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悪なるミタマ  作者: 九尾
最終幕 悪なるミタマ編
69/100

挿入・大英 エリアス・リッケンバッカーという男

 まだ灯りの残る教会の白い廊下を、一〇人程度の使徒たちが走る。

 その中に、大男に引きずられる銀髪の女の姿があった。


「エリアスが、エリアスがまだ!」


 まだ、エリアスが来ていない。彼も一緒に、逃げなければならない。そう思った女――北条久遠を、大男――大城玄道はキッと睨み付ける。


「いい加減にしろ久遠ッ!」


 玄道の腕を振り払って戻ろうとする久遠に、これまで口を塞いでた玄道がとうとう口を開いた。


「お前、何のためにエリアスが残ると思ってる! 俺たちを逃がすためだろうが!」


「でも、でも……どの道勝ち目がないなら、ここで一緒に戦った方が……」


「それはありませんね」


 今にも泣きそうな声で告げた久遠に対し、どこか冷静にコーネリアが応えた。


「彼――真祖アルカードの実力は並みではない。おそらく、聖痕所有者が一〇人いたぐらいでは、彼の猛攻を止める術はないでしょう。やはりここは、逃げるのが得策です」


「ですが……このままでは、犬死にでは……!」


「エリアスの死は、無駄にはなりません。わたしたちはこれまで、攻撃戦ばかりを行ってきました。そして初めて、先日防衛線を展開しました。確かに防衛線というのは、戦前にあらかじめ下準備があれば、それなりに有利に戦を進めることができますが、多くの場合、時間や場所、身体状態などの誓約がある。けれど、攻撃・攻略戦にはそれが無い。己のベストコンディションで戦を開始することができるのです。であれば、この状況で不利なのは、完全な奇襲を受けたわたしたちであるのは明白でしょう」


 この状況で不利なのは、戦の流れだけでない。心身共にだ。

 時間が時間であるため、寝ていた使徒たちも多いだろう。そして、気付かぬ内に敵が潜入していたという恐怖があっただろう。敵が何人かもわからず、何処から来るかもわからず、そして何が起きるかもわからない。そんな状況下で冷静でいろ、という方が、到底無理な話なのだ。

 だが、だからこそ。ここに逃げることには、大きな意味がある。


「真祖アルカードの目的は、おそらく《堕天使》です」


 コーネリアが、不意に言った。


「堕天使っつーと、教会の奥底に、アルカードと共に封印されているっていう……『アレ』ですか」


 玄道の言葉に、コーネリアは頷いた。


「……ええ。そしてアルカードの目的が堕天使で在る以上、彼はこの教会を占拠した後、教会攻略という目的から堕天使守護という目的にすり替わるでしょう」


 それは、すなわち。アルカードの目的が、教会強襲(こうりゃくせん)から、堕天使守護(ぼうえいせん)にすり替わることに他ならない。

 更に加えるなら、アルカードに防衛戦のための準備をする時間を与えなければ、アルカードが防衛線を行うメリットが無くなるといっていい。だが、奇襲のメリットは変わらず存在している。もしアルカードの隙を狙えるならば、あるいは――。


「その時こそが、唯一の好機です」


 逆に言えば、その機会を逃してしまっては、勝ち目はない。


「……」


 黙り込んでしまった久遠に、コーネリアは一言、付け足した。


「わたしたちを逃がすために、エリアスは命を懸けたのです。もし逃げきれずにわたしたちが殺されてしまっては、彼の無念はどれほどでしょうね」


 それ以降、無言で、彼らは教会の出口へ向かって走った。誰も、何も言うことは出来なかった。

 コーネリアの言葉を聞いて。エリアスの決意を知って、誰が戻ろうなどと言えるだろう。ただ、皆の心は一つである。

 エリアス・リッケンバッカーという男は、最後の最後で若者たちに希望を託した。ならばせめて、彼の行いに報いるのが、自分たちの仕事であると。

 このまま、無事に教会から出られるだろうと多くの者たちが思っていた時に、突如、空間が湾曲した。真っ先にそれを察知したコーネリアはその場から数人の使徒に体当たりを行い、その場から離れるようにと叫ぶ。

 次いで反応したのは、やはり白円卓のメンバーである玄道、そして混血者である北条久遠。しかし残る使徒の一人は、敵を前にしていなかったからか、油断しており、その身が捻じれた。


