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第八節 前方不注意

 三人と二人はすっかり暗くなった道を歩いていた。周りはぽつぽつと民家が立っているほかは、畑やたんぼが巨人にスタンプで押されたように、律儀に並んであるばかりだ。遮るものがないので直接風が当たり、少しばかり寒い。

「どこへ行くんですか……」

 隼が訊ねると、バイスは振り向きもせずに答えた。

「く、RPGをやったことはあるか?」

「あまり」

「アクションゲームが勇気を試されるものであるとしたら、RPGは知恵を試すものだ。恋愛シュミレーションは愛だな」

 この男、酔っているのかもしれない。そう考えると返事をするのも面倒だったので、隼は黙って聞いていた。

「RPGの画期的なところは勇気が無い人間でも、知恵があればクリアができる点だ。最初に作られたRPGは勇気がない人間のために作られたんだ。勇気がなくたって、魔物を倒せるからな」

 この男、初見でゲームをする時にも必ず攻略サイトを確認しながらするタイプの人間なのか、と隼は思ったが、あくまで口を開かなかった。

「これから行くのは、勇気の要らない魔物退治だ。必要な知恵はもう俺が与えてある。そういうことだ」

 そこで、不意にバイスは立ち止まった。それに呼応するように創夏は自然と、隼は不自然に足を止める。

 彼らが立ち止まった前には、まるでアスファルトを体から分泌する生き物が散歩感覚で這った跡のような、ぼんやりとした夜道があるだけだった。電柱からぶら下がった街灯はあるものの、何故かほとんど効果を発揮しておらず、暗闇から黒という成分をそのまま抽出したような、絶対的な晦冥が立ち塞がっている。

 風がこの世のものとは思えないほどの冷たさで、隼の頬に吹きつけた。

「……何ですか、これ」

 口を開くまいとしていたのに、思わず訊いてしまった。

 今まで見慣れてきた闇と、そこは本質的に違っていた。

 人間の肉眼では認知し得ないような、超次元的な闇。

 その非科学的な闇から暖簾をくぐるようにして現れたのは、謎の黒い生き物だった。暗いのに何故黒いものが見えるのかといえば、その輪郭に腐ったような紫色の線が血筋のように走っているからだ。プレス機でも潰しきれなかった、というようないびつな形の胴体から、ぬいぐるみの手のように内側から膨らんだような形の四足が伸びて、耳骨の後ろ側を直接ノックするような足音を立てて、こちらにゆっくり近づいてきている。それも一匹ではない。三匹の謎の生き物が光でも求めているかのように、三人の方へゆっくりと吸い込まれるようにしてやってくる。

「く、あれは、死人だ」

 バイスは言った。

「死んだ人間の大半からは魂みたいなもんが出てくるが、そいつは何も考えない、何もしない。気づいたらぽっと消えていく。だが、どんな完璧に見えるシステムにでも例外は発生する。何かを考え、何かをする、それが半壊だ。壊れることを、理性とか欲望で回避した稀有な魂、サナリやセインのような奴らだ。そして、壊れた魂は……ああなる」

 壊れた、という形容がしっくりきすぎる身体を空中で引きずるように、彼らは歩いている。その無意志的な動きが不気味で、何だかすぐにここから逃げ出さなければいけないような気分になった。

「……無害なんですか」

 そんな気分を誤魔化すように、隼は訊いた。

「無害? く、そうだな」

 バイスは、未だに知らなかったことを知った老人のような笑いを漏らした。

「そんなものとは、対極だな」

 そう言い終えるが早いか、バイスは拳を握り締めると思い切り振りかぶった。一瞬後、生温かい風が隼の前髪を揺らしたと同時に、ひゅるりという妙な音がして、それから、とかん、と、乾いた音がどこからか聞こえた。隼がそちらの方を見ると、畑にバイスの言うところの『壊れたもの』が更に歪な形をして倒れていた。

