第六節 黒塗りの身体
契約者たちの集う支部に向かうという話だったが、それを聞いて、なんとなく事務所のような堅苦しい場所を想像していた。そんな場所に、幾人もの人並み外れた力を手にしてしまった人々が集まって、なにか真面目な話しを始終している、ような場所。否応なしに身構えてしまう。
挨拶と言っていたが、手ぶらで行って大丈夫なのだろうか。
「まあ……大丈夫だと思います」
サナリはちょっと考えただけで、そんな頼りない返事を寄越してくる。そのせいで、一層緊張が高まってしまった。
その支部とやらだが、学校から一時間以上歩いて、周りがそろそろ畑や田んぼばかりになってきてもサナリはここだ、となかなか言い出さない。いい加減不安になってきたところで、ようやく「ここだよ」と指さしたのは、どこにでもありそうなプレハブ製の小屋だった。どこの家の人が所有しているのかも分からないような砂利の駐車場の隅に立っており、原付きが一台ぽつんと脇に停めてあるだけでほかは殺風景な畑の景色が広がっている。
こんなところに集まる人間が居るのかと思う程だが、サナリは早く早くと隼を促す。
隼は一度、深呼吸をしてからその家に歩み寄り、ぐっとドアノブを握りしめて押した。
「こんにちはー!」
だが、サナリは我慢できないという風に、まだ開ききっていない扉をすり抜けて中に入り、明るい挨拶を飛ばしたので、隼は一瞬、もう帰ろうかと迷いが生じた。でも、どうせここで引き返しても身体を乗っ取られて引き戻されるのが関の山だろう。
隼は観念して支部のプレハブ小屋の中に入った。
「く、久しぶりだな。まだ生きていたとは」
サナリの挨拶に応える、くぐもった男の声がする。
小屋の中は異常に物が少なく、一つ隅にコーヒーサーバーとその他雑多にものを置いた棚がある以外は、パイプ椅子が乱雑に数脚散らばっているだけだった。しかし雑然としている割にはどこか清潔感がある。なんとも不思議な空間だった。
そんな小屋の奥で異常な存在感を醸して座っている、先ほどサナリが声をかけていた人物を見て、隼は初めてサナリを見た時ほどではないが、驚いた。
声がやけにくぐもっていると思ったが、それもそのはず、その頭には真っ黒なフルフェイスのヘルメットをつけていたからだ。その漆黒と対応させてなのか、もう暖かくなってきた季節だというのに真っ黒なロングコートを着こみ、黒いジーンズに艶やかに磨き上げられた黒い革靴を履いて、その両手にはまた分厚い黒い手袋をはめている。
そんな闇の中からそのまま出てきたような、飛び抜けた格好の人物がそこに座っていた。さっき聞いた声から判断するに男なのだろうが、ここまでくると性別など関係なしに気味が悪い。
「この小僧がお前の目当てのものか?」
その黒い男は、隼のことを一瞬見ただけで、サナリに向かってそんなことを訊く。小僧などと呼ばれたことに対して、むっとできるだけこの人物に慣れていない隼は、ただ呆然としているほかない。
サナリの方は慌てた風に、
「め、目当てなんて! そ、そんな私ががめついみたいじゃないですかー!」
「く、死者として彷徨う時点でがめつくないなどと言えると思うなよ。この世は貪欲な人間が勝つ仕組みになってるんだ、そんな歯が痒くなるような反応しないで、もっと胸を張れよ、半壊。くく、もう乳の大きさ如何でうじうじしなくて済むな」
「もう! そんなの私は元から気にしてないです!」
気心の知れた友人の冗談に付き合うようなもので、本気で怒っているわけではないらしい。黒の男は、エフェクトの効き過ぎているマイクを通したような、低く楽しそうな笑みを漏らした。
それから、そのスモークのかかったプラスチック面を隼に向けて、言う。
「で、そこの小僧」
「……っ」
その態度の豹変ぶりに、隼は思わず身体を強張らせる。くぐもった声はヘルメットのせいだと思い込んでいたが、小僧呼ばわりしたその声はあまりに鋭く、この黒い男の敵愾心そのもののようだった。
「何が望みだ」
答えによっては、家に帰れないだけでは済まない。コンクリート製の国産靴を履かされて、魚と同じ環境で暮らすことになるぞ。そんな無骨で凄惨な脅迫じみた意志を、感じさせる威圧。
隼は咄嗟に息を呑んだ。
正解は何だ?
