第七節 型嵌りの女
「それでは~、井代隼君の入部をお祝いして~、乾杯!」
創夏が音頭を取って、三人は缶を軽くぶつけた。小気味良い音がこの小さな事務所に響く。机が無くて椅子しか無い中の宴会というのは不便なので、椅子を脇に押しのけ創夏が持ってきたビニールシートを敷き、そこに三人は腰を下ろしていた。
バイスと創夏はビールだが、隼はもちろんソフトドリンクを頂戴した。「いいじゃない、減るもんじゃないんだから!」とか既に酔っ払いのように、面倒な雰囲気を帯びた創夏の誘いを断るのには苦心をした。
石館創夏は都内の大学に通う三年生、らしい。地方から出てきたものの、都内の物価の高さに辟易してわざわざこちらの方で一人暮らしをしているとか。
「うまーく、ラッシュを掻い潜るような時間割組めば電車通学も楽しいものよ」
艶やかな黒髪をかき上げながら、創夏は楽しそうに言った。情報を乞う後輩にそんなアドバイスをしているのが嬉しいようだ。
彼女は童顔ではあるが、シャンプーのCMにでも出そうなほど滑らかな髪だとか、目元や鼻の線の鮮やかさだとかがうまい具合に折衷して、一人の美人を形作っている。それはもう彼女の動作一つ一つに、いちいち気を払ってしまうくらいのものなので、きっとこれが幽霊の力で得たものなのだろうと、隼は推測した。もちろん、そんなことを言って違うと困るので、すぐに訊いたりしないが。
そして、創夏の後ろで三人による小さな宴会を、サナリと一緒に眺める幽霊がもう一人。セインと言う中学生くらいの姿をした少年は、創夏と契約を交わした相手だ。この世のものに触れることができないサナリとセインは、少し退いたところから何かの話に花を咲かせている。放浪していた幽霊同士、なにか積もる話があるのだろう。
バイスはというと、ヘルメットの端を指で持ち上げて、そこからストローを通してビールを飲んでいた。かなり面妖な光景なので隼が思わず凝視してしまうと、バイスは面白そうに、
「く、こいつの中は企業秘密でね」
「お子様が見たらちびっちゃうわよ」
創夏がいたずらっぽい口調で言う。あながち冗談でも無さそうなので、そんな危うい轍を踏みたくない隼は、大人しく引っ込んでそれ以上の言及はしなかった。
「でも、高校生でこれだけの能力をゲットかあ……、そうしたら私だって良い青春を送れたんだろうなぁ……」
やがて、程よく酒が回り始めたらしい創夏は、とろんとした目で隼を見てぼやいた。
「……石館さんはいつ頃なんですか」
「私は大学受かって、こっちに来た直後よ~。曰くつき物件だって聞いてたけど、すさまじい曰くつきが居たわけね」
そう言ってちらりと、彼女の契約相手であるセインの方を見やる。セインも上機嫌な様子で、
「あー、あの時の驚きようったら無かったな。話してやろうか!」
「や、やめてよ~! もう思い出したくないんだから!」
創夏は両手を伸ばして、セインが昔話をするのを阻止しようとする。
「えー、聞きたいです」
サナリが心底楽しそうにそんなことを言った。
隼はただ笑いながら成り行きを見守るほか無い。彼がサナリを初めてみた時の反応も、あまり人に知られたくない類のものだったからだ。それに、ごく普通の生活をしている人間だったなら、それはあまりにも自然な反応なのだから、同情に近い感情が湧くのは当然のことだった。
「く、だが、ここに来て三人になったことは有難いことだな。他の地区じゃ一人かゼロ人がザラだ」
ビールをストローで吸い出して、バイスが言う。
「そ、そうなんですか!」
創夏が話題の転換に飛びついてきて、叫ぶように言った。
「ああ。ここは良い場所らしい。ゼロ人なら、まだ良いが、ずっと一人だと大変だ。その点、俺はもう自分の手を煩わせる必要が無くなると思うと、心が軽い」
そうして、またストローに口をつける。そんな飲み方で豪快さが皆無だから、まるでただのお茶会のようだ。
「一人じゃ、やっぱ堪えるんですか」
隼はさっきバイスから受け取って、すっかり冷めたコーヒーを啜りながら訊いた。
「当然だ。一人より二人、二人より三人の方が良いに決まっている。お前だって、そうだろ」
「……まあ、そうですけど」
バイスの意外に素直な意見に、隼は若干困惑しつつ頷く。そして、間を繋ぐようにコーヒーを口へ流し込んだ。カップは空になった。
「ふあ~、眠くなってきちゃったわ……」
カコン、と空になった缶を倒しながら、創夏は眠そうにとろんとした顔で伸びをした。
