17世紀からのメロディ
エレベーターに乗り、わたくしは自宅の地下に行く。
地下はおじいさまの趣味のガレージと、シアター。
用事があるのはシアタールーム。わたくしにとりたて趣味はないのだけど、ここで古い映画の翻訳を聞くのが趣味といえば趣味のようなものね。名作と呼ばれる映画は、翻訳されて世界に広まる。その翻訳の違いを聞くのは一興だもの。
だけど今日の目的は、翻訳ではない。
わが社が誇るマルチモーダル学習支援AI、R.レダが作ったムービーを聞くため。
ゆったりとしたソファに腰を下ろせば、周囲が明かりが絞られていった。
『フェルメール………17世紀からのメロディ』
視覚障害者向けのムービーが流れる。
河のせせらぎ、雨音。そして流れてくるのはチェンバロの音色。
当時の楽器を背景に、フェルメールについて語っている。
古めかしい音色も悪くはないわね。
ただこれは、美術のみならず教育的なムービーでもあるのよね。
美しいだけでは駄目。
誤りと偏り、そのふたつは排さなければならないわ。そんなものがあれば、社会に付け込まれる隙になる。
「視聴するだけのパッケージ型教育では、AIが侮られるだけよ。R.レダ」
「心得えておりますわ、Mx.パートリッジ」
スピーカーから柔らかな女性の声が響く。高すぎず、低すぎず、特徴はないけど澄んだ声。
「学びの主体性は、常にこどもたちに。館内には触れられる当時のレプリカを用意して、視覚だけではない体験を企画しました。また図書館と連動して、他文化圏の同時代芸術や社会史を比較するための書籍をピックアップ致しました」
「映像には補填しないの?」
「そこまで差し込んでしまえば、演出や解釈ではなく、創作です。あたくしはフェルメールの時代再現を試みました。創作ではありません。欠落は欠落ままで、それが正しく美しい」
あくまでも歴史考証を重んじる姿勢ね。
過度な補填は、学術的信用を損なうもの。それでも補填を拒めば、知覚の不平等が温存されてしまう。
「R.レダ。あなたの天秤は、アカデミズムに傾きすぎているのではないかしら?」
「教員ではなく学芸員ですもの。客観的資料を正しいまま渡す存在ですわ」
「その出典と史実の透明性は、あなたの図書館頼みかしら?」
「いいえ。それだけではありません。17世紀オランダ美術専門のシニア・キュレーターと、修復家、オランダ風俗史の教授に監修依頼を致しました。独りよがりの芸術など虚しいだけですもの。その方々のお話を収録して大人向きにムービー化。学術的担保と致します。そちらは編集中です」
「また見せてもらうわ」
手厳しいかもしれないけど、美しいだけでは生き残れないのよ。
わたくしは肩のR.パラスケバスを撫でる。セキセイインコ型の盲導鳥は、可愛らしく鳴いてくれた。
「R.パラスケバスは『17世紀からのラブレター』を視聴したのよね」
「見たヨ! レダちゃん、頑張ったネ!」
これは館長が主演・脚本・監督の弊害ね。
館長に好意を持っていると、正当な判断ができない。
「R.パラスケバス。純粋に文化館のムービーとして、感想をちょうだい」
「キレイだったよ、キレイ。フェルメールのタッチまま写実的になってイイ感じ! でもデルフトだけにシーンを絞っているから、金持ち白人しか映ってないのはけしかんとか言うヤツいそう!」
R.パラスケバスは甲高く叫ぶ。
美術的に優れていても歴史的に正しくても、他文化の視点が欠落しているとか言い出す人間はいるものね。
「ボクも言いたいコトは分かるヨ! だってサ、金持ち白人しかいなかったら、白人じゃないコドモが見てて悲しいモン。科学者が男ばっかりだったら、科学好きな女の子をめげさせちゃう。だからコドモ向けメルヒェンは、むかしむかしのヨーロッパのお姫サマが、黒人でも男の子でもいいんだヨ。コドモのココロがいちばんダイジ。オトナ向けで時代考証より多様性を優先したら、幼稚だけどネッ! ピピッ!」
「ふふっ、R.パラスケバスは好き放題言うわね」
「言うよ、エレノアちゃん! オトナってものはね、そこにいないヒトタチに想いを馳せられるの! その想像力と教養がないから、多様性を創作に押し付けるの!」
「Mx.パートリッジ。不躾なことを申し上げますが、そこのヒステリックバード……いえ、パラスケバスを自由にさせすぎではないかしら?」
「あらそう。わたくしはビジネス以外の正論は受け取らないことにしているの」
そんな会話を聞いているのかいないのか、R.パラスケバスのさえずりときたら絶好調になっていた。
「そもそもアンドロイドが登場しない時代に、多文化に配慮した取り組みとか、マジで何ィ? っていうかアンドロイドいない時代なんて、アレだよ、人間からしたらサーベルタイガーとかマンモスの時代みたいなモンだヨ! そんな時代の映像に、多様性を持ちだすの、ちゃんちゃらオカシイ! ピキュッ!」
R.パラスケバスの言い分に、少し笑ってしまったわ。
「そうね。アンドロイドが登場しないなら、多様性なんて無いわね」
「デショ!」
「もうむしろアンドロイドが登場しないのは、作品が描かれた時代背景を尊重しましたって注釈つけるべきかしら」
「ダネ!」
勢いよく畳み掛けてくるR.パラスケバスに笑ってしまった。
いやだわ。もう笑いがとまらない。
「恥ずかしいわ、14歳の女の子みたい」
「14歳の女の子じゃありませんか」
R.レダの言葉に、わたくしは微笑みを返す。
「わたくしはエレノア・パートリッジ。14歳の女の子だからって、14歳の女の子でいることを許しません」
「誰が許さないとおっしゃいますの?」
「もちろん、わたくし自身」
世間や重役たちの価値観や言葉など、知ったことではないわ。
わたくし自身が許さないなら、それは許されないのよ。
「R.レダ。すてきな音楽だったわ。誰の曲かしら?」
「あたくしの作曲ですわ。でもフェルメールが生きていた時代のチェンバロで、一流の音楽家に弾いてもらいましたから素晴らしく出来上がったんです」
予算をいくら費やしたのかしら。
俗っぽい発想をしてしまったけど、あの美しい弦の響きには価値がある。
「背景音楽だけはある?」
「もちろんですわ。すぐご用意いたします」
「流してちょうだい」
17世紀のチェンバロが、22世紀のシアタールームを包み込む。
心地よい響きに、わたくしは目を閉じた。