「え――?」


 府抜けた声と共に、血液をまき散らして、その使徒は死んだ。


「真祖・アルカードだッ!」


 誰かが、叫ぶ。

 この場は先の戦場からだいぶ離れた場所であったが、しかし真祖・アルカードの忌能は、数キロ離れた位置から的確に敵を排除することができるほど強力なものであるらしい。

 敵がどうやって自分たちの位置を把握しているかは知らないが、しかしこのままでは全滅は免れない。そう判断を下したコーネリアは、無情にも告げた。


「怪我をした者は捨て置きなさい。他の誰が倒れても、例えわたしが倒れても、今は、自分だけが生き残ることを考えなさい」



        ☆


柳生新陰(やぎゅうしんかげ)我流・居合。――『裂花(れっか)』――」


 しゃりんと、鈴のような音が鳴り。

 エリアス・リッケンバッカーの持つ『鵺丸(ぬえまる)臣來(じんらい)』が、剣筋を光らせる。

 むぅ。

 唸ったエリアスの正面には、切断された肉体を即座に再生させる不死身の男、真祖。

 流石は真祖、並みの吸血鬼とは比べものにならない再生能力だ。いくら《聖具》といえど、心臓を破壊できなければ、勝ち目は無しか。

 それを悟ったエリアスは、後方へ跳躍し、一旦距離を取る。


「ん、良いのか? 俺から距離をとってしまうと、俺の手を阻害できんぞ」


 ――ちぃ。

 舌打ちしたエリアスの脇を、数人の使徒が駆けた。


「待て貴様ら、迂闊に出れば死ぬぞッ!」


 エリアスの叫びも空しく、彼らはアルカードへと立ち向かい、呆気なく殺されていった。

 一人の男の腕が、エリアスの前に、ぼたりと落ちて。手に持った剣を離さないままに、その場に血を流す。

 歯を噛みしめ、それでも前に出ないエリアスの横に、一人の使徒が立つ。


「我らの役目は生きて帰る事でなく、少しでも時間を稼ぐこと。であれば、この命、一秒でも長くあなたを生かすために、使わせてほしい」


 それだけ言って、使徒たちは駆けた。向かう先は真祖・アルカード。それでも怯まず臆さず、果敢というべきか、無謀というべきか、彼らはその手に剣を執る。

 ――なるほど。貴様らは確かに、サムライだ。

 しかし、彼らをむざむざ殺したくはない。

 そう思ったエリアスは、叫んだ。


退()け、サムライたちよ! これより神の裁きを下す!」


 エリアスが掲げるは、手に持つ鵺丸に(あら)ず。開いた、右手。そこに宿るは、聖痕。


「其は大天使。神の炎。神の光。太陽の統治者。()の威光を借りし我、魔を焼く焔の剣を執り、地獄の罪人たちに裁きを与えん――」


 エリアスの右手の甲、埋め込まれた聖痕が光り輝き、巨大な魔法陣が展開する。この地球上には存在しない魔法陣から召喚されるのは、巨大な大砲、その砲身。

 これは《聖具》を遥かに超えた特殊武装。堕天使の細胞より召喚される、この世にあらざるべきもの。それをアルカードに向けたエリアスは、エリアスの声を聞いてアルカードから離れる使徒たちを見る。

 彼らが離れる間、アルカードは何もしなかった。それどころか、笑っていたようにも――。

 胸に残る不安を、エリアスは拭い去る。この一撃をまともに受ければ、いかなる吸血鬼であろうと生き残ることは出来ない。これは、そういうものだ。第八を落とした大城玄道の《公正判決(ミカエル)》と同じもの。すなわち――。


「――《咎人断罪(ウリエル)》――」


 ぼうと、砲身が熱を発する。

 総てを燃やしつくせ、神の光。神の炎。この剣は、魔を焼く炎の剣なれば――。

 エリアスの右手から、巨大な炎の剣が、ゆっくりと、その刀身を表した。


「――“執行(エェェェイメェァアン)”ッッ!」


 そして、サムライの炎の剣が、此処に解き放たれる。

 吸血鬼の弱点の一つに、心臓がある。それを杭によって的確に破壊するのが、大城玄道の《公正判決(ミカエル)》。

 吸血鬼の弱点の一つに、炎がある。それを剣として投擲し、敵のみを心臓ごと燃やし尽くすのが、《咎人断罪(ウリエル)》。

 咎人断罪。その名の通り、この武装は咎人(とがびと)を滅するためのものである。そも炎という概念には、邪悪なものを払うという意味合いがある。故、邪教徒らを火あぶりにするという行為には、一見ただ残酷なようであるが、そこには相手を苦しめるだけのものでなく、『罪の浄化』という宗教的な意味合いも存在している。

 この場合、罪や浄化すべき対象に当たるは、吸血鬼。

 神を信仰する教会からしてみれば、これ以上なく相応しい武装。それを、もっとも信仰からほど遠い復讐者、エリアス・リッケンバッカーという男が手に入れたというのは、なんと運命の悪戯か。

