第一節 始まりの余興
学校の放課後。
今月、高校二年生となった井代隼は、誰もいない教室で黙々と参考書を読み耽っていた。今は新入生が部活動を自由に見学して回れる期間で、エネルギッシュな放課後の雰囲気はどこか懐かしいものがあった。
それでも放課後の教室は、そんな賑やかさとは切って離されているように、とても静かだった。参考書のページを繰る手を止めて外を見ると、空は鮮やかな橙色に染まっている。
隼は参考書をカバンに放り込んで、大きく伸びをした。
「あれ、お前一人か」
すると、そのタイミングを見計らったかのように声がかけられた。隼はやっとか、と思いながら、ちらりとそちらを見てギョッとした。
「……何だ、それ」
隼の視線の先では、隼の友人下野英太がいた。平均的な身長で程々に伸ばした髪の毛、平均的な体つきに目がそこそこ大きいくらいが特徴の顔つきの男だ。
隼が驚いたのは、その持ち物だった。でかい紙袋を両手でぶら下げて、こちらに向かってきている。
「これが何かって? 聞いて驚くなよ!」
得意げな笑みを浮かべて、それを大きな音を立てて机の上に置く。そして、紙袋を取り払った。
「ライフすごろく……」
「そう! 人生を追体験しながらあの手この手で栄華を極めながら子孫を増やしていき、最終的には億萬貂蛇の地なる場所で永遠の命を手にするという、混沌のすごろく!」
「どんな中二設定のすごろくなんだよ……体験できるのは普通の人生だろ」
「すごいだろ!」
英太はしてやったり、といったような顔をするので、隼は目を細めて、
「すごくない。これが発売されたの、俺が小学生でしかもまだ、閏戸にいた頃の話だぞ」
閏戸とは、今隼と英太が住んでいる地名だ。ここ、緋伊庭高校の最寄り駅から数駅で到着する。
隼は小学校の時、家の都合で途中閏戸から離れていた時期があり、戻ってきたのは中学生になった時のことだ。英太と知り合ったのは閏戸中学校に転入してからだが、それまでの経緯は教えてある。
英太は隼の言葉に首をかしげた。
「……お前が小学生でここに居たってことは……、これ、もう二十年前のものなのか……」
「お前の脳内で俺達は幾つの計算なんだ、せいぜい八年かそこらだろ」
「いえええ、それはそれでショックだぞ……」
「……それで、これをこれからやるつもりなのか?」
隼は時計を見ながら訊いた。もう部活動が終了することになっている時間を少し過ぎている。たいていの部活はもう部室を閉めて、新入生達と帰路についているはずだ。
それなのに、これからすごろくを始めようと言う。
「全国常連の吹部じゃないんだ、夜遅くまで残るつもりか?」
「え、いいだろ」
けろりと即答された。隼は顔を渋くする。
「……男二人だぞ」
「あー、そういえばそうだな。他の奴らは?」
「部活だの用事だので来てないんだろ」
「ふーん、じゃあジュンは俺のために一人でこの寂しい教室で待っていたってことか!」
認めたくないことだが、事実上はそうなる。
「それとこれは話が別だろ。大体どっからこんなもん持ってきたんだ」
「いいじゃん別に、やろうぜ。二人だけど。……でも最初は俺達も二人だっただろ」
英太は乗り気でない隼の目の前で、箱を開いて中からボードやらコマやら紙幣やらを取り出していく。こうなってはもう仕方がない、付き合うだけ付き合うしかない。
「あぁ……二人だったけど、お前がナンパまがいなことをしたせいで、何人か増えた」
「俺がナンパ? そんな恥ずかしいことするわけ無いだろ」
「名前も知らない女子生徒に『カードしない?』って藪から棒に話しかけたのはどこの誰だ」
「ゲームは人数が揃わないと楽しくないだろ」
「じゃあ今、頭数を揃える努力をしないのか。今なら部活帰りの生徒がわんさかいるぞ」
「そんなことしたら失礼だろ!」
「……何なんだよ、お前は」
「フッ、一匹のしながないサラリーマンさ」
「あ! お前まだ準備整ってないのに勝手に始めやがって」
「リーマン嫌だから人生やり直したい」
「そう簡単にやり直せてたまるか」
「……何やってんの」
ふいに呆れたような声がかけられた。二人してそちらの方を見ると、一人の女子生徒が苦い顔をして立っていた。
「あれ、ササッティじゃん。何してんの?」
英太が脳天気に言葉を返す。
「何してんのって、こっちが先に訊いたんだけど」
女子にしては背が高く、セミロングの髪をポニーテールにして、凛としたような印象を受ける風貌を持つその女子は、佐々江知識という。軽音楽部に所属しており、今はおそらく部活が終わったところなのだろう。
