表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
47/100

17世紀からのラブレター


 朝、デバイスをチェックしていたら、ル・デトロワ総合文化館のアプリに、美術展のお知らせが届いていた。 

「フェルメール展………」

 口に出して呟いてみる。やっぱり聞いたことがある単語だな。

 引っかかるけど思い出せない。

「パピア、朝ごはんの時間だ」

 廊下からノックと共に、父さんの声が投げられた。

 疑問なんて検索してみればすぐだろうけど、朝の支度に追いやられてしまう。


 だって今日から新学期だ。


 朝食を平らげ、スクールバスに揺られ、午前の授業をして、10時のおやつを食べ、正午の授業をして、エデンとランチを食べ、午後の授業して、スクールバスに乗り、帰宅して軽く3時のおやつを食べて、スイミングスクールに行き、リアムと遊び、迎えにきてくれた父さんの自動車に乗る。

「思い出した!」

「なにか忘れ物か?」

 父さんがハンドルを掴んだまま問う。

「ううん。忘れ物じゃないよ。R.レダが好きな美術品だ。ル・デトロワ総合文化館でやってる美術展」

「フェルメール複製画展か」

「複製画なんだ」

「本物の現存数は少ないからな」

 ふーん。

 でもR.レダが好きなもののヴィジュアルになれるなら、いいことだ。

「総合文化館に寄ろうか?」

「うん」

 ぼくが頷けば、自動車はいつもと違う道で走っていった。




 R.ロビンのさえずりに包まれたル・デトロワ総合文化館。

 玄関の手前にある大噴水は、いつだって水が豊かだった。さえずりとざわめき、そしてさざなみで織りなされた空間は、まさに癒しと憩いって感じだ。

「こんにちは、R.レダ」

 噴水に声を掛ければ、水の流れに姿が投影された。

 固くまとめた金髪に、華奢なリボンを結んでいる。耳飾りは大粒の真珠。それから金のドレスは毛皮に縁取りされて、豪華な印象だった。

「フェルメール展ができて良かったね」

「ええ、このヴィジュアルしてみたかったのよ」

 くるりと回転する。  

 真珠の耳飾りが揺れて、黄金の髪とドレスが艶やかに反射した。

 もしかしてR.レダにとって、ヴィジュアル作ってを投影するのは、ファッション感覚なのかな。

 母さんが新しいハイヒールや香水を買った時の空気に、ちょっと似ていた。

 だったら標準ヴィジュアルとかって、人間にしてみたらどれがデフォルトの服が聞かれているようなものかも。頓珍漢な質問だ。うん、ディフォルトヴィジュアルがあるかどうか、聞かなくてよかった。間抜けだ。

「シアターもフェルメール特集だから見て行ってね。当館オリジナル映像よ」

「うん」

 挨拶の延長的なニュアンスで頷いておく。

 ぼくは芸術に興味ないけど……

「主演・脚本・監督・ナレーションはあたくしよ」

「女優デビューしたの!」

 ヴィジュアル固定していないR.レダは、どんな人物もなれる。

 よく考えれば女優向きだ。

「館長の職権乱用したわ。シアターの上映は始まっちゃってるけど、美術展でひと廻りしてくればちょうどいいわ」

「うん!」

 こんどはきちんと肯定の意味で頷いた。



 

 地下一階。

 美術館の複製を流し見していく。別に興味ないけど、きれいだとは思う。

 最後の部屋に、フェルメールの背景っぽい部屋が再現されていた。壁には古めかしい地図や、天使の絵画。テーブルにはやたら豪華なテーブルクロスが掛けられているけど、ぺろっとめくれてワイングラスや皿がおかれている。