もう缶を空けたのか、と隼は思いながら、そちらを見やって、ギョッとした。空になった缶が五つ、不秩序に並んでいる。バイスのしょぼい飲み方ばかりに気が行っていて、彼女の大呑みに気が付かなかったらしい。もう飲むものというのが、バイスの飲みかけのそれと、隼が買ってきたコーラしか残っていない。
「く、よくこんなものを、こんなに飲めるな」
空になったらしいストローがささった缶を、バイスが放り投げながら言った。それが突っ込み待ちなのかよくわからないので、隼は黙って缶が転がっていくのを見つめる。この酒臭さも、とっくに慣れてしまった。
「サナリちゃん……、ちょっとおいで~!」
創夏はすっかり紅潮した顔に、園児達を前にした保母さんのような柔和な表情で、サナリに向かって手招きをした。
「な、何ですか……?」
サナリは彼女の誘いに、どきどきとした様子で近寄ってきた。隼はサナリの後ろに居たセインが、ああ、またか、とでも言いたげに、目を伏せて、そのあどけなさの残る細い肩を、成熟した大人のような仕草ですくめていたのを見てしまった。
にわかに、近寄ってくるサナリが罠にやってくるウサギのように見えてきた。
創夏はもう、いかにも待ちきれないという風に、
「んも~! かわいいいい!」
と叫んで、サナリへと躍りかかった。
「へああっ?」
呆気無いほどにサナリは圧倒されて、二人は固い床へと一緒に倒れこんだ。
「あああああ! 可愛い! どうして! そんなにカワイイの! 怒るわよ!」
「や、やめてくださいぃ……!」
「やだわぁ! もう死人みたいに冷たいじゃない! お姉さんが温めて上げるわ~……」
「ひっ、そ、そこはダメですぅ……」
「あら、そんな声も出るのっ! ろ、録音ができないのがとても残念よ……、どうなの、こことか……」
「ひゃうううう!」
何やら激しい衣擦れの音を背中に据えて、隼はバイスの方を見た。黒いヘルメットの男は、そんなハプニンが起こっているのはここから数キロも隔てた場所であるかのように、じっと膝を立てて座り手袋の指先を弄んでいた。
隼は息を深く吐いてから、息を吸う代わりにコーラを飲んだ。
「く、契約した者なら、他の冥界の住民とも接触ができる。それが簡単に分かる光景だな」
バイスがそんな隼の様子を楽しむように言った。危うくコーラが気管に入りかけて、目を白黒させた直後の言葉だったので、隼はげんなりとした気分で頷く。
「別に、酔ってるからってワケじゃない」
げんなりとしているのは、隼だけではなく、創夏の契約者であるセインもだったようだ。大回りするように、反対側の壁からすり抜けてきて、隼の隣に座りながらそう言った。
「そういう嗜好なんだ」
「へ、へえ……」
また、なんとも反応に困る情報だったので、隼は逃げるようにコーラに口をつける。
「何だ、お前がこうされたかったのか?」
セインが冗談めかして、親指を荒れ狂う創夏に向けながらそんなことを言うので、隼は再びコーラを逆流させかけた。
「……ま、まさか」
「はははっ! まあ、君が本気を出せばハーレムを作り上げるくらい容易いだろうさ」
「……ハーレムなあ」
隼がつまらなそうにその単語を口にしたので、セインは少し不満そうな顔になった。
「なんだよ、君だって男だ、一度は夢に見ただろ? お、俺だって……それが未練がましくて、死んでからもこの世をほっつき歩いてたんだからな」
明らかに『それ』というのが何か、察せ、と言わんばかりの口ぶりだったので、隼は回答してやった。
「……彼女ができなかったのか」
「……否定するまでもない、か。でもな、俺は死んでからわかったんだが」
セインは子供っぽい目に、真剣な色を滲ませた。
「恋人の有無で他人を煽り立てるような奴が、一番色恋に敏感で、自分がそれに胸を躍らせることを望んでるんだってね。でも、なんだかガツガツしてるように思われたくない、なんていう意地が邪魔してて、素直になれなかった。そう、足りなかったのは、素直さだったんだよ。でも、そんなものはもうこの世では希少なのかも知れないなあ、つまらないからな」
「素直さ、か」
隼は呟いてからちらりと、サナリの方を見やろうとしたが、寸前で思いとどまった。誤魔化すように手に持っていたコーラのペットボトルをビニール袋の中に入れる。そんな彼を見て、セインはまた笑う。
「はは、創夏は素直中の素直な人間だ。見つけてもらったのがあいつで良かったと、心底で思ってるよ。……こんな美人になったしね!」
