第2部 第9項
記事が出てしばらくしてから、STAR DROPに、ぽつぽつと“知らない顔”が来るようになった。
名刺を出すでもなく、ただカウンターで酒を飲みながら、「この前のあの記事さ」と切り出す。
それだけ。
ミツキは、すぐ察する。
――ああ、始まったな。
あの人、演者じゃないね。
でも、客でもない。
質問の仕方が、完全に取材だ。
ミツキは拓海を前に出さない。
でも、隠しもしない。
拓海は、スーパープレイヤーではない。カリスマフロントマンでもない。
でも、「音楽を言葉にできる人」
クラシック(構造・和声・歴史)
ジャズ(リズム・解釈・即興)
ロック(衝動・バンド感)
童謡(旋律の強さ・記憶性)
それを、「面白いよね」で語れる。
仕事じゃない。でも 断らない。聞かれたから話した。
それだけ。
音楽の話をしてるだけだ。それが仕事になるなら、悪くはないとは思うが、それで何かを失うなら、やらない。
この慎重さが、モモを安心させ、結月やルナを守り、ミツキの信頼を固める。
「あんたさ、演奏家としてじゃなくて、“翻訳者”として見られてるよ」
拓海は苦笑する。
「音楽に、翻訳いるんですか」
「いる。特に、今みたいな時代にはね」
重宝される「予感」
居場所が広がる「兆し」
でも、選ぶのはまだ先
拓海はまだ、自分がどこへ行く人間なのか、決めていなかった。
ただ、音楽の話をする場所が、少しずつ増えているだけだった。
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最近、STAR DROPの楽屋や控室で、結月はよく同じ名前を耳にする。
「次、エミさん来るらしいよ」
「今回の企画、拓海とエミの対談だって」
「やっぱり“あの二人”は絵になるよな」
誰も悪気はない。
むしろ、業界的には当然の流れだ。
それが、余計に苦しい。結月は自分に言い聞かせる。
(別に……今は、ちゃんと戻ってきてる)
でも、胸の奥が落ち着かない。
それは、「取られる」不安じゃない。
「戻ってこなくなる」不安だ。
結月にとって、デルタもプラチナムーンも、技術を競う場所じゃない。評価される場所でもない。
ただ、拓海が“気を抜いて音を出せる場所”だった。
エミと並ぶ拓海は、どこか背筋が伸びていて、責任を背負っている顔をしている。
それを、結月は知っている。
あの顔は、息抜きしてる顔じゃない。
頑張ってる顔だ。
そして、それができる人間だからこそ、拓海はまたそっちに引っ張られてしまうかもしれない。
ある日の練習帰り。何気なく、ルナが言う。
「最近、拓海先輩、忙しそうですね」
「でも……」
一拍。
「ちゃんと、ここには戻ってきてますよね」
結月は、足を止める。
少し考えてから、結月は言う。
「……うん。今は、戻ってきてる」
でも、その言葉の裏にあるのは、
「戻ってき続けてくれるかどうか」
という、答えの出ない問い。
ミツキは、少し離れたところで、それを見ている。
結月の不安も、拓海の立ち位置も、エミという存在の重さも、全部わかっている。
だから、言う。
「心配しなくていい、とは言わないよ」
結月は驚いて見る。
「でもね、選べるようになったってこと自体は、悪くない」
「拓海が“どこに戻るか”を、自分で決められるようになったってことだから」




