第40話:波長変換実験と水道局の不調
2026年11月
第四層の鍾乳洞から川崎ダンジョン第二層の地下工房へと戻ったおじさんは、すぐに作業台の前で深く息を吐き出した。
肉体的な疲労はそれほどでもない。
しかし、体内の魔力量は半分近くまで減少していた。
さらに悪いことに、遠征の際に予備の『角うさぎの魔石』を持ち忘れるという、初歩的なミスを犯していた。
もしあのまま手詰まりになっていればと思うと、背筋が寒くなる。
「事前の確認漏れは命取りだな。猛省せねばならん」
老眼鏡の位置を直しながら、おじさんは机の上に戦利品である高品質な『Gトードの魔石』を4個並べた。
現在の課題は明確だ。
以前、ダンジョン内の物質から魔素を抽出し、魔力を合成する工程までは成功している。
しかし、その状態の魔力は、おじさんの波長とは合わない。
また、魔石から抽出した魔力も、その魔物固有の波長のままだ。
おじさんの身体は現在、完全に角うさぎの波長へ適合しているため、これらを取り込むには、『波長変換』の手順を確立しなければならない。
「土から作った魔力でも、Gトードの魔石から抽出した魔力でも、自分の波長へ変換できなければ、そのまま体内に引き込んだ瞬間に波長ショックで気絶、最悪は死亡だからな……」
そう呟きながら、おじさんは内心でニヤニヤとした。
直面している課題の難度が高ければ高いほど、長年染み付いた手癖と知的好奇心がうずく。
データと手順の予測が立っているのなら、あとは実験を行うのみだっ!
まずは落ち着くことが先決だ。
温水シャワーを浴て、鍾乳洞の湿気と汚れをさっぱりと洗い流す。
浴室を出て流しの前に立った時、正面に貼り付けた『【警告】そのまま飲むな!』の文字が目に留まった。
おじさんはコップ1杯の清水を汲み、魔力を抜いてから、それをゆっくりと喉に流し込んで人心地つけた。
作業台に戻り、Gトードの魔石の横へ、基準として『角うさぎの魔石』を1個並べる。
ここで、『魔力眼』を発動した。
魔力眼は錬金術の理解を応用し、魔力の可視化と色による波長の識別を可能にしたものだ。
じっと目を凝らすと、角うさぎの魔石は、見慣れた、どこか温かみのある純度の高い『赤色』の光として可視化される。
一方、第四層で狩って来たGトードの魔石は、重たく粘り気のある、濃い『緑色』の波長として怪しく揺らめいていた。
「これだけ明確に色の差を可視化できるなら、あとは錬金術の『分解』と『再構築』の手順を用いて、この緑の波長を赤へ変換してやればいいはずだ」
仮説は構築された。おじさんはさっそく取りかかった。
まずはGトードの魔石から、濃い緑色の魔力を手のひらの上へと静かに抽出する。
そこへ、おじさんの体内を絶えず循環している赤の魔力を、指先からごく微量だけ『種火』として送り込んだ。
脳裏に描くのは、その緑色の魔力の波長を、種火である赤の波長へと変換していく鮮明なイメージだ。
しかし、最初の一歩は激しい抵抗に遭った。
緑の魔力が想像以上に強すぎて互いに反発し、手のひらの上の魔力がパチチと青や黄色に激しく明滅して弾ける。
同時に、急激な情報処理によって、おじさんのこめかみに軽い頭痛が走った。
「イメージが雑だ。もっとゆっくりと……波長を正確に合わせるように」
おじさんは焦りを出さず、計測器のツマミをミリ単位で合わせるように、脳内のイメージの解像度を微調整していった。
すると、ある瞬間、手のひらの上で激しく拒絶反応を起こしていた魔力が、スッと音もなく均一な、透き通るような美しい『赤色』へと変換された。
「……よし。波長変換、成功だな」
手のひらの上の魔力は、完全におじさんの身体が受け入れられる赤の適合波長へと生まれ変わっていた。
おじさんは恐る恐る、変換済みの魔力を手のひらのから体内循環経路へとゆっくり引き込んでみた。
懸念された拒絶反応は一切無い。
割れるような頭痛も、胃を突き上げるような不快感も皆無だった。魔力は滑らかにおじさんの体内循環経路内を循環してゆく。
半分程度に減っていた魔力がほんの少しだけ回復していく。