「挑発するとすぐ牙を剥く。お前もやってみろ」

 バイスは掌中の砂を落とすように、下向きに拳を解きながら言った。やってみろ、と声をかけられたところで「はい、喜んで」なんて答えられるほど隼は適応力は常識的な範疇から逸脱していない。

「な、何なんですか、あいつらは……」

 未だに把握がしきれなくて、隼はぼんやりと呟いた。

「く、言っただろ。魔物だ。今、お前が興じるのは、勇気を捨てた人間のアクションゲームだ」

 確かに、言われてみれば魔物だ。さっきはゲームのジャンルを取り上げて何を言い出したのかと思ったが、こういうことだったのか。──できれば、本当にただの比喩であって欲しかった。

「はい、これ」

 唐突に、創夏が隼のほうに何か細長いものを差し出してきた。

「……蛍光灯、ですか」

「うん、これしか無かったの。じゃあ、頑張ってね」

「え、ちょっと……」

 隼はわけも分からず、その少しくすんだ一本の蛍光灯を受け取ってしまった。何だか、やけに脆そうな蛍光灯で、隼が控えめなくしゃみをするだけで割れてしまいそうだ。

「く、挑発は俺がする。お前はあいつらを見ていろ」

 バイスは隼に背中を向けて言った。

「えっ、お、俺がやるんですか!」

「お前はRPGのキャラだ。たたかう、とコマンドを決定したプレイヤーに向って、『え、俺がやるんですか』なんて言うキャラクターがいるか?」

 さっきと言ってることが違う、と隼は心中で思ったが、もう今更口ごたえしたところでこの役回りは変えられないようだ。

 でも、こんなにもバイスも創夏も余裕をこいてるんだから、きっと大丈夫なんだ。身体で覚えろという、一種の儀式のようなものなんだ。もうこの身体は科学的なものなんかじゃなくて、別の法則に乗っ取られたもので、それがどうしてあんな子供が油粘土で適当に作って、十五分ばかりで破壊されてもとのケースに収まってしまうような造形のイヌのような、クマのような生物から痛い目をもらわなければいけないんだ。大丈夫なんだよ、きっと。

 そんなふうに心のなかで自分を激励するものの、蛍光灯を握る手はじっとりと汗で濡れていた。さながら九回二死満塁でバッターボックスに立たされるスラッガーのようなものだ。彼らはそんなとき、どんなことを考えているんだろうか、なんて思ったりしたが、どちらかというと自分は初めてバッターボックスに立った中学一年生野球部員のようなものだ。

 中学生だった時分、体育の剣道の時に教わった竹刀の構えを何となく再現しながら、バイスが『挑発』とやらをするのを待った。

「そんなに緊張しなくて大丈夫ですよ」

 ふいに、サナリが話しかけてきた。

 隼はぎょっとして、できるだけ『魔物』を視界から外さないようにサナリを探す。

「大丈夫です、今時間は流れてません。集中力を極限に高めて、時間の経過を止めているんです」

「……本当になんでもありなんだな」

「そうですよ! そう言ったじゃないですか……。えっと、とりあえず話を戻しましょう……、実は私もアレを初めて見ました。きっと、私たちみたいに契約した存在でないと見えないんだと思いますし、そういう存在に引き寄せられるように、たまに現れるみたいです」

「何で」

 隼は、あんまり期待しないで訊いた。ああいう意味のわからないものの発生はその原因がわからないからこそ不気味で、こんな黒インクをぶちまけたような闇にお似合いなのだ。わからないんだろうな、と思いつつも、訊いてしまうのはもはや人間がそういう仕組になっているから、としか言い様がない。

 しかし、隼の予期に反してサナリはあっさりと答えた。

「嫉妬です」

 生きたるものへの嫉妬。

 そんなワードが隼の頭の中に閃いて、「ああ」と声を漏らした。

「嫉妬……か」

「……嫉妬です。ほんとに……嫌な感情です」

 サナリは『嫉妬』という言葉を繰り返した後に、小さく、いじけたような口調で続けた。それは彼女の生前に、何か嫉妬にまつわる嫌なエピーソードがあったことを明らかに示していたが、それは今掘り下げる話題でもない。