部屋の空気が固まったような沈黙がおりる。
彼は必死に頭を巡らせた。
何が望みか。そんなの答えられるわけがない。昨晩、サナリにされた質問を想起させるような、頭がふらふらしそうになるほどの難問。
──あなたはいま、幸せですか?
隼は、必死に震えそうになる唇を動かして言った。
「平穏の中の、幸せを」
「く」
黒い男は、一度、低い声で一笑した。
それから、やけに高い声で、
「アホか?」
と、叫んだ。あまりにも感情を逆撫でするような口調で、腫れ物に塩を思いきり塗りつけられたようだった。ぐっ、と肺の底に、重くて鈍い色をした息が溜まる。
でも、それだけあからさまなのだから、すぐに分かった。
その瞬間に、溜まっていた怒気が笑いに変わりそうになる。
「その通りですね」
「く、面白くないな」
さっきまでの調子に戻った声は、言葉に反して明らかに面白がっていた。
「まあ、この方が楽でいい。今俺がしたような、ハエが触覚をこするみたいな挑発に乗っちまう腐ったヤツに幽霊が付くと、腐敗が加速するからな、鬼のような修行をしなければいけなくなる、それはちと大変だ」
「はあ……」
「……この能力は使い様によっては、人をタンパク質の塊からゴミに変える。だから、契約を済ませた半壊はそれぞれの管理者の元へ行かなくてはいけない」
そう言って黒い男は立ち上がり、音もなくコーヒーサーバーの元へ行き、操作する。豆の削られる音がした後に、温かいコーヒーが予め置いてあったカップに注ぎ込まれていった。ここだけやけに金が掛かっているな、と隼は思いながら、口を開く。
「それは、人格を正すため?」
「く、その通り。女湯の覗きをするだけならまだしも、核ミサイルのスイッチを押されると流石に面倒だからな」
ずず、と衣擦れの音をさせ、黒い男は隼の方を向く。そして、言い終わったと同時に、淹れたてのコーヒーが入ったカップを、まるでボールペンをそうするような手軽さで、ひょいと隼の方へ放り投げた。
「!?」
咄嗟に受け取ったものの、その勢いで中のコーヒーは溢れて服はびしょびしょに──、と思ったが、一向にそんな感触はやってこなかった。
手元を見下ろしてみると、カップの中でコーヒーの水面が激しく揺れ動いているだけで、零れた様子は一切ない。
「く、俺はそういうものだ。もう並の物差しで測れるような人間じゃあない。そうだな……、量子単位の物差しなら測れるかもな」
それから、かけろ、と言う風にパイプ椅子を片手で拾って、ぱっと広げてぽんと置く。隼は頭を少し下げてから、ありがたく、だが少し警戒しながら腰掛けた。
一連の動きで示しているのは、他でもなくこの黒一色の男は相当昔に幽霊と契約した人間であるということ。契約相手である幽霊の姿が見えないが、実際冥界のルールというのはまだよくわからないことが多い。別居状態にでもあるのだろうか。
「すまんな、久しぶりの初対面だから、緊張している」
そんな戯言と本人も分かっているであろうことを言いながら腰にかける姿は、全く油断ならない。
「まあ、悪くない。この分なら、全く問題無いだろう」
その言葉はサナリへと向けて。
「そうですよね! 私もそう思います!」
サナリの目の輝きようは、隼が契約をすると言った時に見せた以上のものだった。それだけ嬉しそうにされると、隼も穏やかな気分になってくる。
あの時の決断は間違ってなかった、と。
隼が受け取ったコーヒーに口をつけると同時に、黒の男が言った。
「く、まあ、ファーストコンタクトはこんなところだ。……自己紹介がまだだったな。俺はバイスで通っている。人類が滅びる様を見に行く人間だ」
「えっ?」
最後に何気なく発された言葉に、隼は思わず声を漏らしてしまったが、バイスがフルフェイスの裏側から催促するような気配を送ってきたので、とりあえず名乗っておいた。
