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第十四節 趣味と学生

「おいちょっと! ストップ!」

 英太は本当に突然、脚が歩くことを忘れたように止まって隼と乃衣は二人して英太の背中に激突した。すぐさま乃衣が抗議の声を上げる。

「なになに! パンチラでも見つけたの!」

「俺がパンチラなんかでストップかけるかい! 大事に脳内アルバムに保存しておくわ! ひとつひとつにコーティングしてな……ってそうじゃない! あっち側を見ろ!」

 三人は大通りに沿った歩道を歩いていたが、その車道を挟んだ反対側の歩道を英太は指差した。その先に居たのは──生徒会長、姫田志緒里だった。もし彼女が普通のいでたちをしていたのなら、英太もそこまでテンパってセルフツッコミなどしなかっただろう。

 真夏みたいに真っ白なレース、ぽわっと広がったスカート、僅かな風にもなびく細長くて黒いリボン。あれは──ドレスだ。というか、ゴスロリだった。存在こそ知っていても隼は初めてその現物を見たが、まさに異文化だ、なんて他人事のような感想しか出てこなかった。ああいう趣味なのか。やっぱり生徒会業って大変なんだろうか、それとも単純に好きなのだろうか。意外や意外だが、隼はなんとなくすぐにそれを受け入れてしまった……が、日々脅かされているらしい英太は違った。

「やっぱり……、おかしいと思ってたんだ……あんな反論の余地のない人間がこの世にいちゃいけないって思ってたんだ……、何言われても論破できるようなやつが! いるはずがないって証明だ!」

「お、おい、まさか……」

「おう、お前らは先に行ってろ! なに、すぐに追い付くさ!」

 英太は捨て台詞を残して颯爽と路上に飛び出していった。その手には、小さなデジタルカメラ。あぁ、証拠を抑えるつもりなのか。危うく轢かれかけて、危ねえ! と、軽自動車に乗った男に怒声を浴びせられている。それでも英太は止まらない。いや、危ないから止まれよ、と思うが。

 なんとなく気になったから、隼はサナリにそっと干渉した。志緒里の隣には誰か大人がいて、親しげに話をしていたのだ。サナリは無言で頷く。

 すると、ありえないほどクリアに、例の生徒会長の声が耳奥に響いてきた。どんな会話をしているか聞きたい、というオーダーに、これほどダイレクトに応えるとは。これなら盗聴器いらずだが、なかなか趣味が悪い。今後あんまり使わないようにしよう。

 志緒里は誰かと歩いていた。

「次はどこにいくの?」

「どこがいい?」

 渋い声だった。どう見繕っても、四十代の男の声。

「しーはねえ……、映画かな!」

 しーって……、一人称が愛称、だと? 

 隼はぞっとした──、昨日英太を連れ去るときに見せたドギツい感じは夢だったのか、と思えるくらい、カバの歯すらとかしそうな甘ったるい声。隣で何も知らない乃衣からの訝しげな視線を感じたが、会話は容赦なく続けられる。

「映画ねえ、さっき観たじゃないか」

「いい映画は何度観てもいいの。パピーだって、『シックスセンス』何十回も見てるじゃない」

 パ、パピー……、パパよりひとつ先を行っている──さすがは生徒会長だ。それくらいでなくては、うちの高校の長は勤まらない。それにしてもパピーもシックスセンスをそんなに……、いや、いい映画だからしょうがないな。

「ねえ、英太待ってるの?」

 乃衣が腕を引っ張ってきた。なんだかたったそれだけの会話を聞いただけで、罪悪感が尋常でなくなってしまったので、隼はそれを潮時と思ってきっぱりと盗聴を止め、ゲーセンに向かい始めた。

「仕方ないなあ、そんなにパピーが食べたいならパフェを食べに行きましょ」

「ありがとう」

「そんなぁ、照れるっ!」

 父娘の会話が耳奥にリバーブして残っている……小さなシャッター音とともに。


 ゲーセンで肥田圭吾と落ち合って、すごくうれしそうな英太と合流し、数百円ぶん遊んでから一同は近くのチェーン系ファミレスにやって来た。昼のラッシュの時間帯は過ぎていたから、あとは暇な学生か暇な主婦層しかいなく、陽もとろとろとしているので店員も眠そうだ。

