第5章 当の彼女について(Ⅰ)
法事も同様に、私――というかかなめちゃんのいた施設で行われた。死者を悼む、というのがどれほどの意味のあることなのか、自殺志願者な私は分からないけれども、周りにいる彼らが泣いているのを見て、そんなことを思う自分はなんて歪んでいるんだろうと感じる。
感じるだけで、反省しないというのが、私の悪いところなのだろうけれど。
……かなめちゃんは、また思い出したように泣いている。何も考えない、ぼうっとした様子だ。昨日の夜のような状態ならば涙は流れないようだけれど、今こうしてそのための場所に来たら、考えずにはいられないのか。顔を覆って涙を流している。
……何度も言うようだけれど、私には何も施しようがない。
かなめちゃんにしてあげられることは、私には一つもない。
できるのはただ、これからのことを考えるだけだ――すなわち、トートロをどうやって倒すか。否、殺すか。
……ただ、それにしたってかなめちゃんの精神状態が回復するまで、待つしかない。それは、私ではなく、外部から接触してくれる人間を待つべきだ。リアルで、肉体を持ち、直接会話することのできる人しか、かなめちゃんの心の傷は癒せない。
内側からじゃ、何もできない。
できることと言えば、せいぜい、飛び降り自殺をしようとするその一歩を踏み留めるくらいだけれど……。
いや、そうしたら私は死ねるのか。
なら万々歳だ。
「…………っ」
……そんなわけ、あるか。……よく考えろ、私。そこまでして、そこまで人間性を、人間らしさを、人間の持つ情を、失っているのか? かなめちゃんがどうなろうと私には関係ないと、本気でそう思っているのか。
……そんなわけ、ないだろう。
私が死ぬ理由に、かなめちゃんを巻き込むな。
私が死にたいと思ったのは、私が死にたいと思ったからだ。過程も、結論も、すべて私のものだ。その結果に、他人を巻き込むんじゃない。
それも、こんなに小さな子供を。
それこそ、最悪の諸行だ。
……だから、決める。
私は、トートロとともに死のう。せっかく生き残った命――生き残らせやがった命は、当の本人に始末してもらう。
そのためには……当の彼女に、動いてもらわなくちゃいけない。
「…………」
しかし、彼女は――ともすれば、かなめちゃんよりひどいんじゃないだろうか。あの顔、あの表情。死に直面した、絶望と言うにふさわしい表情。
感情もなく、喜怒哀楽もなく、ただあるのは呆然自失。
何をしでかすか分かったものではない。
私は、そう感じた。
……まずい。これは、まずい。
私が吉光里利に出会い、その印象は『真面目そう』というそれであったが……ここまで真面目だとは思わなかった。彼女にとって、『死』というのがどれほどの意味を持つのか、正確なところは分からないけれど……トートロを生み出したことから鑑みても、重大なものであることは確かだった。
絶望から生まれる――というのは間違いにしても。
絶望がなければ、そもそもトートロは生まれない――というのは正しいのだから。
彼女の半生。
さすがに詳しいことまでは、あの中にいても分からなかったのだけれど……それでも、個性を失うくらいには何か、重要なものがあったのだと思う。
個性という、器を捨てるくらいには。
……いや、だからこそ。か。
そんな重大な出来事があったから――あったからこそ、それを封印していたのか。だから、トートロは現れ続けた。忘れていたから、思い出せなかった。
それだけだったんだ。
思い出させるというのは正解だったか――しかし。
あの様子を見ると、少なくとも自分が過去に何があったか、だいたいのことは思い出しているようだ――いや、これは感覚なのだけれども。あの表情は――人生について、思いをはせる表情だ。
死ぬ前の私の表情と、そっくりだ。
だから……この思い出させ方は、失敗だった。
こんな方法で、吉光里利に思い出させたく、なかった。
いや、彼女の精神状態がおかしくなってしまう、というのはもちろん危ういのだけれど――その結果、トートロが野放しになるというのが、最も恐ろしい。
仮に――仮に、吉光里利が、自殺でもしたら、どうする。