「い、井代隼、です。高校二年になります」
「隼か。く、よろしく頼むぞ、少年」
バイスはその名を噛み砕いて嚥下するように隼の名を繰り返して、そんな挨拶をした。
隼はさっきの言葉が気になって、すぐに質問のために口を開く。
「……えっと、人類が滅びる様を見るとは……?」
「く、そこに興味を持つとは流石少年」
バイスは勿体ぶるように、くぐもった笑いを漏らす。隼は少し戸惑いながら、
「いや……どう考えても興味を持つように誘導してましたよ……」
「く、そんな俺を狡い人間みたいな云い方はよしてくれ。だが、まあ、質問に答えてやるとするとな、俺は真の孤独というものが懐かしくなった」
「真の孤独……」
隼は思わずサナリの方を見やる。孤独というものを嫌がって、生きるものの世界を嫌というほど歩いてきた彼女の反応が、気になってしまったからだ。
──サナリは欠伸をしていた。今回はもう、呆気に取られるほかない。
「そんなに驚くほどでもない、ちょっとした詭弁だ。単純に、そこまで人間が死ぬまで生きる、それが俺の当面の目標だ」
呆然とする対象を勘違いされたようで、バイスは相手を落ち着かせるように淡々と述べた。
隼は居住まいを正して調子を取り戻し、
「そんなことが可能なんですか?」
「く、当然だ。そして、お前もその気になれば、余裕でできることでもある」
「そうですよ」
さっきまで暇そうに欠伸をしていたサナリが、胸を張った。
この男は幸運にも手に入れた幽霊の力を使って、不死にでもなったのだろう。そして、幽霊と出会う前からずっと思っていたのか、後から思い始めたのか知らないが、人類の破滅まで生き続けようとしている。
しかも、そんな生き方をする権利を隼は持っているらしい。透視ですら、少し念じるだけでできてしまうのだから、本気でやろうと思えば不死の身体を持つことは容易いことなのだろう。
だが隼は、そんな退廃的な生き方は願い下げだった。そこまで彼の精神は図太くない。知人や家族の寿命が尽きてくるあたりで、もう嫌になってしまうだろう。
「できれば遠慮したいことですね」
なので、隼は正直に言った。バイスは案の定、といった風に鼻を鳴らす。
「く、まあ同じ目的を持つものがもう一人でも居ると、俺の目標は永遠に達成できなくなるからな、助かる。どうか俺より先に死んでくれ」
「言われなくても死にますよ」
隼は苦笑した。
バイスは黒い手袋に包まれた手を、握ったり開いたりしながら、
「一つ例をあげてやる。俺のこの能力の使い方だ。不死身というのは、ただ死なないだけでは意味が無い、不慮の事故が起きた時、仮に手足がもげてしまったら、心臓が吹っ飛んでいってしまったら、目玉が潰れてしまったら。く……、これはこれは辛いぞ」
「はあ……」
「だからな、すぐ生える身体にした」
「……はあ」
隼は、思ったように反応ができなかった。まさか、と思っていることが当たると、却って円滑な反応がしづらくなるものだ。
「生えるって……、カビかなんかみたいに?」
「本質的には違うが、まあ大体そんな感じだ。見てみるか?」
「いえ……結構です……」
頷いたら本気で指の一本でも散らしそうな雰囲気だったので、隼は首を振る。
それにしても、見てみるか? と問うということは、今ここで見せることができる、つまりカビか何かのように徐々にというわけではなく、早回しで植物の成長を見るかのように僅かな時間で戻ってくるのだろう。
そこまでして人が死ぬまで生きる、と宣言できるあたり、もはや人を超越している気がする。絶対に、この男とだけは敵対しないようにしようと、隼は心に決めた。
そんな隼の心中を見透かすように、バイスはヘルメットを鈍く光らせる。