「……で、これから俺はどうすれば良いんだ?」

「あっ、すみません……えっと、立ってればいいです」

「……は?」

「私とシンクロナイズするんですよ! 幽霊に生人が合わされば、この世の因果律なんか簡単に操作できますから! ちょっと身体借りますけど……良いですか?」

 そういうことか、と隼は思った。死んだモノには死んだモノ、ということで、隼はただその媒になるだけだ。さっきまでのRPG云々の話は、この構造そのものの比喩だったわけで──、隼はここに来て改めて、バイスがかなり面倒くさい人間だということを認識した。さっさと教えてくれれば、こんな気苦労の必要はなかったのに。

「まあ、そういうことなら……任せる」

「あ、ありがとうございます! じゃあ……、支部長の挑発を待ちましょう」

 サナリがそう告げた途端に、周りの空気が動き始めて少し耳が痛くなり、ビデオの再生ボタンを押したように『魔物』が行動を始めた。

 本当に時間が止まっていたのか──、と隼が思った瞬間、バイスの『挑発』がなされて、身体が勝手に動き始める。ギリギリ、『魔物』のうちの一頭がやたらのようなところを怒らせてこちらに突進してきているのが見えた。それはあからさまにバイスを狙っていたようだが、バイスは向かってきた自転車を避けるようにひょいとそれを躱す。流れてきた『魔物』はその後ろに立っている隼のもとへとやってくる。

 そこから先は自分で何をしていたのか、よくわからない。

 どうやら、突進してきた『魔物』をさらっと避けた後に、その通り過ぎて行く背中(だと思われるところ)に古ぼけた蛍光灯を振り下ろしたらしい。そのときの手応えは素晴らしかった。まるで、トンカチでブタさん貯金箱をカチ割ったような快感だった。別に、自分が身体を動かしたわけではないが、それでも自分の身体が動いているのだから、そのスタイリッシュに魔物を打ち砕くという構図は、ただ単に『たたかう』コマンドを入力するだけでは得ることができない快感をもたらした。

 その後に、蛍光灯を思い切りアスファルトに打ち下ろして、粉々にしてしまったのは、少し肝が冷えたが。

「ごご、ごめんなさい!」

 サナリが現れて、ペコペコと頭を下げた。誰に下げているのかわからないが、とりあえず、蛍光灯を打ち砕くことは予定になかったパフォーマンスらしい。

「く、やると思った。創夏、片付けておいてくれ」

「はいはーい」

 創夏は宴会のための酒缶などを突っ込んでいたビニール袋に、粉々に砕けた蛍光灯の残骸を集め始めた。

「今日はあと一匹だ。お前がやっていいぞ」

 バイスは、最後に残った『魔物』を指さして言った。

「え……、でも、蛍光灯無いですよ」

「く、蛍光灯でなくとも、この世の物質で十分だ。……そうだな、じゃあこの支部に代々伝わっているこれを使え」

 差し出されたのは、パチンコ。しかも安っちいプラスチックで作られたY字に、合成ゴムが頼りなくくっつけられている子供が遊ぶような代物だった。

「これで破片を飛ばせば十分だ」

 バイスは創夏からもらった蛍光灯の破片を、パチンコと一緒に隼へ手渡してくる。それはまるで、こういうのお前好きだろう? と親戚の子供へ渡しているような具合で、あの禍々しい『魔物』もよくできた子供相手のきぐるみなんじゃないかと思えてくる。

「でも、当てる自信無いですよ」

 隼は言った。確かに子供だましのおもちゃではあるが、それを手にとったのは隼にとって人生で初めてのことだ。『魔物』の図体は牛並にあるとはいえ、それに命中させられるかどうか──

