外伝 第38話 次の通知
五月の土曜日。
莉奈はベッドに腰を下ろし、グループチャットの投稿を遡っていた。
昨日のたこ焼きや焼きそばの写真を通り過ぎ、さらに前へ指を滑らせた。
初めて全員でビデオ通話をした夜の投稿が出てきた。東京駅から帰って、一週間ほどの頃だった。
あの夜の通話はカオスだった。
十四人+ダイダロス+イカロス。合計十六人。
スマホの画面に参加者の枠が並ぶ。顔、真っ黒な画面、そして、天井。
「ダイダロスさん、カメラが天井を映してます」
健一が指摘した。
ダイダロスの画面には、保護施設の天井だけが映っている。
「すみません、このカメラという機能がどうにも。イカロス、助けてくれ」
「父さん、こう持つんだよ。自分の顔に向けて」
イカロスがスマホの向きを直し、ダイダロスの困惑した顔が映った。
金子が画面の中央を占領していた。カメラに顔を近づけすぎて、鼻が画面いっぱいに映っている。
「みんなー! 見えてるー!?」
「鼻しか見えん。距離取れ」
大阪がツッコむ。
金子が「えへへ」と笑って離れると、ようやく全身が映った。
テツが無表情でピースサインをしていた。
初めて見る光景に、ダイが「お前、ピースできたのか」と驚いた。
テツは「手の形を変えただけだ」と答えた。
マーサが背景を変えていた。バーチャル背景で東京タワーを設定している。
「わたし、東京にいるふうに見えん?」
「バーチャル背景って書いてあるけど」
「えっ、バレるん!?」
汐沢は画面がオフだった。音声だけで参加している。
佐藤が「汐沢さん、顔を見せなくても大丈夫ですよ」と気遣い、
汐沢が「……別に」と答えた。
いつもの二文字。
伊禮と輪島は同じ画面に映っていた。
二人で一台のスマホを覗き込んでいる。回線が不安定なので、端末を一台にしたらしい。背景に珊瑚の海が映っている。
「ええなぁ、海! うちも海行きたい!」金子が叫ぶ。
「こっち来たらいいよ」と輪島が答え、「遠い!」と金子が笑った。
山岸が画面の端で手を振っていた。
「俺、存在感ないな」
「あるよ、山岸さん。画面の端に」と健一がフォローした。
小保内は仕事終わりでスーツのまま参加していた。
「すみません、会議のつもりで入ってしまいました」
「会議やないで、同窓会やで」と大阪がツッコんだ。
「山岸さん、バイトどうですか」と健一が訊いた。
「初日に救急箱と水道と裏口を見せてもらった。そしたら翌日、新しく来た人の案内を頼まれてさ。俺もまだ二日目だって」
山岸が笑った。小保内は書類を揃える手を止めた。
「私も今日、新しい方に資料の場所を訊かれました」
「先輩、そういうの、すぐ出してくれるもんな」
「一緒に探しました。私も分からなくて」
「先輩でも、分からないことあるんだ」
「ありますよ」
小保内が少し笑った。
その間に金子が画面から消え、「お菓子取ってくる!」と声だけ届いた。
山岸は椅子を寄せ、小保内も書類を机の脇へ置いた。
金子が袋を抱えて戻ってきた。画面の下で、袋を開く音がした。
莉奈は、画面の端で腕を組んで聞いていた。自分からは喋らない。でも、口角が、ほんの少しだけ上がっている。
金子がそれを見逃さなかった。
「莉奈ちゃん、笑っとるやん」
「笑ってない」
「笑っとる笑っとる! 大阪ちゃん、莉奈ちゃんが笑っとるよ!」
「スクショ撮るなよ」
「もう撮った!」
「金子ォ!」
「名前の件やけど、莉奈ちゃんのフラッペは?」と金子が訊いた。
健一は少し黙った。
「……一秒」
「は?」と莉奈が言った。
イカロスが自分の枠で吹き出した。
通話は一時間続いた。
画面を閉じた後、大阪の端末には、金子が撮った莉奈のスクリーンショットが届いた。
佐藤がグループチャットに投稿した。
佐藤:本日のビデオ通話を記録しました。参加者十六名。通話時間一時間四分。金子さんの発言回数八十七回(推定)。
* * *
着信画面が、古い投稿を覆った。父からだった。
四月のカラオケ帰りに届いた『今度、会えるか』には、『考えとく』と返したままだった。
父の言葉を久しぶりに聴いたのは、東京駅ダンジョンの中だった。
留守電。「莉奈。元気か」
短い一言。
あの時は泣かなかった。
泣けなかった。
ダンジョンの中で仲間が隣にいて、
化け物が前にいて。
泣いている場合じゃなかった。
その後、カフェで健一に隣にいてもらって、莉奈は自分からかけた。
三十秒にも満たない通話。「元気よ。──アンタは?」
それだけで、精一杯だった。
あの通話以来、初めての着信だった。
一瞬、迷った。今は健一が隣にいない。
それでも、押した。通話ボタンを。
「……もしもし」
「莉奈か」
父の声。この前より、少し近くに聞こえた。音量は同じはずなのに。
「うん」
「元気か」
「元気」
「そうか。よかった」
沈黙。
電話の向こうで、父が息を吸った。
莉奈は口を挟まず、続く声を待った。
「この前の返事、読んだ。急かすつもりはない。……電話なら、また話せるか」
莉奈は──目を閉じた。
父は家を出て、三年間、一度も帰ってこなかった。
莉奈は目を開けた。
スマホを持つ手の下に、布団の皺が寄っていた。
会ったら最初に何を言うのか。
今、考えようとしても、父の顔がうまく浮かばなかった。
何度かけ直そうとしたのか、莉奈には分からない。今は電話の向こうで、父が返事を待っている。
「電話なら、また出るかもしれない。会うのは──まだ考えとく」
スマホを耳へ押し当てた。父の息だけが聞こえた。
「……分かった。待ってる」
父が電話を切った。
莉奈はベッドに仰向けに倒れ込んだ。
天井を見つめた。
息を吐いた。
スマホを持ち上げて、グループチャットを開いた。
打ち込んだ。
莉奈:フラペチーノ飲みたい。
三秒後。
健一:行こう
金子:飲みたい飲みたい!!!
