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第九話 〜もう一球〜

翌日。


放課後。


「来ないな」


隼人が言った。


「まだ始まって三分だぞ」


「でも昨日、暇だったら来るって」


「暇じゃないんじゃない?」


奏が言う。


「大河、帰宅部だぞ」


「じゃあ暇だね」


「だろ?」


「なんでお前が嬉しそうなんだよ」


俺が言うと、


隼人が笑った。


「だって人数増えた方がいいじゃん」


「まだ入ってないけどな」


黒崎は昨日、


最後まで入部するとは言わなかった。


ただ。


『明日もできます?』


そう聞いた。


そして。


『暇だったら来ます』


そう言って帰った。


だから。


来るとは限らない。


「神谷」


「はい?」


水城先輩が、


俺へボールを蹴る。


「人のこと気にしてないで練習」


「はい」


止める。


返す。


今日も、


基礎練習から。


パス。


トラップ。


パス。


トラップ。


地味だ。


でも。


始めたばかりの俺たちには、


これが必要らしい。


「朝倉!」


「はい!」


水城先輩から隼人へ。


ボンッ!


隼人の足に当たったボールが、


三メートルくらい飛んでいく。


「…………」


「…………」


「今のはパスが強いです!」


「普通だ!」


「じゃあ地面が悪い!」


「人のせいにするな!」


「地面は人じゃないです!」


「そういう話じゃない!」


俺と奏は、


少し離れたところで笑った。


そのとき。


「何やってんの?」


声がした。


振り返る。


グラウンドの端。


黒崎大河が立っていた。


「来た!」


隼人が叫ぶ。


「うるさ」


黒崎が、


嫌そうな顔をする。


「待ってたぞ!」


「待つなよ」


「昨日来るって言ったじゃん」


「暇だったらって言った」


「暇だった?」


「……まあ」


黒崎が、


グラウンドへ入ってくる。


昨日とは違う。


通りかかったわけじゃない。


自分から、


ここへ来た。


「黒崎!」


水城先輩が笑う。


「やるか?」


黒崎が、


ボールを見る。


「昨日の」


「シュート?」


「はい」


「いいぞ」


黒崎が少しだけ笑う。


「じゃあ――」


「その前にアップ」


笑顔が消えた。


「……必要ですか?」


「必要」


「蹴るだけですよ?」


「怪我する」


「…………」


「グラウンド二周」


「マジすか」


「マジ」


黒崎が、


面倒くさそうに走り始める。


その横に、


隼人が並ぶ。


「競争する?」


「しない」


「負けんの怖い?」


「しない」


「俺、50メートル六秒十一」


「聞いてない」


「大河は?」


「知らん」


「測ろうぜ!」


「うるせえ!」


なんか。


もう普通に馴染んでないか?


*


アップを終えて。


黒崎が、


ゴールの前に立つ。


「じゃあいくぞ」


水城先輩がボールを転がす。


「はい」


黒崎の目が変わる。


ボールを見る。


踏み込む。


右足。


バンッ!


ボールが、


ゴール左へ外れる。


「…………」


黒崎が、


自分の足を見る。


「ちょっと下」


「分かるの?」


俺が聞く。


「感触で」


次。


バンッ!


今度は、


ゴール右。


「遅れた」


次。


少し浮いたボール。


黒崎が、


足を合わせる。


バンッ!


ネットが揺れた。


「よし」


小さく、


黒崎が笑う。


やっぱり。


この瞬間だけは。


昔の黒崎と、


同じ顔をする。


「次」


黒崎が言う。


「次はもっと浮かせてもいいです」


「分かった」


水城先輩が、


少し高く蹴る。


黒崎が見る。


落下地点へ動く。


振る。


バンッ!


