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気が視えた俺と、守りたがりな彼女と、戻らない何か  作者: 白川


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1-8 届かない手、すれ違う心

 綾乃が示した『全衝』の力は、あまりにも圧倒的で、そして同時に俺の命を奪いかねない諸刃の剣だと理解した。石灯籠の断面から目を離さず俺は尋ねた。


「……全衝を体得するには、どれくらいの時間がかかるんですか」

「さあね。才能と覚悟次第だ。だがこの場でいくら私の技を見ても、あんたの回路は育たない。


 その声は冷静で、俺の胸に小さな劣等感が芽生える。自分はまだ、綾乃にとって「未熟者」にすぎないのだ。


「翔太。あんたにはここでの稽古以外に、現実――"あちら側"でもやるべき宿題がある」

「現実で、ですか? 全衝の訓練は危ないんじゃ……」

「全衝はまだ早い。だが全衝に耐えうる『堰』つまりあんたの気の回路そのものを太く頑強にする訓練は現実世界でもできる」


 綾乃は静かに説明を始めた。


「気の出力はあんたの気持ちの強さに比例する。回路の強靭さは身体の姿勢を整え気を流すことで作り上げる。今すぐできるのは、現実世界で人目を気にせず無為の構えを常に維持すること……だが、それだけでは遅すぎる。

 しかし外部から補助的な気を供給すれば、回路の成長を加速できる。そのために『霊薬』を調合しなさい」

「れ、霊薬……薬草とか使うんですか?どうやって材料を?」


 思わず眉をひそめる。霊薬なんて怪しげで胡散臭い。綾乃は面白そうに笑った。そしてその答えは俺の予想を裏切るものだった。


「薬草? そんな悠長なものじゃない。材料はあんたの身近に溢れている」


 戸惑いを隠せなかった。身近にあるものが霊薬になる?そんな馬鹿な。


「でも、綾乃さんはこの世界で生きていないはずじゃ……どうやって、今の世界の情報なんて知っているんですか」


 綾乃は夜空を見上げた後、静かに言った。


「私が生きているのは、精神の世界だ。ここは本来、あんた自身の内面を映す場所にすぎない。だが、私の気の力でその内面を可視化し、形ある世界として保っている。だからこそ、あんたは自分の心の奥を“目で視る”ことができているんだ」


 俺は息を呑んだ。つまりこの世界は俺の内面でありながら、綾乃の力によって現実のように存在しているか。畳の感触も、夜風の冷たさも、すべてが俺の心の投影――そう考えると何だか背筋が寒くなる。

 綾乃の声が続く。


「そして、私ほど気に精通していれば情報の流れにも触れることを可能にする。あんたが住む現代社会を覆っているものは何かね? そう、『インターネット』だ」

「インターネット!?」

「私から見ればインターネットは、情報そのものが巨大な『気』となって、地球全体を包み込んでいる『情報の奔流』だ。その流れには人の意志や感情が混ざり込んでいる。怒りや喜び、欲望や祈り――それらがデータとして流れて、やがて気の形を取る。だから私は現代の最新情報を、『気の流れを読む』ことで手に入れているんだ。

 その奔流からあんたに必要な情報を抜き出した。霊薬の材料はあんたの家の近所で手に入るものばかりだろう」


 綾乃は、俺の額に触れるか触れないかの位置で、指をゆっくりと動かした。指先から、冷たい光の粒子が、俺の脳裏に流れ込んでくる。頭の奥に「材料」のイメージが浮かんだ。


 インスタントコーヒー粉末。

 白砂糖。

 食塩。


「覚えたね。これを我々は『気脈導流湯』と呼ぶ。必要なのは覚醒根、甘脈晶、安定晶塩。これらを特定の比率で温湯に溶かし、僅かな気を体中に流しながら飲む」

「……なんか、普通すぎません?」


 俺は思わず苦笑した。

 どう考えてもそこらで買える材料を混ぜただけなのに、綾乃の口から語られるとまるで秘薬のように思えてしまう。

 だが同時に、頭の中で想像が広がった。

 昔の人々は粗塩を舐め、茶葉を煮出し、砂糖を貴族だけが口にした。もしその時代に、純度の高い塩や砂糖、カフェインを手に入れられたなら――それは確かに「秘薬」と呼ばれてもおかしくない。俺は目を見開いた。歴史の授業で聞いたことが、急に現実味を帯びて迫ってきた。


「つまり、今の俺たちは……」

「そう。昔なら秘薬に匹敵する材料をコンビニで買える時代に生きている。純度の高い物質は人の回路を加速させる。脳を起点とした情報伝達網を利用するんだ」


 綾乃はそこでふっと笑みを浮かべた。


「ま……便利すぎるよね。昔なら、精製された塩や砂糖をひとつ手に入れるためにどれだけ苦労したか。命を削るようにして得たものが今や百円玉を握って歩けば手に入る。ずるい、と言えばずるい環境だ」


 彼女の声には皮肉と羨望が入り混じっていた。だがすぐに真剣な眼差しに戻る。

「けれど、それは同時に試練でもある。強力な環境に甘えれば土台は脆く、育たない。昔は材料を得るだけで修行だったんだ。今は材料が溢れているからね。心を律する力が試される。便利さは毒にもなるんだよ」


