第5章 当の彼女について(Ⅲ)
今夜もルートはどこかに行っているようで、かなめちゃんは一人で夜を越さなければいけなかった。小学生をたった一人放り出してどこかに行くだなんて、育児放棄もいいところではある。
まあ、ルートに扶養義務があるのかと聞かれたら、それは微妙なところだろうけれど。
両親はとっくにいないわけだし。
その点で言えばかなめちゃんの一番傍にいる私が面倒を見てあげるべきなのだろうけれど、いかんせん私には肉体がなかった。
……まあ、そんなことは小学生のかなめちゃん自身が一番わからないことだろうけれど。大人がまったくいないということに対して、子供は疑問なんて抱かない。
今日も、晩御飯としてカップラーメンを作るだけだ。
「…………」
昨日よりは精神状態はましになっているように思える。けれどもまだまだ、呆然自失としたような、前後不覚な状態であることは否定できなかった。
どこか、ぼうっとしている。
友くんがいて、何かをしてもらうわけにもいかなくなり、じゃあ一人で何かをしなければならないと言われて……はいそうですかと淡々と行動に移せるような子では、ない。迷う。やっていいのかどうか。そして判断するまでの勇気が必要になる。
……まあ、カップ麺づくりにそこまで判断は必要ないのだけれど。
というか昨日やったし。
それでも、かなめちゃんの心の傷は、言えていないようだった。
「…………」
ましになったのは、どちらかというと私の精神状態のほうか。私だって、友くんが死んだことはショックだったんだ。砲弾で引き裂かれて、肉が飛び散った様子。ああ、今でも忘れられない……嫌なことに。
うらやましいと思ってしまうのは、私にとって正常なのか異常なのか、よくわからないのだけれど。
キッチンタイマーと言うものを、かなめちゃんは覚えたようで、それを止めたあと、ふたをぺりり、と剥がす。湯気とともに、ちょっと盛り上がった麺と具材が顔を出す。かなめちゃんは箸でそれを丁寧にスープの中に沈める。
ああ、おいしそうだ。
生きることに興味はなくても、食べ物への興味が尽きないのは人間の性だよなぁと思いつつ、そもそも食事の必要がなかったことを思い出す。
私が必要じゃなくても、かなめちゃんにとっては必要なんだ。
麺を持ち上げ、息を吹きかけ少し冷まし、かなめちゃんはまだ熱い麺を口の中に入れる。
熱い。かなめちゃんは飲み物を用意していなかったようで、慌てて立ち上がり、コップを取り、台所へ向かう。
……そういえば、昨日はこんなことなかったな。
昨日はただぼうっとして、タイマーで時間を測ることもなく、ぼうっとして……ぬるくなって、伸びきってしまったカップ麺を食べていた。
そして、味がしなかった。
……今も、それほど味は感じないのだけれど。
水を口に含み、飲み込む。テーブルに戻り、また箸を持つ。
「ふぅー……ふぅー……」
念入りに息を吹きかける。
……そんな様子に、リアクションを取ってくれる人はここにはいない。
いつもの調子で、友くんが『きをつけなよ』と言ってくれるような気がする。
でも……友くんは、もういない。
麺を食べる。
……なんというか、今更になって、悲しくなってきた。友くんが死んだという現実が。人が死ぬという本当の悲しさが。残されたものが感じる、心の空洞を。
だからと言って死ぬのをやめようとは思わないけれど……それでも、寂しさは覚えるものだ。
私が死んでも、誰も寂しいだなんて、思わないだろうけれど。
せいぜいあいつらが困るだけだ……その点に関してはどうでもいい。
私個人としては、友くんに対して特に何かがあったわけではない。ただかなめちゃんの視界を通じて、友くんの様子を眺めていただけだ……そうだな。別にかっこいいわけじゃなく、見てくれはどちらかと言えばかわいいほうだった。けれど、なんだか少しキザっぽい、中学生らしい男の子だったように思う。
かなめちゃんの兄としては、十分役目を果たしてくれていたと思う。お互い家族を失って、頼れるのはお互いだけ。友くんはそんな寂しさに文句も言わず――少なくとも、かなめちゃんの前では――逆に、かなめちゃんの寂しさを受け止めてくれていた。
頼りがいのない子ではあったが……頼りになる子だった。
……そんな子が、死んだのか。
あんな、風に。
「……ごちそ、さま」