「く、お前には半壊がついているだろう」

 バイスは笑いながら応えた。いや、だから心配なのだが。

「ま、任せて下さい! 今度こそちゃんとしますから!」

 サナリがずいと、バイスと隼の間に出てきて主張した。胸の前でぐっと両手を握りしめて、なんだか場違いな真面目さ(というかかくあるべきなんだが)だ。

「く、そこまで言うなら……やってみろ」

「はい!」

「そ、それ俺のセリフなんじゃないですか」

 バイスに何故か立場を横取りされて、隼はすかさず言った。いかにもツッコミ待ち、のような気がしたから。

 それにしても、と隼は思う。本当にゲームで遊んでいるような気分で、きゃっきゃとコントローラーと右に左に回すように、この人達はあの魔物を相手にしている。非科学的で嫉妬の塊である死人の霊魂を目の前にして、寄せ集めたような武器しか持たずに、でものほほんとした雰囲気でそれを蹴散らしているのだ。いや、確かに自分の手で魔物を倒すのは快感で、もう一度やってみたいという気分になる。本当に自分は勇者並みの能力を授かって、世界を救うべく魔物を日夜蛍光灯で(蛍光灯ごと)駆逐する、選ばれた人間──そんな設定にうっかり溺れそうになる。それはそれできっと楽しい。

 でも……、なんだか、ぬるいような気がして。

 たかだか、イエスと、一度言っただけで?

 ここまで楽しくなれる?

 人間が腐るほど居る世の中で、こんな優越感にひたれる人間の一人に、偶然、選ばれただけで!

 宝くじに当たった気分で居ればいいのだろうか。でも、俺は宝くじを買ったことはないし、幽霊に選ばれる可能性のある権利を買った覚えもない。でも、人間は生まれた時点でこの権利を持ってるのか?

 それは俺が持っててよかった権利なのか?

 ああ、面倒くさい。

 隼は十年以上、森で仕事をしてきた狩人のように手慣れた手つきでパチンコを繰り、ゴムを引いた。合成ゴムの悲鳴が聞こえるか聞こえないか、そんな領域で手を止め、目標を睥睨する。今回は挑発をしないようで、嫉妬の魔物はひどく水の流れの遅い川に流される紅い花弁のように、その脚をこちらへ一歩一歩進めてくる。

 撃った。当たった。

 軌道はありえないほど綺麗に魔物へ跳んでいき、目を瞠るほど綺麗に魔物の肢体を引き裂いた。音もなく引き裂かれた身体は、テレビの電源を切ったような音を立ててアスファルトに沈んだ。

 これは──、気持ちが良い。

「く、見事だ」

 バイスが手をうって言った。黒い手袋がお互いを叩いて、くぐもった音を出す。

「えへへ、やりましたね!」

 サナリはぴょんぴょんと跳び跳ねて喜んでいる。すごい微笑ましい姿だったので、隼も思わずそれに応じてハイタッチしそうになったが、でも、現実はゲームように無責任ではいかないものだ。

「……まあ、よくある話ではあるな」

 隼はぼやいた。その視線の先には駐車中の一台の乗用車があった。さっきまであの魔物たちのオーラのせいでまったく気付かなかったが、今その謎の暗闇も晴れて街灯の光もきくようになって、ようやく気づくことができた。

 そのフロントガラスには、綺麗な線のきめ細かい模様が渦を巻くように織りなす、芸術的なモザイクアートが浮き上がっていた。そのガラス片の煌きが収斂していく先には──、さっき隼が放った蛍光灯の破片がぶち刺さっていた。フロントガラスは見るも無残に、ヒビだらけになっていたのである。

 あぁ、と隼が呻くのと同時、バイスはとても愉快そうに、

「く、謝罪ができるのは生きているうちだけだ」

「ごめんなさああああい!」

 サナリは誰かに向って、或いは全人類に向けて、全力で謝罪の叫びをあげていた。


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