「だが、これはやっておいて損の無い保険だ。これを教えるのはお前が初めてなんだが、身体から離れた身体の部分、手とか脚とかいうのは、『死』んだものとして扱われる。まあ、なかなかその基準はフレキシブルでな、最新の医療でも完全に接合ができない時点で死になる。つまるところ粉々になってたり、時間が経過しすぎて腐った場合だ」
「はあ……つまり、もう元には戻らないと?」
「そういうことだ。もう冥界に召されている訳だからな。失ったものは、戻らない」
何故だか、その言葉に重みを感じられないような気がしたのは、もうバイスという人間があらゆる保険をかけ終わっているからなのだろう。
失っても、戻ってくる。だからこその老婆心のように思われた。
「まあ、俺はそんなに長く生きているつもりも無いですし……というか、そもそも無くなったら無くなるのが当たり前じゃないですか」
「く、確かに。いや、確かにそうだ。忘れていた」
それはまるで調子の良い中年男のような言い草で、隼が思わず目を細めるくらい胡散臭かった。
「だが、それほどの力をお前は持っているのだとだけ、伝えておこう。どうもお前は、あまりにも少年としては精神的に老いているようだからな。力を無駄にされると、困る」
「……、まあ、自覚はありますけど」
隼は皮肉を込めてそう返事をしておいた。それはバイスに対してではなく、半ば思わずムッとしかけたのをすぐに呑み込むことができた自分に対してである。
バイスとの対話中、サナリは相変わらず暇そうに、時折欠伸を交えながらその辺りをぶらぶらしていた。それでも大抵そういう人が見せる手持ち無沙汰感が感じられないのは、隼と出会う前の放浪時代に慣れきってしまったからなのだろうか。
バイスはそんなサナリをちらりと見やった後に、
「く、まあ、自分で模索すればいいさ。その力の使い様をな。……ほら、また一例がやってきたようだ」
その言葉に、隼は急に緊張し始めた。
まだ他にも、ここの構成員は居るのだ。そして、何だかバイスの口ぶりからすると、バイス並に面倒な──、並外れた力の使い方をしているような印象を受ける。
そして、バイスが言い終えて少しもしないうちに、事務所のドアが開いた。
「お疲れ様です~! 今日も一杯買ってきましたよ~! 飲み明かしましょ~!」
じゃらじゃらと、ビニール袋のこすれる独特な音と、缶同士がぶつかる音を派手に鳴らしながら、一人の女性が入ってきた。飲み明かす、という言葉通り、彼女の持つビニール袋には酒の類とそのつまみが詰まっている。
「く、いい心構えだな」
バイスは楽しそうに言った。
「俺とお前以外、唯一の支部員だ、石館創夏だ」
「あ~、あなたが新入りの子? よろしくね!」
石館創夏は、隼に向けてウィンクをしてみせた。
綺麗な顔をしているのに、あんまり上手くなかったのが残念だった。
バイスの姿形は、むかし私が書いた「アサルトアームズ」に登場する部長のそれと全く同じにしました。何故かと言われれば、支部長という人間像をどうしようかと思った時、彼がそのまますっと入ってきたので。
大体この物語は、アンサー小説として(この言い方が良いのかどうか分からないが)、あまり新人賞だとかを意識しないで(でもまあ完成したら一応投稿はするつもりで)書いてるもので、過去作品のリミックスとして書いてるわけです。だから、過去作の要素を取り入れるなんて、造作も無いことです。別に考えるのが面倒だから、とかではないです。心がきれいなうちは。
もうとっくのとうに筋道は立ってるんですが、これはある意味モチベーションとの戦いなので、後はやる気が出るかどうかを祈っておいて下さい。興味が無かったら放っておいて下さい。
よろしくお願いします。