 殲滅の剣が、疾る。

 白い床は焦げ、周囲の使徒たちも、あまりの熱に顔を腕で覆った。

 しかしこの剣が焼くは、罪深き存在のみである。エリアスが攻撃対象と見なさなければ、それらに対した影響は及ばない。この場において、浄化の対象はアルカードただ一人。

 果たして、神の炎は。


「――――」


 真祖アルカードの肉体に深く突き刺さり、大爆発を起こした。

 あまりの爆炎に、周囲は見えない。アルカードを倒せたのかどうかもわからず、使徒たちはエリアスの下へと、煙を抜けて駆け寄った。


「や、やりましたか?」


 一人が、問う。


「否。あやつは始まりの始祖。この程度で終わるようなら、コーネリアがとうに息の根を止めておるであろうて」


 なによりも、アルカードが最後に見せた笑みが、どうにも頭の隅から離れない。

 ようやく煙が晴れた頃、エリアスを含めた使徒たちは周囲を見渡した。しかし目に映るのは、焼けこげた廊下に、溶解した壁。そして、遥か後方にある、大穴。

 アルカードの姿が、無い。


「勝った……?」


 使徒の一人が、呟いた。

 それと同時に、爆発するように喜びが伝播し、使徒たちが歓喜した。しかし、エリアスは疑問を拭えない。死体も残らないというのは、どういうことか――。

 突如。ぐにゃりと、世界が曲がった。壁が、捻じれて。床が、せりあがって。


「いい加減、そこを通せ」


 捻じれた空間から、男が姿を現した。

 その右腕は焼けこげて、肘から下はない。右足、そして脇腹もまた、抉れてあばらが突き出している。そこから徐々に治癒が始まり、最後に脚が元に戻った時に。


「ヒ――」


 ぱん、と乾いた破裂音。

 エリアスの横にいる使徒の頭が、弾け飛んだ。まるで、小さな爆弾でも埋め込まれたように。

 ぱん。ぱん。ぱん。

 周囲の使徒の頭が、弾ける。弾けて、死んでいった。


「今のは、痛かったな。第二と第五を除けば、総ての真祖を葬ることが可能だろう」


 だが、残念だったな。

 真祖・アルカードは、総ての吸血鬼を超越する開拓の始祖。真祖の中でも、頂点に立つ存在だ。ただの真祖とは、一線を画す。

 一歩、一歩と歩を進めて、エリアスたちの前へアルカードが歩く。すぐさま二撃目の《咎人断罪(ウリエル)》を放とうとするも、周囲に空間の捻じれを発生させて、エリアスに集中をさせない。


「――むぅ」


 近寄るアルカードに対するために鵺丸に手をかけた時、鵺丸が弾けた。砕けて、床に乾いた音を立てた。

 咄嗟に後方へ跳躍したエリアスを追うように、空間が湾曲する。それを更に後方へ下がって回避するも、周囲の使徒たちは次々と空間湾曲の餌食になって死んでいく。


「お前の《聖痕》を封じ、そして《聖具(クルス)》を封じる。そうすれば、使徒には何も残らない」


 アルカードが言い終わるが早いか、エリアスの正面に、アルカードの手があった。

 その手が伸びて、エリアスの首を掴む。


「聖痕は厄介な代物だからな、お前を忌能で殺すことは難しい。だが、それならばこの手で殺せばいい」


 アルカードに持ち上げられて、エリアスの足が床から離れる。

 完全に呼吸を止められたこの状況で、しかしエリアスの瞳は輝きを失わない。その手を、己の腰に忍ばせる。そこには、エリアスが普段使用している杖がある。ただの棒切れでも、素手よりはマシと考えたのだろうか。

 その希望をへし折ってやろうとアルカードがその杖に向けて空間湾曲を行おうとした、刹那――。


「――伊吹(いぶき)――」


 エリアスが、抜刀した。

 刃は無かったはずだった。《聖具》も破壊したはずだった。

 それなのに、何故。エリアスの居合が――。


「ぐ、む……」


 ――彼の放った刃の一閃が、アルカードの心臓を斬る――。

 エリアスの刃は、アルカードの強靭なあばらを切断するに至らず、その刃は心臓に突き立って停止している。それでも、心臓を《聖具》で傷つけるという行為自体は、吸血鬼に並ならぬ損傷を与えるものであった。

 その刃は、一体どこから。

 心臓に刺さったままの刃を見てみれば、なるほど。それはエリアスが常日頃、杖として用いていたものであった。すなわち――仕込み刀。

 この仕込み刀は、普段、杖という形を模している。そのため、脚の悪い老人の使用する杖としての認識を強く印象付ける。しかしそれらは総て固定概念、彼の足は健全で、そして杖もまた隠された《聖具》。

