プロローグ
4月中旬ごろ
「あれ?結月先輩は?」
「今日はお父さんが帰ってきていて、家族で食事なんだって」
「へえ、相変わらず、情報が早いね」
いつものサキとクミの会話だ。
プロのバイオリニストである結月の父親は、公演で各地を周っていて、数少ない家族団らんなのだという。
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パーカッション初心者のサキは、基礎練習で今はまだスティックの持ち方から習っているが、拓海の指導は丁寧だ。
「だいぶ良くなってるけど、角度がまだ甘いな」
拓海はスティックを構えるサキの手をとり、「この角度」と修正する。
知り合ってまだ間もない先輩に手を取られることに最初は戸惑ったが、男子への指導と全く変わらない態度だ。
(なんか変だけど、まあいっか)
手を離した拓海は、「もう一度」と、いつも通りあまり感情のない声で続きを促した。
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パーカッションと低音グループのセクション練習では、サキのような初心者は見学だ。
拓海は、初心者はセクション練習には参加させず、基礎錬をやらせようとしたが、結月が「基礎錬だけだと、先が遠く感じるし、集中力が持たない」と拓海に意見し、全体を俯瞰できるように見学したほうが良いと提案。拓海はそれを採用した。
今日は結月が居ないせいか、いつもより機械的な指導だ。
と、サキは感じた。
言葉は確かに正しく思うが、結月がいるとだいたい補足が入り、理解した顔になるのだ。
今日はそれが足りない。
誰もが、そう思っていた。
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「長谷川先輩」
拓海は練習日誌を書いていた。無言で視線をサキに向ける。
「家でも練習できるように、スティックと練習パッドを買おうと思うんですが、アドバイス貰えますか?」
拓海の口角がほんのわずかに上がった。
何かを言いかけて、やめた。
サキはその表情にハッとしたが、一瞬でそれは消えてしまった。
「いいと思う。重さは――」
いつもと変わらない調子で、拓海は説明を始めた。
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翌日。
結月が何か一言添えると、サキは「あ、そういうことか」とすぐに頷いた。
横で聞いていたクミも、「なるほどー」と笑う。
拓海は何も言わない。
ただ、昨日よりも少しだけ、空気がやわらいでいた。