食べ終わる。
相変わらず、味はしなかった……本来、味は濃いはずなのに。感覚が鈍っているのだ――いろいろなことが、ありすぎて。
精神状態が不安定なのは、私も、かなめちゃんも、同じなのだった。
それでも、昨日よりはましになっているのではないかと思う。かなめちゃんも少しは行動的だし、昨日と同じカップ麺だったけれど、食べ終わる時間は昨日よりはるかに速かった。
ゴミ箱の中に、昨日のものと重なるように捨てる。
「…………」
さて。
食事も終わったことだし、何をするでもない時間の始まりだ。考えることしかできない私にとって、食事も睡眠も、時間区分としてはまったく意味をなさないのだけれど……かなめちゃんはどうするでもなく、ただぼうっとしていた。
昨日も確か、こんな感じだったか。いや、昨日のほうがもっとひどかった。
私の精神状態も、だけれど、今のこの子は、まだ周りが見えている。テレビを見ようか、こっちに来て見つけた本を読もうか、迷っているようだった。
……それでも行動に移していないのは、単純に面倒くさいだけか。はたまた疲労困憊で、何をするにしても、気分が乗らないだけか。
もしくは、かなめちゃんもほかのことを考えているのか。
「…………」
考えるとしたら……友くんのことは、ひとまず置いておくとして、ジャックのことだろう。帰りの車の中で、ジャックと交わした情景移植。あの中でのことを、回想しているのかもしれない。私にはたしかめようのないことだけれど。
それに対して、どう思っているのだろうか。
ジャックの殺意の理由……まあ、考えられないわけではない。最愛の人を殺された、とか、師匠と呼んでいた人が殺された、とか。まあ、いろいろ。しかし、それによってかなめちゃんが何を思うか……よく、分からなかった。
この様子だと、あまり劇的なことはなかったようだけれど……劇的なものって何だろう。具体的なものは思いつかないけれど……まあ、問題なのはそこじゃない。
かなめちゃんの記憶によれば――そして私の見たものによれば、かなめちゃんには、本当か偽物かはともかく、両親がいた。まずはその両親を踏みつぶし、かなめちゃんを壁の端まで追いやって、ものすごく入りたいと思ったから、その牙でひっかいてやったんだ。
ものすごく入りたい、という欲望が、トートロ特有のものなのだろうけれども……ともかく、このことを考えると、意外と普通なことがわかる。いやいや、両親を殺されている時点で普通ではないのだけれど……それでも、化け物に関わった、あの施設の子供としては、かなり一般的なものだった。
両親とはあまり仲の良かったというわけでもなく、無口な小学生らしいぶっきらぼうな態度で、両親もかなめちゃんのことは基本的にノータッチだったようだから……だからかもしれない。友くんと再会した時に、ぺったりとくっついていたのは。愛着を求めたのだ。
……そう考えると、かなめちゃんのこの性格、びくびくとした、何処か恐れているような性格。これもわざとではないかと考えてしまう。いや、わざとと言うのは演技をしているとかそういうことじゃなくて、かなめちゃん自身の心を守るため、必要なことだったのではないだろうか。
親への愛着を、友くんに求めた。
……では、友くんがいなくなった今、その愛着はどこへ向ければいいのだろうか?
一番簡単に思いつくのは、『プレイヤーズ』のみんなだろう。とくにサニーはかなめちゃんのことを妹のようにかわいがっているから、かわいがられるには絶好の相手だ。ジャックも少し年が上の男性と考えれば、愛着を寄せるのには適しているのかもしれない。
……小学3年生、か。
愛着から卒業したほうがいいのか、よくわからない……反抗期の時期だけれど、そもそもかなめちゃんからは、反抗する親がいない。兄も、いなくなった。
中にもう一つの人格はいるのだけれど……そんなの、かなめちゃんの知ったことではない。
「……歯みがき、しなきゃ」
と、かなめちゃんは立ち上がる。
洗面所に行く。
……まあ、かなめちゃんのこれからについては、いろいろ考えなくちゃいけない……そしてもちろん、吉光里利のことも。
この二人に、どうにか前を向けるようにさせなければいけない。
――頭が痛くなる。
そう。そうなんだよ。
これだから、変化は嫌なんだよ。