「こいつがいきなりこれを持ち出してきて、やろうと言い始めたんだ」
英太に任せているとどんな話の展開になるものか分かったものではないので、隼が説明してやった。
「下野って生徒会入ってるんじゃなかったっけ……?」
「おうよ! 今日もバリバリ活動してきたぜ! 今は月給四十万円のリーマンだけど」
ライフすごろく同梱の、職業カードを見せつけながら英太が言う。この様子だけ見ると、とても生徒会に入ろうと思うような性格には見えないな、と隼は思った。
「で、お前は何しにここに来たんだ」
疑惑の眼差しを英太へ向ける知識に、隼は訊ねた。
「何しにって……、一応、居るかなって思って顔出したの。いつもはしないけど」
「いつもはしないのに、何で今日はしたんだ?」
英太がそっけなく疑問をぶつける。
「えっ……それは、き、気分だから、下野がいつも気分で周りを困らせるみたいに、あたしにだって気分で動く時があるの」
「……ササッティさ」
どこかたどたどしい知識の言葉に、突然英太は真顔になった。
「えっ……」
英太は戸惑う知識に人差し指を向けて、
「ゲームに入りたいなら、素直にそう言えよ!」
「ち、違うって!」
咄嗟に否定したものの、その後の英太の執拗な勧誘に根負けして、結局知識もライフすごろくをすることになった。
「門限大丈夫なのか」
隼が一応訊くと、知識は安堵したような面持ちになった。
「うん。最近はそんなに言われなくなったんだ」
「それなら平気か」
「平気じゃないだろ」
英太は再び真顔になる。「ゲームは四人が一番楽しいのに、これじゃあ一人足りない!」
「……」「……」
隼は知識と顔を見合わせた。なんと面倒くさいやつだ。お互いの顔がそう無言で語り合っていた。
「そういうわけだから、俺はもう一人探してくる」
「……待ってりゃ、石地くらい来るんじゃないか?」
隼は一応言ってみた。石地とはパソコン研究会に所属していて、よく英太がこのような感じで突発的に始めるゲーム大会に参加する男子のことだ。
だが、英太は首を振った。
「待っているだけでは、宝物は手に入らない! 俺が探してくるから待ってろ!」
そう宣言して、教室から飛び出ていった。さっきは部活帰りの生徒を連れてくることを失礼だ、とか言っていたくせに、その手のひら返しの早いことだ。
隼はその後姿を見送ってから、思い出すことがあった。
「……去年、佐々江にあいつが初めて声を掛けた時もこんな状況だったな」
「本当に? じゃあこれから話し掛ける人にも、あんなナンパまがいなことするわけ?」
「普通に断られるのがオチだろ。そんな心配することでもない」
「それはそうだけど……」
知識はどこか心配そうだった。真面目に英太に話しかけられる人を心配しているような様子が面白かったが、隼は黙っていた。
英太の帰りはかなり早かった。
「よーし、これで万全だ!」
威勢よく教室に飛び込んできた英太の後ろには、一人の女子が居た。まさか、と隼は思ったが、その顔を確認して納得した。
「乃衣か」
「わたしでーす」
ぴょこんと英太の後ろから姿を現したのは、背の小さい女子だった。もともと目がぱっちりして輪郭も柔らかい上に、髪を二つに束ねているのでかなり幼く見える。
時木乃衣、今月この緋伊庭高校に入学した高校一年生で、隼と英太の後輩だ。
「ヘッドハンティングだったぜ。んじゃあ、やろうぜやろうぜ」
英太は早くゲームを開始したいらしく、さっさとライフすごろくの準備を始める。
「えっと……知り合い?」
知識が乃衣と隼を交互に見やりながら訪ねてきた。
「あぁ。俺と英太の中学の後輩」
「時木乃衣です、よろしくおねがいします!」
乃衣は笑顔で知識に挨拶をした。
「佐々江知識、『知識』って書いて『しおり』って読むよ。時木さんは新入生?」
「はい、でももう慣れました!」
「へえ、部活はどこに入るか決めたの?」
「演劇部です! さっきまで仮入部して来ました」
手持ち無沙汰な隼は女子同士初対面の会話を聞き流しながら、英太が全員分のコマを準備するのを待っていた。
「よし、じゃあ早く始めようぜ」
やがて準備が完了して、四人は人生を開始した。
そのゲームが終わる頃には、もう外は真っ暗だった。
四人は手早く片付けを済ますと学校から出て、十数分歩いたところにある駅から電車に乗り込んだ。
隼と英太と乃衣は地元が同じだから三人揃って閏戸駅で降りるが、知識はもっと遠方から来ているのでここで別れることになる。
三人は電車から降りて、まだ中に乗っている知識に別れを告げた。
「もう暗いから気をつけろよー」