 注文を済ませると、隣の肥田がずっとそれを訊きたかったのか、すぐに口を開いた。

「何で今日、英太先輩そんなテンション高いんすか?」

「ククク……聞いて驚け……俺はついにシッポを掴んだんだ」

「尻尾というか、もろ全身だったが」

 隼は英太がデジカメを取り出すのを見ながら言った。乃衣はさっきからわけが分かってなかったようなので、肥田と同じく不思議そうな顔で英太の方に身を寄せる。そういえば乃衣は、本屋でお目当ての本以外にもう一冊買っていたらしい。まあ、別に気になるということでもないが。

「誰?」

 デジカメを覗きこんだ乃衣の第一声。英太は驚いた顔で、

「知らないのかよ! まあ俺も生徒会入るまで知らなかったけど」

「なんすか! まさか会長じゃ……」

 肥田は面白そうに言って、デジカメを受け取って──

「えええええええええええええっ!」

 隼もその写真を盗み見たが、それはそれはよく撮れてる。盗撮したはずなのに、まるで本人に許可をもらって撮ったかのよう。遠くで見ただけで分からなかったが、その衣装はどうやら手作りらしいが大したクオリティだった。父親はフレームに入っていないので、まるで一人でエア友達に語りかけているようで、色々とアレな写真になっている。

「あの熱烈で苛烈な生徒会長、それが休日には繁華街を練り歩くゴスロリ趣味者……、これは……スクープだろ!」

「や、ヤバイっすね! で、でも、これ明かしたら英太先輩ぶっ殺されてしまうんじゃ……」

「別に全校生徒に晒すようなことはしないさ……、でも、なんか理不尽なことを言われた時に、この写真は武器になる! 嬉しいぞ、俺!」

 英太と肥田はうおおおお、と小さく雄叫びなんてあげて楽しそうだ。まあ、人に言いにくい趣味なのは分かるが、それなら休日で自分の学校の生徒がいそうな場所に来るなよ……と志緒里に言いたかった。

「へぇー、生徒会長がいたんだ」

「というか、こんな精度でよくバレなかったな……バレなかったんだよな?」

「当たり前だろ! うん、まあ、たぶん」

「自信ねえんかい」

「まあ、なんだかこの会長さんずいぶん楽しそうですし、きっとバレてないっすよ」

「根拠なさすぎだ」

「お待たせしましたぁ」

 その時、店員が注文した料理を持ってきた。すぐにみんなぱっと机の上をあけたが、隼はとっさに反応ができなかった。どこかで聞いたことがある声だなあ、と思って、顔をあげるところまでは良かったのだが──。

 ウェイトレスはなんと石館創夏だった。昨晩、散々突き合わせた顔がそこにあった。まあ、流石に酔っては居ないが。それにしても、チェーン系のレストランの質素な制服だというのに、まるで特別にこしらえた特注品のようなど派手さ……、なんというか、清潔など派手さだった。派手ではないのに。この人自体が派手な存在だから、仕方がないのかも知れない。

「あら、隼くん、さっきぶりね」

 そんな創夏は、営業スマイル以上の意味を持ちそうなえげつないスマイルを見せてそんなことを言うもんだから、隼はすごく反応に困った。

「ど、どうも……」

 しかもなんて言ったこの人、さっきぶり?

「では、ごゆっくりどうぞ」

 暖かそうに湯気をたてるパスタとかドリアとか、オムライスとかを二回に分けてテーブルに並べると、意味ありげな視線を残して、創夏は立ち去る。女優かよ、と思わず独りごちそうになるほどの、完璧な去り方。

 なるほど一緒にここへ来たのは、ここでバイトをしているからか……。

「おいこら、ジュン」

 英太は創夏が去るとすぐに噛み付いてきた。隼はなるべく落ち着いて、

「知り合いだよ」

「そんなことはわかってる!」

 わかってる?