それでトートロがいなくなり、私も死ぬ――というのなら、まあ妥協点としてよしとしよう。しかし、それはあまりにも考えにくい。
だって、トートロは吉光里利の中に帰ろうとしているのだから。だから――まだ、分離した状態なのだ。外出しているときに家がなくなって、それで外出している人が死ぬというのはありえない話だ。だから――宿主である吉光里利が死んだからと言って、トートロが死ぬとは、限らない。
あれは、器なのだ。
器が独り歩きしているのだ。
だから、もう、それ自体で完結しているようなものなのだ。
あれが、人間の中核。個性。
肉体とか、言葉とか、そういうものを取っ払ったもの。
……それが、今の吉光里利から、ぽっかりと抜け落ちている。
抜け落ちたそれを――自覚したのだ。
そう――どちらかと言えば、今の吉光里利は、友くんが死んだことではなく、自分がどういう存在であったか、どういう存在であるのかについて、ショックを受けているのだ。
……失礼、極まりない意見ではあるけれど。トートロの中にいたときと合わせれば、この考え方であっているはずだ。
……もちろん、吉光里利が、友くんの死を悼んでいないとは、言わないけれど。
けれど、だからこそ――どうしようか、と考えてしまう。
今、かなめちゃんの肉体を操って……彼女に、これからどうするか、きちんと話しあうべきか。言葉にすることで、彼女自身も楽になれる――彼女自身、絶対に口にしたくない話題だろうから。
トラウマを、喜んで話す奴はいない。
心を開いた相手か――もしくは、直接聞いてきた人だけか。
「…………」
いや……できないかもしれない。直接聞いても、それは『花坂かなめに話せること』しか、聞きだすことはできない。かなめちゃんは子供なのだ。小学生なのだ。そんな子に――自分のトラウマを、あけっぴろげにすることなんてできない。
吉光里利は、ああ見えて口が上手いから。雰囲気の作り方を、熟知している。話の流れを、意図的に作ってしまえる。
説得は困難だ……。
……となると、どうする?
私が初めに『プレイヤーズ』に来たときは、吉光里利に、『自分はどういう存在なのか、思い出させる』ことを目的としていた。その機会をずっと、うかがっていた。
しかし――もう、『思い出させる』ことは達成してしまっているのだ。
目的は果たされたのだ。
……しかし、問題は解決していない。目的が、解決策にならなかった。
私の責任だ。
そして――私には、これから先、何もできないようだ。
私はかなめちゃんを説得するすべを持たない……そして同時に、吉光里利も説得できない。話を聞いてやることもできない。
なんて無力なんだ。
……もし私が生身の人間で、神岸かずみとして吉光里利と向き合えるなら、こんなに悩むことはなかった。がつん、と言って、それでおしまい。それから先のことなんて気にせずに、自殺に向けての準備を進めるだけ。
……なんて、自分で選んでおいて、何を言ってるのだか。
だから本当に、こうして精神だけ生き残らせやがって、私は怒りを覚えている。
「…………」
いや、待て……そうだ。生身の人間だ。私ではなく、私以外の人間、私以外の人が、彼女を説得すればいいのではないだろうか。
何のための集団だ。何のための『プレイヤーズ』だ――そうだ、彼らを『無駄な存在』と切り捨てるべきではなかった。
吉光里利に、過去と向き合う力を与える。
そのために――力を借りよう。
そのくらいなら、花坂かなめとしても、できるはずだ。
「…………ん」
かなめちゃんが、顔を上げる。
涙の跡の残る目をこする――その間に、私は目を凝らして、ここにいるプレイヤーズのみんなを探す。
見ると、ジャックと吉光里利が、玄関から外に向かっている。
なるほど……ジャックが助けに行ったか。ジャックと吉光里利の関係、恋愛関係――もどき。恋愛感情で、どれだけ吉光里利の心が動くのか。
……実際は、あまり期待はしていない。吉光里利は、個性を失っているのだ。だから、胸の高鳴りどころか、人間に対する興味もない。
それでも、ジャックなら――赤の個性を持つジャックなら、何とかしてくれるはずだ。
そう、思った。
……違う。祈った。




