第14話 来訪者
「見ろよ、鰐淵だ。今日もよく平気な顔して大学に来られるよな」
「昨日の講義、スマホ見てた男子に突然ブチ切れたらしいぜ。完全に被害妄想だよな」
「キモすぎ。私、もうあの人の講義切ろっかな」
翌日、静之宮大学のキャンパスには、前日以上に重苦しく冷ややかな空気が立ち込めていた。
噂はさらに学内全体へと広がり、俊樹の肩身は狭くなる一方だった。すれ違う学生たちはもはや隠そうともせず、露骨な侮蔑の視線を向けて遠巻きに歩いていく。
(くそっ、どいつもこいつも好き勝手に言いやがって……!)
俊樹は引きつった顔でうつむき、逃げるように先端メディア共創棟の廊下を早足で通り過ぎた。
「……実に嘆かわしい光景ですね、御子柴先生」
ガラス張りの吹き抜けを見下ろす上階の回廊から、冷徹な声が落ちた。
腕を組んで俊樹の後ろ姿を見つめていたのは、法務・コンプライアンス統括を務める鷹司綾香理事だった。その隣には、分厚い資料を抱えた御子柴怜准教授が立っている。
「鷹司理事。ご覧になっていたのですか」
「ええ。新設学部の広告塔としてメディア露出には理解を示してきましたが、こうなっては大学のブランドを毀損するガバナンスリスクでしかありませんね」
「九重学部長には、学術的なフィールドワークだと釈明したそうですが」
「苦しい言い逃れです。学生たちの反応を見れば、信頼が失墜しているのは明白でしょう。……来月のシンポジウムまでにこれ以上の問題を起こすようなら、理事会としても相応の処置を検討せざるを得ません」
「仰る通りです。学問の府に、これ以上の泥を塗らせるわけにはいきませんから」
「引き続き、彼の動向を注視しておいてください」
鷹司は鋭い眼差しでそう告げると、ヒールを鳴らして去っていった。自分が理事会から冷淡な監視対象に置かれたことなどつゆ知らず、俊樹はただ周囲の視線から逃れることだけに必死だった。
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「ハァッ、ハァッ……やっと終わった……」
地獄のような午後の講義を終え、俊樹は自身の准教授室へと転がり込んだ。
革張りのソファへと崩れ落ち、荒い息を吐き出す。今日の講義は、前日の逆ギレ騒動のせいで空席が目立ち、残っていた学生たちも終始冷ややかな目で教壇を見つめていた。
「どいつもこいつも、俺を嗤っていやがる……!昨日まであんなに俺の講義を絶賛していたくせに、掌を返しやがって!」
極度の疑心暗鬼に陥った俊樹は、ネクタイを乱暴に引き千切るように緩めた。
(もう誰も信じられない。この大学にいる人間は全員、俺の足を引っ張ろうとしている敵だ……!)
頭を抱えて呻いていたその時、控えめにドアをノックする音が響いた。
「……っ!?だ、誰だ!?」
俊樹はビクッと肩を跳ねさせ、ソファから飛び起きた。
(まさか、週刊誌の記者か?それとも俺を糾弾しに来た学生か!?)
「あの、鰐淵先生。三年次の白石莉緒です。今、少しお時間よろしいでしょうか?」
扉の向こうから聞こえてきたのは、澄んだ若い女性の声だった。
俊樹はゴクリと唾を飲み込み、恐る恐るドアを開けた。そこに立っていたのは、清楚な黒髪のセミロングに、控えめなハイネックのブラウスを着こなした女子学生――白石莉緒だった。彼の直属の受講生であり、常に最前列で熱心にノートを取る成績優秀な優等生として知られている。
「し、白石さんか……。何か用かな?」
「はい。どうしても先生に直接お伺いしたいことがありまして……」
真っ直ぐに向けられた莉緒の大きな瞳を見た瞬間、俊樹の脳内で警報が鳴り響いた。
(直接聞きたいことだと……!?間違いない、この子もあの流出動画の件を知って、俺に批判を口にしに来たんだ!真面目な優等生だからこそ、既婚者の俺が不倫モノの動画を漁っていたなんて許せないに決まっている!)
莉緒が室内に入り、口を開きかけたその瞬間。
糾弾される恐怖に耐えかねた俊樹は、彼女が話し始めるよりも先に、先手を打って早口でまくしたてた。
「ま、待ってくれ白石さん!君が何を言いたいのかは分かっている!あのネットに流出した個人情報の件だろう!?」
「えっ……?あの、先生……?」
「誤解しないでくれ!あれは決して、俺個人の卑しい欲望で買ったものじゃないんだ!」
俊樹は必死に両手を振りながら、額に脂汗を浮かべて弁明を続けた。
「俺はメディア・エシクスを専門とする研究者だ!現代のネット空間における人間の倒錯した情動や、背徳感のメカニズムを分析するためには、ああいった一次資料に当たる必要があったんだよ!つまり、あれは純粋な勉強教材であり、次の論文のテーマを探すための学術的な調査なんだ!」
一気に言い切った俊樹は、肩で荒い息をしながら莉緒の反応を窺った。
しかし、莉緒は目を丸くしてキョトンとした表情を浮かべ、胸元に抱えていたノートを控えめに差し出した。
「あの……先生、突然どうされたんですか?私はただ、先日の講義で先生が触れられていた、ニーチェの『道徳の系譜』におけるルサンチマンの解釈について、質問に来ただけなのですが……」
「……え?」
俊樹の動きがピタリと止まった。




