第2部 第15項
STAR DROPは、相変わらず少しだけ薄暗かった。
ただ、昔よりも空気は柔らかい。
壁には今も、サイン入りのフライヤーが貼られている。
『ハルトゲシュタイン』
世界に行った名前。
その下に、もう一枚。色褪せた紙。
バンド名すら書かれていない、手書きの告知。
――あの日だけのライブ。
「……懐かしい」
ルナはそう呟いてから、扉を開けた。
「いらっしゃい」
カウンターの向こうで、ミツキがグラスを拭いている。
ライブのない日は、ここはただのバーだ。
顔を上げて、一瞬だけ目を細める。
「久しぶりだな」
「……はい」
それだけで、十分だった。
奥の席。
拓海と結月、そしてモモが並んでいる。
プラチナムーン。
大きくもならず、消えもせず、ここを拠点に、細々と――でも確かに続いている音。
ルナは、一歩ずつ近づく。
拓海が気づく。
結月も、すぐに。
視線が合う。
10年分の時間が、そこにあった。
でも、重くはない。
ルナは立ち止まり、ほんの少しだけ間を置いてから言った。
「……三人、揃ったよ」
拓海の指が、ぴたりと止まる。
薄暗い奥のテーブル席からの視線が刺さる。それは、かつて拓海を捨てた視線だ。
「少し、休みすぎちゃったけど」
はにかんだ笑顔。
そこに、痛々しさはもうなかった。
そのとき。
後ろのテーブルから、声が上がる。
「おい……デルタじゃねぇか」
ざわっと、空気が動く。
「まじかよ」
「伝説の?」
「あの一回だけの……?」
囁きが、確信に変わっていく。
ハルカがツムギを連れてバックヤードから出てきて驚いている。
ミツキが、カウンターから身を乗り出した。
ルナを見る。
拓海を見る。
結月を見る。
そして、少しだけ笑った。
「……揃ったな」
グラスを置く音が、はっきり響く。
拓海は、ゆっくり立ち上がる。
結月も、隣に並ぶ。
モモが、最後に言った。
「逃げ道、ないね」
拓海は肩をすくめる。
「デルタは自由だ。でもこの三人じゃなきゃ、やらない」
ルナは、その背中を見ながら思う。
(これでいい)
過去を取り戻すためじゃない。やり直すためでもない。
――伝説を、今の自分たちで終わらせるために。
眼だけで合図を送りあい、STAR DROPのステージに、デルタの三人。
ざわめきが、期待に変わる。
デルタは、解散しなかった。
ただ、休んでいただけだ。
そして今――
音を出す人たちが、もう一度、揃った。
必要なのは、それだけだった。




