。


これなら『地道に狩って運んできた風の、ちょっとタフなおじさん』のカモフラージュが成立する。


彼女の大きな瞳の奥には、聞きたくてたまらないという強烈な疑問の光が揺らめいている。


(還暦Fランクの老人が、一体どうやってそんな桁違いの数量を入手したのか。一体どこの秘密倉庫にそれほど大量の角を隠匿しているのか、とでも言いたげな目だな)


しかし、個別契約の条件1『協会側は早坂の活動に対して一切の干渉・強制を行わない』という絶対のルールがある。


彼女はプロの職員としてその探求心をぐっと押し殺し、深く息を吸ってから、いつも通りの感情の読めない声で答えた。


「……承知いたしました。62,000本、124回にわたる分割納品ですね。我が支部の特例個別対応として、すべて規約通りに処理させていただきます」


「ありがとうございます。それでは、さっそく明日から納品を開始します」


     *


おじさんは一度、川崎ダンジョンの地下拠点へと赴き、倉庫に眠っていた膨大な角の山を、インベントリー内へすべて収納した。


まずは、自宅マンションのリビングの静かな空気の中で、インベントリーから正確に500本の角を現実世界へと引き出す。それを頑丈な登山用リュックサックの内部へと綺麗に隙間なく詰め込む。


そして、その25kgの激重リュックサックを、そのまま丸ごともう一度インベントリーへと格納するのだ。質量が完全にゼロ化されたおかげで、おじさんの身体にかかる負担は皆無だ。


     *


翌日。

おじさんは手ぶらの完全な軽装のまま、鶴見の自宅を出て、電車に乗り横浜第三ダンジョンがある駅へと移動した。


これなら、街中で怪しまれるリスクもなければ、還暦のおじさんの背骨に余計な負荷をかける心配も一切ない。


目的の協会支部へと到着すると、おじさんはすぐに館内へは入らない。

あらかじめ調べておいた、周囲に人目がなく、防犯用の監視カメラの死角となっている屋外の狭い隙間へと滑り込んだ。


周囲の安全を入念に確認した上で、インベントリーからリュックサックを取り出す。

ずっしりとした25kgの質量がおじさんの両腕に宿る。


おじさんは手際よくリュックを背負い、腰ベルトをギチギチに締め込んで荷重を骨盤へ分散させた。それから、何事もなかったかのように平然とした顔で、協会の個室窓口へと足を運ぶのだ。


「ハァ……ハァ……。いやあ、台車を使うと目立つので、地道に背負って歩いてきました。還暦の手習いにしては、なかなかの重労働ですな」


個室のトレイに500本の角を整然と並べ、少しだけ息を切らせた『タフに頑張って運んできたおじさん』の擬態を演じてみせた。


彼女は呆れたような、しかしどこか感心したような目でおじさんを見つめた。

おじさんはこの輸送計画を、朝、昼、夕の『1日3回』行うことを日課とした。


1日に1,500本。

全62,000本を運び終えるには、単純計算で正確に『42日間』が必要だ。


(かつての会社員時代、毎月決まった日に給料が振り込まれるのが当たり前だったが。まさか隠居してから、自宅と協会窓口を往復する、歩荷(ぼっか)のような内職をすることになるとはな)


冬の肌寒い風が吹く横浜の街並みを、手ぶらで悠然と歩きながら、おじさんは自分の予想外のライフスタイルに自嘲の苦笑いを漏らした。


だが、仕方がない。

これがおじさんの選んだ、秘密を守りつつ、誰にも邪魔されない安全な資産形成なのだ。


1回往復して個室の手続きを終えるたび、おじさんの銀行口座には源泉徴収税を引かれた手取り『24万円』の金額が入金されていく。


1日3回で72万円。

これを42日間継続すれば、最終的な純利益は3,000万円オーバーという、会社員時代の年収を遥かに凌駕する天文学的な数字に達することになる。


スマートフォンの画面に次々と着信する、綺麗な右肩上がりの振込通知を眺めていた。


おじさんは今日もまた、ウィンドブレーカーの襟を正し、地道な納品へと足を運びながら内心でニヤニヤするのだった。


(つづく)

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