彼女がいなくても夏は訪れ
ホームスクーリングのまま夏休みに入ってしまった。
母さんが亡くなって、はじめての夏休み。
毎年行ってるカナダの国際キャンプは予約していたし、カヌー体験も楽しみだけど、父さんと離れがたかった。やっぱり不安はずっと燻っていて、行きたい気分じゃない。
ぼくがいない間に、反アンドロイド主義者が父さんを狙ったら………
そんな空想に憑りつかれる。
妄想だろうか。
でも父さんはARTのフルオーダーアンドロイド。この世でいちばん人間に近いアンドロイドかもしれない。
どんよりとソファでシロナガスクジラを抱っこしていると、父さんがやってきた。歩みに合わせて、デトロイト瑪瑙の数珠がちゃりと鳴る。
「パピア。キャンプに行くのは、気が進まないかい?」
見透かされてしまった。
なんとなく視線を逸らす。
「でも、行った方がいいよね」
「いいや。パピアの気が進まないなら、キャンセルしても構わないよ。今年くらい父さんと居ようか?」
父さんは主夫だから、家にいてくれる。
そこは問題ない。
「とはいえ、夏休み明けに話題がないのも辛いだろう」
そこなんだ。
クラスのみんなは絶対に、サマースクールへ行く。
エデンやケルシーはカナダの国際キャンプで、ダコタはオーストラリアで通っていた学校に出戻り留学。プルデンスはフランス中心にヨーロッパ一周のバカンス。コールドウェルはもう日本への短期留学に発っていた。
「泊りはしたくないよ。でも今からじゃ通いのサマースクールなんて、予約取れないでしょ」
通いのサマースクールもある。
でもこんな夏休み間際じゃ、枠は埋まっている。無理だ。
サマースクールに行ってないなんて、父さんが保護者として不適格って思われるんじゃないか。
保護者失格。虐待。
父さんがそんな風に思われるのは嫌だ。絶対に嫌だ。
「院主さまと相談したんだ。パピアが嫌でなければ、お寺のサマースクールの枠をひとつ増やしてもらえる。今回は大変だったから、特別にな」
「お寺さんの……」
自動車なら通える場所だ。
「ただ、あそこでは葬儀をしたばかりだ。辛ければ遠慮せず言ってくれて。父さんも通える範囲を探してみたが、予約できるのがそこしかなかった」
「ありがとう。お寺のサマースクールに通うよ」
「内容としては10時から境内でこどもだけでリクリエーション、13時からは東洋文化体験。片方でもいい」
「両方行っていい?」
「ああ、もちろんだ」
キャンプはキャンセルして、お寺のサマースクールに通う。
保護者なしで、いろんな年齢のひとたちとリクリエーションする。日系が多いんだな。
午前中は広いお寺の境内をウォークラリーだった。普段は立ち入っちゃいけない場所とか入れたし、いろんな子とお喋りできて楽しかった。
午後からお抹茶体験。
お茶用の腰掛に上品に座って、きれいなお菓子を食べて、緑色のカプチーノみたいなお茶が運ばれてくる。
習った通りに、頭を下げて、隣のひとに先に飲みますって挨拶する。
「お先に」
「どうぞ」
抹茶を一口。
カプチーノみたいだけど、すごく苦いな。
ちみちみ飲んでいると、幼稚園くらいの小さい子たちも抹茶が配られて始めた。
「かんぱーい」
五歳くらいの子たちが、がしゃっと抹茶茶碗をぶつけ合う。
お坊さんが焦って、止めていた。
……お坊さんも焦るんだなあ。
文化体験が終わって、16時には保護者たちが迎えにくる。父さんは終わる前から待っていてくれた。
「楽しかったかい、パピア」
「うん。お抹茶もらったよ。苦いんだ。飲めないひとはアイスにかけてくださいって」
お抹茶の小袋を見せる。
「じゃあアイスを買って帰ろうか?」
「父さん。これ、バニラアイスとチョコアイスどっちが合うかな」
「バニラアイスかな」
「じゃあバニラ!」
お寺のサマースクールは初めてだったけど、本殿や境内のリクリエーションは異世界っぽくて面白い。文化体験は退屈なときもあった。嫌じゃない。夏休みの半日だけなら、そこそこって感じ。
今日はお琴の合奏会で、終わったらお菓子とお抹茶。初日に習った作法通り、上品に頂く。
早めに終わったら仲のいい相手と喋るんだけど、今日は喋りやすい子が来てないな。
父さんはいつも早めに迎えに来るし、もしかしてもう来てるかも。
そう思って駐車場を覗く。
うちのくるまだ。
でも父さんは近くに見当たらない。
散歩かな。もしかしてお坊さんとお話でもしてるんだろうか。
すっかり勝手知ったる場所になったので、ぼくは気ままにうろついていく。
お墓の方に出た。
灰色や黒ずんだ石が林立している空間に、ひとつだけ動く背の高い影。
父さんだ。
あそこは母さんの墓?
………父さんは母さんにも会いに来ていたんだろうか。
何か話しかけているのかな。
邪魔しちゃいけない気分になって、ぼくはおとなしくスクールの終了時間を待った。
父さんは相変わらず優しく迎えてくれる。
デトロイト瑪瑙の数珠が巻かれた手を、ぼくはしっかりと握った。
母さんのいない夏休み。
それは母さんのいない誕生日ってことだった。
六月の最後の日、誕生日の朝が来た。
誕生パーティはしないって、エデンやダコタたちに告げていた。
父さんにも特別なお祝いはなしないで、ってお願いしておいた。
だって母さんがいないんだ。
母さんが祝えないのに、他のひとたちに祝ってもらうなんて嫌だった。
「おはよう、パピア」
「おはよ……」
「プレゼントを渡させてくれ」
「ぼくはプレゼントなんか要らないって……!」
「母さんが生前、選んでいた。検索ログを遡ってみたが、これがおそらくお前に渡したかったものだ」
母さんが、選んでいた。
父さんは嘘はつけないし、高性能だ。母さんの性格や行動パータン、デバイスの検索ログから推測して、ほぼ確実に正解にたどり着く。
蒼いラッピングを破いて広げれば、それはもっともっと蒼い地球儀だった。
ふんわりと台座から浮いている。
「ライトになっている」
飾りボタンみたいなスイッチに触れると、ぽぅと灯った。
「これ、半分くらい光ってないよ」
「時計が内蔵されていて、昼と夜をリアルタイムで映してくれている。だからデトロイトは明るいだろう」
「昼と、夜」
明るさと暗さを宿す地球儀。
ああ、きっとこれは母さんが生きていたら、すごく役に立っただろうな。
母さんは世界中に出張していた。これさえあれば、母さんが滞在している地方が朝なのか夜なのか一目で分かる。
今はこの地球のどこにもいない。
今更だ。
こんなの本当に今更なんだ。
悔しい。
でも、ぼくよりもっと悔しいのは、母さんだ。大好きなぼくにプレゼントを手渡せなくて、喜ぶぼくのすがたが見れなくて、悲しくて悔しいのは母さんだ。
「ありがとう、父さん……母さん」
母さんがいない夏。
ふたりきりの誕生日、蒼く灯る地球儀を眺めていた。