1.転生の記憶と、魔法への第一歩
「……お嬢様! お嬢様、しっかりしてください!」
遠くから必死な声が響き、意識の底を揺らした。
次の瞬間、鋭い痛みが頭を貫く。
――痛い……。何が、起きたの……?
ぼやけた視界の中で、階段から足を踏み外した瞬間が蘇る。
ゆっくりと瞼を持ち上げると、見慣れたメイド――ローズが涙を浮かべて私を覗き込んでいた。
「良かった……! 気がつかれたんですね。誰か、お医者様を呼んでください!」
ローズが私を支え起こし、周囲の使用人たちが慌ただしく走り回る。
その光景を、私は薄く開いた目でただ眺めていた。
「お嬢様、私です。ローズです。痛みますか?」
「ん……」
返事をしながらも、彼女の声は遠くに聞こえた。
頭痛どころではない。胸の奥がざわつき、息が詰まる。
頭の奥で何かが弾け、知らない記憶が洪水のように流れ込んでくる。
視界が揺れ、世界が二重にぶれていく。
――私は、フローラであって……フローラじゃない。
階段から落ちた衝撃で、封じられていた“前世の記憶”が一気に蘇ったのだ。
あまりの現実味に、私は思考を手放し、そのまま意識を闇に沈めた。
***
次に目を覚ましたとき、私は自室のベッドに横たわっていた。
頭には包帯が巻かれ、触れた瞬間、鈍い痛みが走る。
「触ってはなりませんよ、お嬢様。具合はいかがですか?」
声に気づいて横を見ると、ローズが椅子に腰掛けていた。
いつも冷静な彼女の瞳が、不安で揺れている。
「心配かけてごめんなさい。もう大丈夫よ。ローズも休んで」
時計を見ると、深夜が近い。
こんな時間まで付き添ってくれていたのかと思うと、胸がじんと温かくなった。
「では、おやすみなさいませ。旦那様と奥様にも、お嬢様が目を覚まされたことをお伝えしておきますね」
布団を優しく掛け直し、ローズは一礼して部屋を出ていった。
静寂が戻った瞬間、私は勢いよく上体を起こす。
「……整理しないと」
あの記憶は夢ではない。
私は――転生したのだ。
日本という国で暮らしていたこと。
父子家庭で、優しい父に育てられたこと。
研究者になる夢を目前に、事故で命を落としたこと。
残してきた父の姿が脳裏に浮かび、胸がぎゅっと痛む。
夢を目前で失った悔しさも、温かな日々も、全部が鮮やかに蘇る。
それでも――立ち止まってはいられない。
今世の人生は、もう動き始めているのだ。
幸い、フローラ・クレヴェルトとしての八年間の記憶はそのまま残っていた。
前世の記憶と重なり合い、私は二つの人生を抱えた存在になったのだ。
「……良かった。フローラの記憶が消えてなくて」
ぽつりと呟いた声が、誰もいない薄暗い部屋に静かに溶けていく。
その余韻を抱えたまま、私は鏡台の前へと歩み寄った。
鏡に映るのは、幼いフローラの顔。
頬をつまんでみると、柔らかく弾んだ。
「前世に比べると可愛い……のかな。弟の方が何倍も可愛いけど」
前世では一人っ子だったから、弟ができたことは本当に嬉しい。
そして――鏡の中の自分に、ゆっくりと笑みを浮かべた。
「私、本当に転生したんだ」
大きな欠伸がこぼれ、私はベッドに戻る。
「……今日はもう寝よう」
胸の奥に芽生えた“ある目的”を抱えながら、私は静かに目を閉じた。
***
二日後。
怪我も癒え、医師の許可を得た私は、久しぶりに部屋の外へ出た。
廊下の窓から差し込む陽光が心地よく、思わず伸びをする。
「やっと出られた……。さ、行動開始ね」
向かった先は、伯爵家の図書室。
軽い足取りで廊下を進んでいると、前方から父と母、そして弟のカイトが歩いてくるのが見えた。
「お父様、お母様、カイト! おはようございます!」
三人は一瞬ぽかんと固まり、すぐに駆け寄ってきた。
こんなに元気よく挨拶する私が珍しかったのだろう。
前より表情が柔らかくなった、と自分でも分かる。
「フ、フローラ! 心配したぞ……! 身体は大丈夫なのか?」
父が私をぎゅっと抱きしめる。
苦しいほどの力に、思わず笑ってしまった。
「はい。もう痛みもありません」
父が名残惜しそうに離れると、今度は母が私の肩を掴んで屈み込む。
「おはようございます、ではありません! 体調が良くなったなら、まず私たちに報告しなさい。どれほど心配したことか……」
そう言いながら、母は私の顔や腕、頭を隈なく調べ始めた。
「申し訳ありません、お母様。傷は残っていませんので、ご安心ください」
「……そのようですね。貴族令嬢が身体に傷を作るなどあってはなりません。これからは十分気をつけるのですよ」
厳しい言葉とは裏腹に、母の抱擁は温かかった。
すると、隣にいた弟のカイトが眉を寄せて私を見上げる。
「大した怪我じゃなくて良かったよ、姉さん。医師から動いてもいいって聞いた途端、部屋を飛び出したって聞いて慌てて来たんだ。どこへ行くつもりだったの? 食堂とは反対方向だけど」
「え、えっと……」
カイトの鋭い観察眼に、私は素直に白状した。
「図書室に行こうとしていたの」
三人は揃って目を丸くした。
「あなたが図書室に? どうしてですの?」
「姉さんが図書室なんて珍しいね」
「病み上がりだから、静かに本でも読もうかと思って……」
本当の目的は別にあるが、嘘ではない。
三人は一応納得してくれたようで、無理をしないことを条件に図書室へ行く許可が下りた。
胸の奥で小さな期待が弾け、私は思わず足取りを早めたのだった。
***
図書室の棚に並ぶ分厚い魔法書を前に、私は胸の高鳴りを抑えきれなかった。
「……私、本当に異世界に転生したんだ」
震える指先で背表紙をなぞりながら、思わず呟く。
背表紙には「初級魔術理論」「属性適性」「魔力循環」などの文字が並び、
古い紙の匂いと、微かな魔力の気配が漂っていた。
ページをめくるたび、胸の奥が熱くなる。
この世界には――魔法がある。
それは、前世で何度も夢見た“憧れ”そのものだった。
「この世界って、確か魔法があるのよね……!」
興奮のまま、私は魔法書を次々と手に取り、机の上に積み上げていく。
「……本当に書いてある。魔法のことが、当たり前のように」
その事実だけで、胸の奥がさらに熱を帯びていった。
前世の私は、魔法を題材にした長編小説に心を奪われ、
大人になってもその熱は冷めなかった。
周囲から“魔法オタク”と呼ばれるほどに。
だからこそ――。
「決めたわ。せっかく異世界に転生したんだもの。絶対に魔法を極める!」
胸の奥で、静かに火が灯る。
この世界で、私は――。
小さくガッツポーズをしたその瞬間、
図書室の入口に控えていたローズが、
心底心配そうな顔でこちらを見つめていたことなど、
私はまったく気づいていなかった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
初回を投稿するのは緊張しますが、
こうして読んでいただけることが何よりの励みです。
更新は 火曜日と木曜日の21時頃 を予定しています。
日常の合間に、少しでも楽しんでいただける物語になれば幸いです。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。