 エリアス・リッケンバッカー第二の《聖具》――脇差(わきざし)幽鬼(ゆうき)臣來(じんらい)』。

 ごぽりと、アルカードの口から滝のように血が流れた。けれどアルカードは苦痛の表情を見せることもなく。ただ、ニヤリと笑う。


「――なるほど、いい不意打ちだ」


 アルカードの手に、力が加わった。

 このまま、死ぬのか。

 そう思ったエリアスの脳裏には、かつての言葉。


 因果応報。自業自得。総ては、己に還るもの――。

 

 誰かの言葉を、思い出す。ああ、一体、それは誰の言葉であったか。

 思い返せば、エリアス・リッケンバッカーという男の人生は、殺しばかりの人生だった。

 吸血鬼に家族を殺された。目の前で辱められた。命乞いをした両親を鞭打ち殺し、命乞いをした童貞の弟を、男に犯させて凌辱した。

 あれは確か、第四真祖・エリザベス。その場に居合わせた第二真祖・トーアが、悪趣味だと止めたおかげで、エリアスは一命をとりとめた。

 そんな地獄の中で、エリアスだけが、生き残った。


 そうして、復讐を願った。

 そうして、復讐だけを、願った。


 死んでもいい、ただ敵を殺す術利が欲しい。

 そればかりを願った彼は、銃を捨てた。どうにも、銃は合わなかった。彼の心には、己の命を捨ててまで敵を殺すという執念だけがある。だからだろう、遠くから敵を撃つよりも、己の技術で殺すという戦い方が、肉を切らせて骨を断つという戦い方が、エリアス・リッケンバッカーという男には相応しかった。

 やがて彼が行き着いた先が、『神風(かみかぜ)』の国。手に入れたは、その心。

 すなわち――大和魂。

 類希なる執念と才能から、彼は大和の術利を身に付けた。


『聞け、エリアス。最後の教えぞ。因果応報、自業自得。総ては己に還るもの――』


 エリアスが免許皆伝となり、師の下を去るその日。エリアスの師は、そう言った。

 その時は、意味がよくわからなかった。


 そして――殺した。

 殺して、殺して、殺した。

 アレは悪鬼。アレは人に非ず。命乞いは聞かぬ。例外も無い。お前は吸血鬼。ならば死ね。


 そうして復讐ばかりを願い、殺しばかりを行ってきたこの自分にも、とうとう見納めの時が来たか。

 そんなときに、よくもまぁ、これほどに相応しい言葉が蘇るものだ。

 なるほど、因果応報。なるほど、自業自得。

 ジジイになって。死の間際になって。まだ、師に教えられるかよ。


「儂も、未熟者よな――」


 外道を斬るは、外道の所業。ならば最後に、儂も外道に堕ちようか――。

 ――散る桜。散らぬ桜も、散る桜。

 命は、花と同じだ。いつかは散りゆくものである。たとえ、散る花と散らぬ花があっても、いつか総ての花は散りゆくもの。

 エリアスという男の死も、そういうモノだ。

 これまで散らなかった花が、此処で散るというだけの話である。


 ぐしゃりと、エリアスの喉は握りつぶされた。


「さらばだ、サムライよ。《聖痕》は、貰っていく」


 意識が薄れる中で、エリアスは、最後に、かつて共に戦った女の影を見た。

 

 ――のう、キャロライン。儂は今、笑っておるか。


 ――ああ、笑ってるね。そりゃもう、腹が立つほどに。


 ――そうか。まるで花のない人生であったが、儂は笑っておるか。


 ――あんたはね、最後の最後、自分のためじゃなく、誰かのために死んだんだ。それは、誇るべきことだ。決して、他人に笑われるようなものではなかったよ。それがわかっているから、きっと、あんたは笑ってられるんだ。


 ――思えば。儂が最後に心から笑ったのは、いつだったかのう――

 

 老人は、笑った。

 どさりと、倒れて。しっかりと、敵を見据える目を、開いたままに。その死は、決して楽なものではなかっただろうに。その老人は。生涯を復讐に費やした、一人の、男は。

 ――笑って、死んでいった。


 ――男が、いた。

 男は、復讐を誓った。

 男は、平和を願った。

 男は、日本とは異なる国で、『大和魂』を受け継いだ。


 ――男が、いた。

 進む道は歪んでいたが、けれど、生涯を必死に生きた男がいた。

 

 ――エリアス・リッケンバッカーという、男がいた――


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