なるほど、これほど自信満々に言えるのだから、セインには今に至るまでに色々な思考の変遷があったんだろうな、と隼は何となしに思った。最初から、「俺は気立ての良い美人と一緒にいたい!」なんていう、とても素直な欲望だったのなら、この世に魂を押しとどめるまでの未練にはならなかっただろうから。
これはこれで、ひとつの幸福のかたちなのだろう。
隼が、そんな結論に至ったところで、バイスがく、と短く笑った。
「寝静まったぞ」
その声に振り向いてみると、創夏は干したてのふかふかな羽毛布団で眠っているかのような、健やかな寝息を立てていた。その腕の中には、半泣きのサナリが収まっていて、助けを乞うような目で隼のことを見ていた。なんやかんやされていた筈なのに一切服装が乱れていないあたりに、彼女がこの世と一線を画した存在であることを実感する。
壁とか普通の人間はびっくりするほど簡単に抜けてくるのに、創夏の腕からサナリを救出するのには苦労した。
「び、びっくりしました……」
泣きそうな顔で隼の隣にへなへなと正座しながら、サナリは言った。セインはけらけらと笑いながら、
「ま、ここは女っ気が無いからさ。こいつも興奮しちまったんだよ」
「うう……」
サナリは小さく声を上げて、何か大事なものを無くした子供のような悲哀に満ちた視線を隼に向ける。それもかなり深刻な様子だったので、隼はそこまでだったのか、と思いながら、
「……大変だったな」
「ご、ごめんなさい……」
何故か謝られてしまった。きっと他人に勝手に中身を呑まれたワイン瓶が持ち主の前で擬人化したら、こんな具合の表情になりそうだ。本気で申し訳無さそうな顔をしている。
そんな微妙な様子のサナリに、隼はどうするべきかと逡巡していると、セインが威勢よく立ち上がった。
「ここは、素直にいかないと!」
「は……、え、ちょっ……」
セインは強く隼の腕を掴み、まっすぐサナリの方へ引っ張っていくと、彼の手がちょうどサナリの頭に載るように置いた。
掌に柔らかな感触がぽん、と飛び込んできた。
「あっ」
「えっ」
思わず、隼はすぐに手を引っ込めてしまった。本当に反射的だったので、ぽかんとした表情を向けるサナリの視線にはっとして、自分の手を見下ろしてようやく、自分が手を引いたことを理解したくらいだった。
「何だよ面白くない」
セインがつまらなそうに言った。
「そんな純朴で、後で後悔したって遅いぞ。顔が良くても、こっちに興味が無けりゃ、死んでも死にきれないからな」
そんな台詞は、眠りこけている創夏を見やりながら。不満そうだが、別段心の底から不満なわけでは無さそうだった。彼も彼なりに今の状況に満足をして、今この場に居るのだろう。そんな風に言うのは、自分の失敗を誰かに教えて教訓にしてほしいから、なのか。
「……まあ、肝に銘じておこう」
隼はとても小さな声で言った。サナリは頭に何か落ちたと勘違いしたのか、手でぱっぱとさっき隼が触れた辺りを払っている。まるで痒いところ探す猫のようだった。
「く、もう夜も深いな」
そんなタイミングで、バイスが呟くように言った。どこか眠たげな口ぶりだった。
「二十二時まわったところですけど」
隼は壁に掛かってる時計で時間を確認してから、一応言ってみた。確かに外に居るぶんには遅い時間なのだろうが、夜が深いと言うほどに遅いとは思われない。
「く、いや、これは我々の用語でな」
バイスは薄く笑った。用語と言ったが、ここでその意味を教えてくれるわけではないらしい。
「宴会はお開きだ。これから二次会に移るぞ」
「おい、起きろ、二次会だぞ」
セインが軽く小突くように、眠りこける創夏の肩のあたりを蹴った。女性に対してするにはやけに乱暴だな、と隼は思ったが、これが彼らの信頼の形だと考えると、羨ましくないわけではなかった。
少し機嫌悪そうに呻きながら、創夏は起き上がった。
「いま何時……?」
「終電には間に合う」
バイスが立ち上がりながら答えた。この季節には大袈裟すぎる、分厚い黒いコートがばさりと揺れる。
「狩りに行ったら、どうか分からんがな」
「あー……、じゃあ仕方ないわ」
狩り? と、訊ねようと隼が口を開く前に、創夏はもうさっきまでの酔いなど、元から存在しなかったかのような、名女優がシリアスなシーンにするような迫真の演技よりもよっぽどリアリティのある口調で言った。
「今日も行きましょ! バカンスに!」
びっくりするほど噛み合わせの無い会話に、隼はただ呆然とするほかなかった。