「うお!」


隼人が声を上げる。


ボールは、


クロスバーの上。


「外れた」


「でも今の難しくない?」


俺が聞く。


水城先輩が頷く。


「難しい」


「じゃあもう一回」


黒崎が言う。


「今度は入れる」


また。


また。


また。


気づけば。


黒崎は、


何球も蹴っていた。


「大河」


「何」


「楽しそうだな」


「別に」


「めちゃくちゃ蹴ってるけど」


「入らないのがムカつくだけ」


「昨日からそれ言ってるぞ」


「うるさい」


でも。


帰ろうとはしない。


*


「じゃあ次」


水城先輩が言った。


「トラップ」


黒崎が止まる。


「……シュートは?」


「終わり」


「もうちょっと」


「トラップ」


「あと五球」


「トラップ」


「三球」


「トラップ」


「一球」


「黒崎」


「はい」


負けた。


奏が、


俺の横で小さく笑った。


「やりたがってる」


「だな」


「聞こえてるぞ」


黒崎が睨む。


水城先輩が、


ボールを黒崎へ蹴る。


「足元に止める」


「はい」


ボンッ。


黒崎の足に当たって、


ボールが大きく跳ねる。


「…………」


「…………」


「下手」


隼人が言った。


「朝倉」


「はい」


「あとで覚えとけ」


「怖っ!」


もう一回。


ボンッ。


失敗。


もう一回。


今度は、


少し近くに落ちる。


「足に力入りすぎ」


水城先輩が教える。


「当たる瞬間、少し足を引く」


「引く?」


「ボールの勢いを吸収する」


黒崎が、


足元を見る。


「吸収……」


次。


ボールが来る。


黒崎が、


足を出す。


当たる瞬間。


少し引く。


トン。


ボールが、


目の前に落ちた。


「お」


黒崎が言う。


もう一度。


トン。


「…………」


もう一度。


トン。


「なるほど」


黒崎の顔が変わる。


さっきまで、


シュートしか見ていなかったのに。


今度は、


トラップに夢中になっている。


「打つのと逆だ」


「逆?」


俺が聞く。


「飛ばすなら、ぶつける」


黒崎がボールを見る。


「止めるなら、逃がす」


水城先輩が頷く。


「そういうこと」


「もう一回ください」


まただ。


俺は、


少し笑った。


黒崎は昔からそうだった。


何か掴みかけると。


ずっとやる。


「もう一回」


できても。


「もう一回」


失敗しても。


「もう一回」


気づけば。


さっきまでシュートをしていたときと、


同じ顔になっていた。


*


「せっかくだし」


水城先輩が言った。


「最後、ゲームするか」


「お!」


隼人が喜ぶ。


「待ってました!」


「五人だから、奏がフリーマン」


「分かりました」


「神谷と黒崎」


「はい」


「俺と朝倉」


黒崎が、


俺を見る。


「俺もやるんですか?」


「嫌?」


水城先輩が聞く。


「いや」


黒崎は、


少しだけ考える。


「やります」


その返事が。


なんとなく、


嬉しかった。


*


始まってすぐ。


分かった。


黒崎。


サッカーは普通に下手だ。


「大河!」


俺がパス。


「おっ」


ボンッ!


トラップ失敗。


隼人が奪う。


「もらい!」


「クソ!」


隼人が走る。


速い。


そのままゴール。


「一点!」


「大河!」


「分かってる!」


「止めてから蹴れ!」


「分かってるって!」


次。


奏から黒崎へ。


今度は止めた。


「よし」


水城先輩が来る。


黒崎は、


いきなり右足を振る。


バンッ!


水城先輩の足に当たった。


「早い!」


「入ると思った」


「まだ遠い!」


「野球なら――」


「サッカー!」


「分かってますよ!」


シュートは上手い。


でも。


それ以外は、


初心者。


どこに立てばいいか分からない。


パスを出すタイミングも分からない。


守備なんて、


もっと分からない。


「大河、そこじゃない!」


「じゃあどこだよ!」


「こっち!」


「最初から言え!」


「言ってる!」


「聞こえてない!」


めちゃくちゃだ。


でも。


「神谷!」


黒崎が叫ぶ。


「何!」


「ボール!」


初めて。


黒崎の方から、


パスを要求した。


俺は、


すぐ蹴る。


少しズレた。


黒崎の右側。


しかも。


ボールが小さく跳ねる。


「あ」


失敗した。


そう思った。


でも。


黒崎の目が、


変わった。


跳ねるボール。


高さ。


速さ。


距離。


黒崎が、


一歩動く。


そして。


右足を振った。


バンッ!!