 確かに。環境が良すぎることは「ずるい」だけではなく、逆に自分を甘やかす罠にもなるのだ。


「さて……霊薬はあんたの回路を鍛えるためのものだ。だが、霊薬だけでは回路は整わない。ただの暴走で終わるだろう。だから、あんたには並行して現実世界での回路の基礎工事を進めてもらう」

「基礎工事……無為の構えの維持、ですよね?」

「それだけではない。あんたが身を滅ぼすかどうか。それはこの修行にかかっている。

 まず、『気脈導流湯』の調合だ。材料が簡単だからといって甘く見てはならないよ。調合は深夜三時から日の出直前に限り行うこと。この時間は世間の『気』が最も沈静化し、自身の内面に集中しやすい『静寂の刻』だ。そして調合から服用まで、誰にも見られてはならない。人目があるとその者の『気』が混ざり、薬が毒となる可能性がある」


 俺は思わず背筋を伸ばした。これは単なる料理ではない。


「手順はこうだ。必要な比率のインスタントコーヒー粉末、白砂糖、食塩を温湯に溶かす。調合が完了したら、両手でカップを包み、無為の構えで立ったまま、五分間、あんた自身の気の流れを湯の中に込める」

「気を、湯に?」

「霊薬はただの物質ではない。あんたの回路を導くための媒介だ。あんたの気を馴染ませ流し込むことで、薬は初めてその効力を発揮する。そして、飲み干したら一秒たりとも無駄にせず、そのまま現実世界での修行へと移行しなさい」


 彼女は鋭く続けた。


「いいかい翔太。この霊薬はあんたの回路を無理やり太くする。その反動で現実世界では強烈な疲労や耳鳴り、異常な集中力に見舞われるだろう。それを成長痛として受け入れ耐え抜く必要がある。


 ***


 けたたましい目覚ましが鳴る前に飛び起きた。時計は午前三時五分。家は寝静まっている。階段が一段鳴っただけで修羅場確定だ。忍び足で誰もいない台所へ。

 俺は戸棚からインスタントコーヒー粉末、白砂糖、食塩を取り出した。


(インスタントコーヒーが覚醒根、白砂糖が甘脈晶、食塩が安定晶塩、か)

「……どう見ても普通にあまじょっぱいコーヒーなんだけどな」


 綾乃に教えられた比率で温湯に溶かし、薄茶色の液体がカップに完成した。階段を音を立てずに上がり自室に戻ると、カップを両手で包み、窓の外のまだ暗い空を見上げた。……呼吸を整え両足に均等に体重を乗せる。全身の余計な力が抜け、重心が骨格の上に乗るのが分かる。


「……五分間、気を――自分の意志を込める」


 目を閉じる。心の中で「強くなければ生き残れない」という切実な願いを、熱として両手の平に集中させた。俺の体内に開通したばかりの気の回路がかすかに脈動する。その脈動に合わせ、両手の熱がカップの湯へと流れ込む。液体全体が淡い光を帯びるのが視えた。


(本当に、ただのコーヒーじゃないんだ……)


 五分後……カップは微かに振動していた。俺はそれを一気に飲み干した。甘く、苦く、しょっぱい。直後――全身の毛穴が一斉に開き、血液が沸騰し、皮膚の下を電気が走り抜ける。


「――ッ、あぁ!」


 思わず膝をつきそうになったが、そこで耐えた。何とかカップを机の上に置くとベッドに倒れ込む。視界が明るい。暗い部屋なのに明るすぎる。世界がうるさい。

 遠くの車の音が、耳元で爆発する。壁紙の繊維が1本ずつ数えられる。

 苦しい。だけど――その奥に。


(これが……成長……し……死ぬかも……)


 息を殺しながら意識を保つ。呻き声が漏れたら家族が起きる。

 だが――恐怖の裏側にある感情が俺を支えていた。


(もっと……強くなりたい)


 霊薬の熱が、まだ体の中心で渦を巻いている。気脈の全てが一瞬で剥き出しになったような感覚。怖い。


(このまま……寝たら終わりだ)


 寝ながら無為の構えを意識する。力を抜き呼吸。吸って、吐く。

 数時間後――

 通学路を歩きながら、俺はひたすら眠気と戦っていた。

 キーンという耳鳴り、視界の明滅、全身の怠さ。


(これ、絶対ヤバいやつだろ……)


 教室に入ると、クラスメイトの気の波がさざ波のように広がり聞こえる。廊下側を歩く紗季を視界の端に捉えた時、俺の意識に警告が走る。彼女の気は他の生徒と違い、深い湖の如く静寂を保っている。その「制御された静けさ」は藤堂流の修行の深さを物語っていた。俺はすぐに視線を逸らし目の前を向いた。


