第31話 壁画と、設計者の遺言
石造りの通路を進んだ先に、巨大なホールがあった。
山岸の【探知】が事前に検知していた空間。幅二十メートル、奥行き五十メートル以上、天井が高い石造りのホール。壁面一面に、壁画が描かれていた。
「何これ……」
莉奈は息を呑んだ。
迷宮の設計図。
モンスターの図鑑。
そして、天井に向かって螺旋状に刻まれた文字列。
全てが古代ギリシャ風の精密な筆致で描かれている。
壁画の一角に、一人の男が立つ姿があった。
長い髭。
疲れ果てた目。
手にはコンパスと定規。
「ダイダロスだ」
健一が呟いた。
「誰やの、それ」
金子が首を傾げた。
「ギリシャ神話の天才建築家。迷宮、ラビュリントスの設計者。ミノタウロスを閉じ込めるために、迷宮を作った人」
「閉じ込めた? あの最深部のデカいの、閉じ込められてるん?」
「多分」
壁画のダイダロスの足元に、文字が刻まれていた。
古代ギリシャ語。莉奈には読めない。
「健一、読める?」
「古代ギリシャ語は専門外だけど……。文字自体はアルファベットの原型だから、辞書があれば……」
大阪が壁画に近づき、文字を指でなぞった。
「ウチの【看破】、文字のパターン認識にも使えるかもしれん。言語は分からんけど、繰り返し出てくる単語を拾える」
大阪の【看破】が、壁画の文字列をスキャンした。同じ単語が三回出現している。そして、その単語の周囲に描かれた挿絵。小さな人間の姿と、助けを求めるような手の形。
「この繰り返してる単語、多分『息子』やと思う。挿絵の文脈から推測やけど」
健一が辞書代わりに自分のゲーム知識を総動員した。
古代ギリシャの単語は、RPGの魔法名に使われていることがある。
パイデス──子供。
テクノン──息子。
「『テクノン・ソーゾー』……『我が子を、救ってくれ』、かもしれない」
七人の間に、沈黙が落ちた。
壁画の設計者ダイダロスが、迷宮の壁に刻んだ願い。
息子を救ってくれ。
「息子って、誰のこと?」
金子が訊いた。
「ダイダロスの息子はイカロス。蝋の翼で太陽に近づきすぎて落ちた、って神話では言われてる」
健一が壁画を見つめながら続けた。
「でも、ダイダロスにはもう一つの『罪』がある。ミノタウロスを迷宮に閉じ込めたこと。ミノタウロスは本来、ミノス王の息子だ。ダイダロスは王に命じられて、王の息子を閉じ込めた」
「じゃあ、この迷宮の最深部にいるデカいのが、ミノタウロスの本体で、その傍にいる人間が──」
「イカロスかもしれない。ダイダロスの息子」
莉奈は壁画のダイダロスの顔を見つめた。
疲れた目。
助けを求めているのに、自分からは動けない目。
(知ってる。この目)
父親が家を出ていく時、最後に振り返った目と同じだ。何か言いたそうで、でも言えなくて、そのまま背中を向けた。助けてくれと言えない大人の目。
「もう一つ。この壁画に、設計の記述がある」
健一が壁面の別の箇所を指差した。大阪の【看破】が再びパターンを拾う。
「繰り返し出てくるフレーズ。『穴』『常に』『理不尽』『解法』──」
「『全ての理不尽には、解法を仕込んだ』。ダイダロスの設計思想だ」
健一の目が光った。
「この迷宮の設計者は、自分で作った迷宮にわざと穴を仕込んでる。渋谷で僕が言ったこと。『どんなクソゲーにも必ずシステム上の穴がある』。あれは、図らずもダイダロスの設計思想そのものだった」
和田が壁にもたれながら、ぽつりと言った。
「つまり、あの最深部のボスにも──倒さんで済む方法がある、ってことか」
壁画の一部が、意図的に削り取られていた。ダイダロスが残した情報を、別の誰かが消した。
莉奈は削り跡に指先を近づけ、反射的に手を引いた。冷たい。削り跡の周囲だけ、壁面の温度が明らかに低い。まるで、そこだけ別の人間の意志が染みついているように。
「気持ち悪い」
大阪が眉をひそめた。
「この削り跡、他の壁面と質感が違う。刃物で削ったんやない。魔力で焼き消してる。しかも──丁寧にやない。怒りながら消してる」
【看破】が読み取ったのは、削った人間の感情だった。設計者の情報を潰す冷静な判断ではなく、設計者への怒りに駆られた破壊行為。ダイダロスが「穴」を仕込んだことへの、激しい憎悪。
「消したのは、誰だ」
山岸が訊いた。
「ミノス王、かもしれない。迷宮を突破されたくない側の。いや、ダイダロスを許さない側の人間」
壁画の下に、もう一行。崩落した石の破片に隠れて、今は読めない文字がある。
ここに何が書かれていたのか。
それは、もっと深い場所で分かるのかもしれない。
「行くわよ。答えは、下にある」
莉奈はポールを握り直した。
壁画のダイダロスの疲れた目が、七人の背中を見送っていた。