 なんでテーブルにクロスがきちんとかかっていないんだ。

 つい直して、ワイングラスと皿を置きなおす。

 他の来館者がいて、ドードー鳥に何か頼んでいた。四方のスポットライトが色づいて、来館者に17世紀風のコスチュームが投影される。

 ホログラムで、記念撮影もできるのか。

 学芸員ドードー鳥が、ちょこちょこ近づいてきた。

 真珠の耳飾りの少女風にターバンとイヤリング。

「ぽうぽぅ。いらっしゃいませ、17世紀風コスチュームの投影をやっておりマス。ご希望の絵画のコスチュームをお申し付けください」

「父さんも着てみてよ」

 17世紀コスチュームを父さんにも投影させた。

 アンドロイドって概念のなかった時代の服を、父さんが袖を通している。不思議だな。

「当時の楽器や食器のレプリカです。どうぞお手に取ってください」

 触っていいんだ。

 緑帯びたワイングラスを掲げる。

「面白いデザインだけど、持ち手がいぼいぼしていて使いづらいね」

「みんなそう思いますが、実は滑り止めなんですよ」

 ドードー学芸員が説明してくれる。

「当時は手づかみとスプーンのみ。なのにバターやはちみつといった、べたべたしやすい食材を料理に使っておりましたからネ」

「フォークとナイフなかったの!」

「ございましたけど、宗教的な感性ですネ。神から与えられた食材をフォークとナイフで食すのは不敬という信仰心です」

「スプーンはいいの?」

「スプーンはよいのです。指にスプーンの機能がないのですから」

 そんなに手づかみしたかったら全部手で食べればいいのに、そこでスプーンは許されている意味が分からない。

 やっぱりキリスト教は鼻持ちならないな。

「ナイフはまだ市民権がありましたが、フォークなんてものを使うと罰として早死にするという迷信さえございました」

 解説を聞きながら、レプリカをもってポーズを取り、写真を撮ってもらう。

 いつの間にかミニシアターの上演時間が迫っていた。

 シアターへと急ぐ。

 ゆったりとした席に腰を下ろせば、タイミングを計ったように室内に闇が落ち、銀幕には光が灯る。 


『フェルメール………17世紀からのラブレター』


 R.レダのナレーションともとに、タイトルが映り、外国の街並みへと変わっていく。

 遠くに古めかしい建物があって、手前には豊かな河。

 さっき美術展で見た『デルフトの眺望』だ。

 空調から河の湿り気が再現されて、風となって頬を撫でていく。

『ここは17世紀デルフト。オランダの真珠と賞された街。フェルメールが生まれ、画家として育った地』 

 ナレーションとともにゆっくりと明るくなっていく。朝日が昇っているんだ。川の手前に人々が歩いて、小舟が通り、鐘の音色が響く。

『フェルメールの過ごした黄金期の黄昏を、案内しましょう』

 R.レダのナレーションに誘われるように、カメラは河を越えて、街に迫っていく。

 赤煉瓦の建物に近づいた。大きな建物で、周りに子供たちが遊んでいた。横には小路がある。

 さっき見たばかりの『小路』だ。

『朝が訪れました。さあ、ここにはどんなひとが暮らしているのでしょう』

 昔の作業場か納屋かな。剥き出しの白壁には、バスケットと地図がかかっている。床には布がたっぷり入った籠。

 シンプルな空間だ。

 そこに黄色い服と青いスカート女性がやってきた。 

 壁から布製の地図を外し、布がつまっている籠に入れて片付けていく。

 ああ、この女性はR.レダだ。

 姿かたちは違っても、手の伸ばし方とか、くるっと回転する軽やかさとか、間違いなくR.レダだ。

 洗濯籠を片付けて、、すぐにピッチャー片手に戻ってきた。赤くて重そうなピッチャー。壁かけ籠から硬そうなパンを出し、切って、そしてピッチャーでミルクを注ぐ。

 さっき美術展で鑑賞した『牛乳を注ぐ女』。 

『パンこそ17世紀オランダで、もっとも日常的な食べ物でした。パンが硬くなってしまえば、牛乳で煮込んで食べていたのです』

 ナレーションとともに、キッチンから別の部屋へ移動する。

 極彩色のテーブルクロスが、窓からの光に照らされていた。ダイニングかな。

『素晴らしく豪華なテーブルクロス。これはトルコから輸入したタペストリーなのです』

 R.レダの演じる『牛乳を注ぐ女』は、テーブルクロスとして使っているタペストリーをめくりあげて、そこに牛乳で煮たパンを置く。

『高価な舶来のタペストリーは、汚れぬように食事するときはめくりあげていました』

「へえー……」

 さっき美術館でテーブルクロスめくれていたの、あれが正しい状態だったんだ。

 R.レダのナレーションで、R.レダが演じる17世紀の女性たちを見ていった。 

 




 視覚障害者用のムービーまで視聴していたら、けっこう時間が経っちゃった。

 おなか減ったな……

「パピア。空腹ならカフェで軽く食べていくか?」

「晩ごはん準備してたんじゃないの?」

「空腹を待たせながら作るより、ここで軽く食べさせて、晩ごはんを遅らせたほうがいい」

 料理を作ってくれる父さんがそう言うなら、カフェで軽食を取ることにした。

 ル・デトロワ総合文化館には、カフェも併設されている。

 カフェの梁や窓枠、カウンターも天然の木材だ。観葉植物がいっぱい置いてあるし、R.ロビンたちのさえずりも聞こえるから、ちょっと外っぽい。

 カウンターの向こうでコーヒーマシンを操るのは、カフェマスターのアンドロイド・ジャクバード。R.ジャック。黒褐色の体に、真っ赤な蝶ネクタイをつけている。

「いらっしゃいませ、期間限定メニューは17世紀シリーズ。アンドロイド用は、トロピカルディーフューザーとカフェディーフューザーがございます」

「シーフードあるかな?」

「ご期待に沿えず申し訳ございません。シーフードはアレルゲン指定ですので、ご用意できませんでした。オランダは海洋国家ですからぜひ用意したかったのですが、許可が降りなくて」

 たしかにシーフードレストランは、レストランと違う営業許可が必要なんだっけ。

 普段、外食はシーフードレストランやシーフードダイナーしか行かないから、うっかりしていた。

 17世紀のシリーズは、パンプディング。さっきムービーで『牛乳をそそぐ女』が作っていた料理だ。あとはチコリグラタンとマスタードスープか。

 デザートにセモリナプディングがあった。

 小麦粉(セモリナ)、プディング?

「ぼくこのプディング食べてみたい。あとホットミルク」

 ぼくはデザートセット、父さんはカフェディーフューザー。

 そして上る話題は、17世紀のムービー。

「面白い職権乱用だったね。R.レダは女優にもなれるよ」

 ぼくの言葉に父さんは頷いてくれた。

「ああ。フェルメールの絵画を繋げて17世紀デルフトの仮想観光でも面白味は十分だったが、館長が主演脚本ともなれば親しみが持てる」

「もっと主演してくれないかな」

 芸術に興味はないけど、R.レダが演じているムービーは面白い。

「アプリからアンケートが出せるだろう」

「そうだね」

 ぼくは総合文化館のアプリを開いた。

「シーフードも提供してほしいな」

「無茶だな。だが17世紀のオランダレシピを検索した。明日でよければ、牡蠣のクルトンシチューと食用花サラダのバタードレッシングならできそうだ」

「やった」

 アプリのアンケートに、どう書こうか迷いながら、セモリナプディングをひとくち。

 白くてつやつやしたセモリナプディングは、つるんとした甘さで美味しかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