 午後の授業中、俺はひたすら気の制御の訓練を続けた。指先に微かな気を集め、ペンを握る力を込めては抜く……ミリ秒単位で調整する意識。

 人から見れば、ただペンを握っているだけの動作だが、体内の回路は激しく収縮と膨張を繰り返していた。ほんの少しでも力が強ければ、ペン先は容易く紙を突き破った。

 俺の体内は拡張され続けた痛みにまだ悲鳴を上げていた。耳鳴りに、ひりひりする神経、異常に冴えた視界。全部まとめて強制成長の余波だ。


(これだけで……倒れそうだ)


 集中力が途切れそうになったその時、突然、教室の喧騒を突き破って、綾乃の声が響いた。まるで、俺の脳内に直接語りかけているかのようだ。


『集中しなさい、翔太』


 直接脳の芯を震わせる声。教室のざわめきが急に遠く感じられた。


(うわっ……綾乃……!? 現実世界にまで、声が……)


『その微細な制御こそが天衝流の要となる……瞬間的な爆発力を生み出すだけでは自爆で終わる。針先ほどの制御を積み上げてこそ、刃は研がれ極限の力となる』


 俺は慌てて顔を上げ、周りを見渡すが誰も気づいていない。どうやら声は俺自身の意識の奥底から聞こえてくるようだ。


(爆発力だけじゃダメって……わかってるけど……)


『わかっていない。力任せの拳では良くて相打ちだ。力は“制御”が伴って初めてその真価を発揮する』


(教室でまで監視されてるとか嫌すぎるだろ……!)


『羞恥心……プライド……そんな雑念捨てなさい』


(…………ッ)


 図星だった。悔しさが再び胸に火をつける。

 息を整え、意識を指先へと集める。ペンを握る力を、ほんの一滴ずつ削いでいく。そのたび、回路がぎゅっと縮み、また開く。背中には汗が滲んでいた。


『そう、それだ。その緊張感を保て。気脈は確かに太くなっている。だが流す量を間違えれば破綻する。指先だけじゃない脚も腕も首も、全身を鍛えるんだ。気は力であり、力は刃物となる』


 確信をもった声。

 ……ちゃんと――俺は、強くなっている。


(前に進んでる……ちゃんと)


 その確信は心の奥で確かな灯りになった。


『その調子。傲らず、怯まず、進みなさい』


 声が途切れると同時に教室の喧騒が一気に戻ってきた。さっきまでより耳に音が刺さるのに、不思議と意識は静かだった。


(……ありがとう、綾乃)


 チャイムが鳴ると同時にクラスがざわつく中、俺は机に突っ伏し強烈な倦怠感と戦っていた。視界の端がまだ明滅しているが、霊薬の反動は朝よりマシになっていた。


「翔太」


 ぴたり、と肩に手が触れた。――息が止まりそうになる。


(紗季……)


 いつも通りの伸びた背筋に凛とした顔立ち。その手の平から伝わる気の流れは優しく強かった。しかし、その気に触れた途端、俺が隠していた異常――体内の熱や呼吸の乱れがばれそうになる。


「顔……真っ青じゃない。大丈夫?保健室行こ」


 紗季は俺の顔を見るなり、眉をひそめる。


「あ、いや……ちょっと寝不足で……」

「嘘」


 短く鋭い。即答だった。苦笑いでごまかそうとしたが紗季は納得しない。


「呼吸が苦しそうだ……それに、気の流れが違う」


(見抜かれた……!?)


 紗季の瞳が俺を逃がさない。鋭い光を宿している。昔からこいつには体調も感情も隠せなかった。


「何かしてるよね。自主練なんてレベルじゃない。気の動きが変。見たこと無い……」 「…………」

「言わないつもり?」


 言えるか。霊薬のことも、綾乃の声も。全部――俺だけの秘密だ。


「……大したことじゃないって」

「大したことあるでしょう!」


 机を叩いた音がクラスの視線を集める。慌てて俺は笑みを作り「気にしないで」周囲に手を振って言った。紗季の目が伏せられ声が小さくなる。肩の震えを見てしまった瞬間胸が痛んだ


「ごめん……でも……」


 紗季の声が震える。それはずっと抱え込んでいた問いの爆発だった。


「でも……そんな風に急に成長するはずない。誰……誰が翔太に教えてるの……?

 私じゃ届かないところで、勝手に無理して……倒れたら困るの……誰より私が」


(……っ! “誰”って……綾乃のことか)


 鋭い言葉が、胸の奥を針で突いたような痛みを生む。もちろん紗季には見えない。けれど紗季は感じ取ってしまったのだ。俺が誰かに導かれているという事実を。


「……紗季は関係ないだろ」

「どうして! 私は――

 ……そっか。私じゃ……ダメなんだね」


 言葉が喉で詰まったように止まる。その代わりに、悔しそうな声だけが零れた。

 視線を伏せ、紗季は少しだけ笑うと、悔しさをごまかすための、ひどく不器用な笑顔で。


「無理はしないでね。倒れたら……本当に怒るから」


 彼女は背を向けた。ポニーテールがいつもより重く揺れる。


(紗季……)


 伸ばしかけた手を、空中で止める。触れたら壊れそうで、触れなきゃもっと壊れそうで。俺は額を押さえ小さく首を振った。

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