「そこから!?」


水城先輩が振り返る。


ボールが、


コーンとコーンの間を抜ける。


ゴール。


一瞬。


黒崎が止まった。


「…………」


自分が蹴ったボールを見る。


その顔。


俺は、


知っている。


昨日も見た。


そして。


もっと昔にも。


何度も見た。


完璧に。


芯を捉えたときの顔。


「っしゃ!」


黒崎が、


拳を握る。


声が出ていた。


本人も、


気づいていないのかもしれない。


「ナイス!」


俺は走る。


手を上げる。


黒崎も。


反射的に、


左手を上げた。


パチン!


手がぶつかる。


「やったな!」


「……おう」


黒崎が、


少し笑う。


そのまま、


ボールを拾いに行く。


「もう一点」


「え?」


「次も俺に出せ」


「お前、急にやる気出たな」


「いいから」


ゲーム再開。


次は、


上手くいかなかった。


トラップを失敗した。


水城先輩に簡単に抜かれた。


パスもズレた。


シュートすら、


空振りした。


「クソ!」


でも。


黒崎は、


やめなかった。


「もう一回!」


その声を聞いて。


俺は思った。


こいつが、


野球をやっていた頃。


俺は。


何度も、


この言葉を聞いていた。


もう一球。


もう一球。


もう一球。


打てるまで。


納得するまで。


ずっと。


それが今。


サッカーになっている。


*


「終わり!」


水城先輩の声。


「え」


黒崎が言った。


「もう?」


全員が、


黒崎を見る。


「……何」


「いや」


俺は笑う。


「別に」


「その顔やめろ」


「どの顔だよ」


「腹立つ顔」


水城先輩が、


ボールを拾う。


「黒崎」


「はい」


「どうだった?」


「何がですか」


「サッカー」


黒崎は、


少し黙った。


足元のボールを見る。


「……難しいです」


「だろ?」


「思ってたより」


トラップ。


パス。


動き方。


守備。


黒崎には、


できないことだらけだった。


「でも」


黒崎が言う。


「蹴るのは」


少しだけ、


言葉を探す。


「気持ちいい」


俺は何も言わなかった。


水城先輩は、


黒崎の事情を知らない。


だから。


普通に笑った。


「じゃあサッカー部入れよ」


「軽っ」


「人数足りないんだよ」


「それ神谷から聞きました」


「初心者でもいい」


水城先輩が、


黒崎を見る。


「シュート以外も、俺が教える」


「…………」


「それに」


水城先輩が笑う。


「お前、もっと上手くなりたいだろ?」


黒崎が、


黙った。


否定しない。


昨日なら。


すぐに、


やらないと言っていた。


でも。


今は。


「……明日」


「ん?」


「明日も来ていいですか」


水城先輩が笑う。


「もちろん」


「入るかは」


黒崎がすぐ付け足す。


「まだ決めてないですから」


「分かってる」


「本当に?」


「分かってるって」


「神谷」


「何」


「お前もだからな」


「俺何も言ってないだろ!」


黒崎が、


鞄を持つ。


「じゃ」


少し歩いて。


止まる。


振り返る。


「水城先輩」


「ん?」


「明日」


黒崎が言う。


「今日より高いボール、出せます?」


水城先輩が、


ニッと笑った。


「いくらでも」


「じゃあ」


黒崎も、


ほんの少し笑った。


「お願いします」


そのまま、


帰っていく。


俺は。


その背中を見送った。


まだ。


入部していない。


サッカーが好きなのかも、


本人にはまだ分からないと思う。


でも。


それでいい。


昨日まで。


野球以外のボールなんて、


見向きもしなかったやつが。


今は。


明日蹴るボールのことを考えている。

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