「チクショー! 俺だってあんな超絶に美人な年上のおねーさんと知り合いになりたかったのに、なんで俺にはいつも頭に角生やしてる鬼みてえな、でも休日は絵本の子供みたいなカッコの会長なんだよー! 不公平にも程があるだろー!」

 嘆いている。ガチ嘆きだ。すごい泣きそうだった。かわいそうだった。不幸な少年、だった。まるで童話に出てくる身寄りのない孤児みたいに……と、どう分析してみても、この三人にはこの英太のヒステリーにどう対応したらいいか分からなかった。

 でも、一人だけ分かっている人が居た。

「ふつう生徒会長って、背が高くておっぱいでかくてやさしくてドジで俺のことくん付けで呼んでくれて、いろいろと至らない俺をサポートしてくれて、引退するときなんかはここを離れたくない……一緒に来てくれる……? よ、よろこんで! ってなっちゃうような、そんなのだろおおおお──ぐぺっ」

「悪かったね」

 ガンッと、英太の頭を誰かが掴んで、その魂の嘆きが中断された。その手首にはひらりと垂れる、真っ白なレースの袖──。そのテーブルに着席する全員に衝撃が走った。

「あら……」

 英太はまな板みたいに硬直して、

「会長さん……いらしたの……」

 何故か中途半端にオネエ言葉。頭を掴まれた拍子に、どこか細胞の配置が変わったのだろうか。

 英太の真後ろに立って、さっきは何もつけていなかったのに、今は頭に大きな青いリボンがついている生徒会長姫田志緒里は、学校にいる時のような鋭い視線で英太を見下ろしている。

「ちょっと、外で話し合わない?」

「あのあのあのあの、会長さん?」

「それじゃあ、ちょっと、これ、借りるから」

 そう隼たちに告げると、ゴスロリ姿の志緒里は英太をゴリゴリと引き摺って、店の外に連れ出していった。──別にその趣味は、知られてはいけない秘密でもなんでもなかったらしい。でも、これは決して誰にも口外すまい……、隼と乃衣と肥田は無言でそのことを確かめ、頷きあった。

 そこへひょっこり創夏が現れて、英太が頼んだパスタを指さし、

「お済みの皿、お下げしてもよろしいですか」

「いや、それ、一口も食べてないですよ」

 ──英太はついに帰ってこなかった。三人は結局、英太のぶんを分けて食べ、その代金を三人で割り勘した。近くの席では一人の紳士が、黙々と大きなパフェを食べていた。……。


 英太は汚い路地裏で酔っぱらいみたいに両足を投げ出して座り込んでいるところを保護された。

「何でこんな人気のないところで……」

「あいつ……、汚れるのが嫌だってレジャーシート敷いてたんだ……」

「で、何されたんだ」

「足ツボマッサージ。超痛ぇの。もう厭だね……、ゴスロリにトラウマできそうだ」

 三〇歳くらい老け込んだような、重苦しい口調だった。もう人生に疲れました感が全身からにじみ出ていて、少し気味悪かった。まあ、こいつには天敵がひとりくらいいてくれたほうがありがたい。

 隼が英太を立たせていると、着信があった。その音を聞いて英太は耳ざとく反応する。

「ん、時木か?」

「……なんで分かるんだ」

「適当に言ったんだよ、分かれよ」

 めんどうくさい男だ。

 メールは確かに時木衣桜からで、内容は今日もお日柄もよく……みたいな、手紙の冒頭文みたいなものだった。それ以外は特に無い。まるで、手持ち無沙汰だったからとにかくメールだけ送ろう、という感じで送ったような文面だ。

 実際そうなのか?

 だとしたら、そういう相手として認知されることを隼は嬉しく思った。まったくもって単純だが、本人は結構無意識にそんな感情になっている。英太の猫みたいな眼差しを受けながら、隼はおんなじような内容の返信をした。

「思ったんだけど」

「ん?」

 隼が振り向くと、英太はいつの間にかいつもの顔色に戻っていた。

「お前らってなんでずっとメールなんだよ? 今なら楽にできるアプリとかあるだろ」

「お前だって朝電話してきただろうが……、ま、そういうの俺は使ってるんだけどあっちが使えないらしくてさ。まだガラケーなのかな」

「ふぅん。んじゃあ、今度確かめてきてやるよ」

「おう、頼んだ──、って、それどういうことだ?」

 その口ぶりだと、まるで直接会って確かめると言わんばかりじゃないか。

 うおー、足が痛え、と英太はへろへろと歩きながら、

「おうよ。従兄が車の免許取ったからさ、来週一週間かけて関西の方行くんだ。確か時木がいるのって中部のあたりだったよな? だから、ついでに顔を出そうかと思ってな!」

「来週って……ゴールデンウィーク使ってか? でも、学校あるだろ?」

「そんなんサボるに決まってるだろ! ……だから後でノート見せてくれ」

「……どうせお前勉強しないだろ……、ま……いいけど」

 何故だか、すっきりしない気分になる。どうしてだろう、俺だって行こうと思えばすぐに行ける身体になったんだ。でも、英太の乗る自動車のほうがまだ高機能だった。行こう、と思ったら、行くぜ、と即答できる。こんな凡庸な人間に宿るチカラなんかよりも、よっぽど優れている。