英太が言うと、知識はつんとした風に、
「あんたがすごろくに付きあわせたんでしょ」
「んー、でも楽しそうだったじゃんか」
「……まぁ、楽しかったからいいけど」
視線を逸らす知識の顔を隠すように、電車の扉が閉まった。
改札を出て駅舎を出ると、英太は駐輪場へと駆けていった。すぐに自転車を転がしてくると、手をぶんぶんと振る。
「そんじゃあ、また明日」
「んじゃあな」「さよならー」
「お前らは家が近いからいいよな……俺もこのへんで一人暮らししたい」
英太と乃衣の家は徒歩で無理のない距離にあるが、英太の家はここから自転車で二十分ほどかかる。方向も違うので駅前で別れることになるのだ。
「お前が一人暮らししたら死人が出る。もう少し我慢しろ」
「なんちゅうあしらい方だ……んじゃな」
英太は自転車を立ち漕ぎして去っていった。
「あっ、そうだ、聞いたよ!」
夜道を歩き出して間もなく、乃衣が口を開いた。
「何を」
「隼、この前の模試で全校一番だったんでしょ! 凄すぎ!」
「ああ、そうなのか」
隼は意外に思って、素直に思ったことを口にした。そういえば、何かテストをやったような気がするが、そこまで大掛かりなものだとは思わなかった。
そんな様子の隼に乃衣は口を尖らせた。
「何その反応は! もっと誇らなきゃだめじゃん!」
「誇るったって……」
「もー! 趣味が勉強なんていう高校生、全国探しても隼くらいだよ。もっと他に斬新でジュブナイル向けの刺激的な趣味を持たないと、お姉ちゃんもいい加減呆れるよ!」
「そうか? 遊ぶのが好きな奴がいるなら、勉強好きな奴がいても悪く無いだろ。どっちがいいかを選ぶのは……アイツだからな」
隼はふいに湧いた寂しさのようなものを押しつぶしながら言った。
時木乃衣には二つ年上の姉、時木衣桜がいる。時木姉妹と隼は親同士が仲がよく、家も近いことがあって幼馴染の関係にあった。とはいっても、隼にも衣桜にも乃衣にもそれぞれの交友関係があるわけなので、年がら年中、一緒に遊んだというわけではなく、暇な休日に家の近くで遊ぶというくらいのものだった。
その後、家の都合で隼は一度閏戸から離れている。戻ってきたのは中学生になってからだが、時木姉妹と再会したのはその時だった。
似たような姉妹だったが、中学生ともなると流石に差はでてきた。妹の乃衣は相変わらず子供っぽかったが、姉の衣桜は大人びた。身長もショートだった髪も伸びて、丸まるとしていた顔は愛嬌のあって優しいものになっていた。
隼は久しぶりに衣桜を見た時、かなり緊張してしまった。昔はあれほど気さくな関係だったのにどう話せばいいのか分からず、心臓はわけもなく素早く脈打っていた。そしてその時、ようやく衣桜が一つ年上なのだという実感をしたのだった。
そんな隼とはまるきり反対で、衣桜は昔とさして変わらない風に、
「わぁ、背伸びたね」
と、ニコニコしていた。
その一言で緊張が吹っ切れ、隼は前と同じように会話をできるようになった。なんとも不思議な経験だった。
「隼、お姉ちゃんと会った時、どっきどきしてたでしょ」
その後、ニヤニヤとした乃衣から、衣桜に聞こえないようにそんなことを言われたので、慌てて隼は口外しないようにきつく言いつけた。
途中で閏戸中に転校してきた隼は、部活に入る気力も置きなかったので帰宅部の身分に甘んじていたが、そこで英太と知り合いよく遊ぶようになった。今でこそ常時あんな調子だが、その頃はまだ大人しかった記憶がある。何がそこまで英太を変えたのかたまに考えてみるが、判然とした答えを出したことはなかった。
そんな風に再開した後は、学校の廊下ですれ違ったりした時に挨拶をしたり、たまにばったり会った時一緒に帰ったりする程度の、『普通の幼馴染』としての関係に落ち着いた。
やがて衣桜は一足先にこの緋伊庭高校に入学した。緋伊庭といえば県下でも有数の高校であり、私立では三本の指に入るほどのレベルで、閏戸中からは毎年一人出れば良い方といったところだった
「ジュンも緋伊庭目指すの?」
それから数カ月後の進路調査の折に、英太にさらっとそんなことを言われて、隼は眉をひそめた。
「何でだよ」
「え、だって時木先輩が行ったからさあ。ジュンなら余裕だろ?」
「……別に衣桜が行ってなくても目指してたよ」
そうごまかしながら、最終的に隼は緋伊庭高校に首席で入学した。英太もちゃっかりついてきたことは意外だった。
ともかくも、こうして隼はまた衣桜と肩を並べて同じ学校へ行く権利を得た。
が、それは一度も叶うことはなかった。