「これで『波長変換』の技術は完了だ。これからは、どんな魔獣の魔石やダンジョン物質であっても、私の身体に合った魔力に変えられる」
この技術の確立によって、手元にあるGトードの魔石だけでなく、いずれ手に入るであろう第五層のゴブリンやオークの魔石。
さらにはダンジョン内のすべての物質から抽出・合成した魔力であっても、すべて自分の都合の良い魔力へと変換できる。
「無限魔力庫に一歩近づいたな」
誰もいない地下工房の白い光の下で、おじさんは静かに、ニヤニヤとした笑みを深めるのだった。
*
波長変換の実験を終え、人心地ついたおじさんは、工房の設備の要である『ダンジョン水道局』の様子を見に行った。
しかし、水槽(生け簀)を覗き込んだ瞬間、おじさんは老眼鏡の奥の眉をひそめた。
「……ん? Wスライム君の様子が変だな」
天井裏に設置した生け簀の中で、半透明の淡青色をしたWスライムが、どうにも元気がなさそうに底の方で縮こまっている。
普段ならじわじわと滲み出させている清水の生成量も、目に見えて減っていた。
生活環境の維持において、水源の確保は生命線だ。このまま水道局が稼働停止を起こしては、シャワーもトイレも使えなくなってしまう。
「何が原因だ? 餌のようなものが必要なのか、それとも環境的な要因か……」
ノートを開いて対策を思案する。
生物を飼育する以上、栄養補給が必要なのは当然の理屈だ。
しかし、飲料水となる生け簀の中に、生ゴミのような有機物を放り込むのは衛生管理の観点から絶対に受け入れられない。
その時、退職直後に読み漁った大量のラノベの記憶が、おじさんの脳裏をよぎった。
(確か、いくつかの小説の設定では、スライムは魔石を食べることで元気になったり、進化したりしていたな……)
魔物である以上、その構成の根源たる魔素のエネルギーを欲するのは、理にかなった仕様かもしれない。
「相性があるかもしれないな。まずは同じ系統の、第一層のスライム魔石を試してみるか」
水で念入りに洗浄したスライムの魔石を1回取り出し、生け簀の中のWスライムへと近づけてみた。
すると、それまで底で縮こまっていたWスライムが、ピクリと反応を示した。
体表から1本の触手を素早く伸ばすと、おじさんの指先からスライムの魔石を絡め取り、そのまま自身の半透明な身体の中心へと包み込むようにして取り込んでしまったのだ。
取り込まれた魔石は、スライムの体液によってゆっくりと表面から分解され、魔力として吸収されていくようだった。
「あぁ、やっぱりお腹が空いていたのか」
予想通りの挙動に、おじさんは小さく声をあげた。
今度は異なる種類の『角うさぎの魔石』を取り出して近づけてみる。
すると、Wスライムは先ほどと同様に、何の躊躇もなく触手を伸ばして自分の中へと取り込んでしまった。
どうやら、取り込む魔石の種類による厳密な選別や拒絶反応はなさそうだ。
「魔石の種類は関係ないのかな。魔力源であれば何でも良いということか」
現在、おじさんの地下の自動罠によって、手元に最も多く在庫があるのは角うさぎの魔石である。
自家消費用として倉庫に山積みになっている中から、追加で10個ほどを選び、生け簀のWスライムへと惜しみなく与えてみた。
魔石を次々と体内に取り込んだWスライムは、先ほどまでの元気のなさが嘘のように、本来の瑞々しい淡青色の輝きを取り戻し、体表から再び清らかな水をじわじわと分泌し始めた。
「よし、水道局の方も元通りだな。定期的な魔石のえさやりも忘れずにしないとな」
元気になったWスライムの様子を見つめながら、おじさんはふと考えた。
小説の設定通りなら、このまま大量に魔石を与え続けたら、なにか不都合な変化、あるいは予期せぬ変異(進化)などを起こしたりはしないだろうか、という懸念が頭をよぎる。
しかし、目の前にあるちゃぷちゃぷと音を立てて生け簀を満たしていく清水を見る限り、特に問題はなさそうだ。
「まぁ、変化が出たらその時にまた考えればいいか。まずは拠点の快適性が最優先だ」
綺麗に流れる蛇口の水を眺めながら、おじさんは、ニヤニヤとするのだった。
(つづく)