 そして隼はそれを……いいな、と思ってしまった。

 一瞬後、自己嫌悪の大洪水。今は、それを英太に悟られないようにするので精一杯だった。

「まあ、ちらーっと顔出すだけだからよ! 行く先の住所も時木がいなくなる時に聞いてあるしなー、別にお前から奪おうってわけじゃないから安心してくれ」

「別に、俺のものってわけじゃ……」

「でも、お前があいつの支えになってるって自覚はあるんだろ?」

 え? と、隼は思わず声を漏らしそうになった。蟻さんは甘いものを行列を作って巣に持ち帰るんだろ? そんな自明のこと、極当然のことを尋ねるように、英太は言った。

「え……」

 結局、そんな形のない返事しかできなかった。英太は至って真顔、困っている人間を見つけた時に見せるような真剣な顔だ。素でそう思っているらしかった。そうなのか? 衣桜から見て、俺ってどういう位置にいるんだ? たまに偶然会って帰る幼馴染? それとも──なんだ?

「あ、こんなところにいたんすか! って、汚ッ!」

 肥田が乃衣といっしょにやってきた。乃衣はきょろきょろとあたりを見渡して、

「こんなところで何されてたの……?」

 英太は、今度は自慢気にさっきまで姫田志緒里にされていたことを話しだした。なんてポジティブなやつだ。さっきまで足が痛いとかいってたのに、今では足が軽いとか言っている。何もかもが軽そうな奴だけど……すごく、羨ましいと、隼はここに来て思った。思ってしまった。

 でも、そういう問題じゃないんだよな。

 人は人、俺は俺──、なんて単純なことを忘れかけていたのか。

 だって俺だってコイツに何度も宿題を写させてやったことがあるし、試験の範囲だって教えてやったし、ヤマ(それもドンピシャの)だって教えてやったし、ゲームの相手だってしてやってるし、こいつだって俺のこと羨ましいと思ってるところがあるに決まってんだ。あるに決まってる。

 だから──、自分を卑下したりはしない。

 英太は教えてくれたんだ──、会いに行こう、衣桜に。

「あの、そういえば引っかかってたんですけど」

「ん?」

 肥田が言った。明らかに隼の方に向かってだったので、すっとぼけたような返答になってしまった。

「あのすっげー美人の人、名札ちらっと見ちゃったんですけど、石館さんっていうんすか?」

「ああ、そうだよ……、石館創夏って人だ」

 隼がその名前を言うと、肥田は目を大きく見開いた。

「そ、その名前知ってるんですよ! 同じ学校の先輩だったんですけど」

「……ほんとに? あの人、上京してきたんだぞ?」

 隼はにわかには信じられずにそう言うと、肥田は唾を飛ばす勢いで食いついてきた。

「上京ですか! 出身どこって?」

「さあ……そんな遠くないって言ってたけど教えてくれなかったな」

「実は俺も高校からこっちに来たんすよ。中高一貫校だったんですけど、親の都合で高校からはこっちに来たんです」

 それは知らなかったが──その偶然を知らせるために何故、肥田はここまで熱心なんだろうか。

「ちょっと待ってくれ、一緒の学校って言ったって、石館さんが高三の時にお前は中一だったわけだろう? たった一年間しか一緒じゃなかったのに、どうして今その名前を思い出して、しかも、わざわざこんな……汚い場所で伝えようとしてるんだ?」

 隼の言葉に肥田は一瞬、ハッとして少し口をつぐんだが、──やがて決意が固まったように語りだした。

「俺が中学までにいた学校は……いわゆる自称進学校だったんですよ。それで、毎年難関校に受かった人たちへのインタビューみたいなものが冊子になって、それを参考にしろみたいな具合で配られるんですけど……そこに名前があったんです。唯一、ズバ抜けたところへ行ってたからかなり印象深かったんで覚えてたんですけど……、そこにはハッキリと書いてあったんです、石館創夏の性別は、男、って」


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