(花のスタンプ二連打)
大阪:東京まで行けんけど気持ちだけ参加
和田:自分も気持ちだけ。特大サイズで頼むわ
ダイ:名古屋からエールを送る
テツ:飲め
マーサ:莉奈ちゃんの分も飲んどくね!(?)
山岸:俺も行くよ。莉奈ちゃんの奢りで
小保内:仕事終わりに合流します
佐藤:フラペチーノの味を記録します
汐沢:別に
伊禮:フラペチーノ、島で売ってないんですけど
輪島:今度本土行った時飲もう
ダイダロス:フラペチーノとは甘い飲み物ですか? 私も飲んでみたいです
イカロス:フラペチーノ!!! 推しの飲み物!!!
画面が通知で埋まった。
莉奈を除く十五人から返事が来た。
汐沢の「別に」まで含めて、全員。
うるさい。
でも、
通知が来るたびに、
口角が上がるのを止められない。
莉奈は一度、スマホを胸の上へ置いた。
また震えたので持ち上げると、
金子のスタンプが続き、大阪が「制限!」と返していた。和田のボケの下に、テツの短い返事もあった。
莉奈はスマホを胸へ戻し、天井を見上げた。
次の通知を、少しだけ待った。
外伝 第六章 この指とまれ 了
金子「最後まで読んでくれて、ありがとー!」
大阪「声でかい。隣で聞こえとる」
和田「遠くの人にも届くように、ちゃうか」
輪島「そこは、もう届いてるだろ」
伊禮「読んでくれた人のところまでな」
マーサ「こういう時、何から言おうか迷うね」
テツ「ありがとう、でいい」
ダイ「こういう時も短いな、お前。……俺からも、ありがとう」
テツ「伝わるだろ」
マーサ「うん。わたしからも、ありがとう!」
佐藤「ぼくは、もう少し書いてもいいですか」
汐沢「あとで読ませて」
佐藤「はい。このあとがきも、残しておきます」
小保内「私も一言。ここまでお付き合いくださって、ありがとうございました」
ダイダロス「私からも、ありがとうございました」
イカロス「ありがとう! また会いたいな!」
アステリオス「アリガトウ」
金子「うちは、まだ喋れるで!」
大阪「名残惜しいんは分かったから」
山岸「莉奈ちゃん、健一も、何か言っとく?」
莉奈「……読んでくれて、ありがと。ここまで付き合ってくれて、嬉しかった」
健一「ありがとうございました。また読みたくなった時に、会いに来てください」
──────────
『この指とまれ』そして、『イグザム迷宮』の本編と外伝を、
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
迷宮の中では、次の一歩をどうするかで精一杯だった彼らです。最後には、飲み物の話をしたり、好きな食べ物を教えたり、誰かの返事を待ったりする時間を、一緒に過ごしていただきました。
読み終えた後にも、ふと彼らのやり取りを思い出していただけたら嬉しいです。莉奈たちに会いに来てくださって、本当にありがとうございました。
最後に、別作品『メタ・パラドックス ─○◇~♣× 未読未来─』もご紹介させてください。
二〇三八年一月十二日、火曜日。昼休み明けの教室で、タクミが掲げたノートには、『二〇三八年一月十九日。世界は一度、終わっている。』とありました。あと七日。笑い飛ばせるはずのその言葉は、やがてリョウタたちの日常を少しずつ変えていきます。何度でも始まる火曜日と、まだ読んでいない未来をめぐる、四人の青春SFです。
メタ・パラドックス ─○◇~♣× 未読未来─
https://ncode.syosetu.com/n5089my/
『イグザム迷宮』で、出口の見えない場所から一歩を選ぶ彼らに付き合ってくださった方へ。
今度は、いつもの教室と帰り道から始まる物語です。誰かと同じ明日を迎えることの意味を、四人と一緒に見届けていただけたら嬉しいです。




