秘密のキャンプ
ぼくは幼稚園から帰るなり、父さんにぎゅっと抱き着いた。バイタルチェックが終わっても、ハーネスを取ってもらっても、ぎゅっぎゅっする。
「父さん。キャンプ!」
「サマーキャンプはまだ先だが、出かけたいのかい?」
青い瞳は優しいまま、口許は困ったように笑う。ぼくの胸に、いがいがした気持ちが膨らんだ。
「ふたりで焚火して、マシュマロ焼くの。星も観察する!」
「楽しそうだな。母さんのバカンスの時に、キャンプをするか」
「ちがう。父さんと! ふたり!」
「それは難しいな、パピア」
父さんは小さく呟く。
ぼくの父さんは主夫で、うちのセキュリティーで、アンドロイドだった。
そう、アンドロイドなんだ。
おいしい晩ごはんを食べて、寝かしつけられて、暗い寝室にひとり。
いつまでたっても眠れない。
ぼくはイルカの目ざまし時計を抱き締める。幼稚園に入ったお祝いに母さんが贈ってくれたんだ。とても青くて透明なイルカがついている。文字盤は夜ふわふわ光ってる。だから好き。
秒針がきざむ。かちこち。
「父さんとふたりでキャンプ……」
おれのとーちゃんと、ふたりでキャンプしたんだ!
あっ、だめだよ、パピアくんのおとーさんは、あんどろいどだから、ふたりでキャンプできないよ
そんな自慢しちゃ、パピアくん、かわいそうだよ
幼稚園での会話が、あたまのなかだけで繰り返される。
ぐるぐるするたび胸がぎゅっと苦しくなって、締め付けられて、涙が溢れてきた。
なんでみんなそんなこと言うの。
ぼくの父さんは、完璧なのに。
キャンプできなくても、すごくて、完璧なのに。
「パピア。眠れないのか」
普段はやってこないのに、枕元に父さんがいた。
夢かな。
「父さん……うん」
涙が溢れて止まらないんだ。
ぼくが何か言うよりも、父さんは優しく頬を拭ってくれた。耳の中まで涙でぐっしょりだったけど、父さんは優しく綿棒でこしょこしょしてくれた。
赤ちゃんみたい。
でも嫌じゃない。
今日みたいな日は、赤ちゃんにされても嫌じゃないんだ。
「えへへ……」
ぼくは父さんに抱きかかえられた。
どこに連れていかれるんだろう。
不安はない。
しばらくゆらゆら揺らされてるけど、父さんの腕の中は幸せだった。
「パピア」
父さんの囁きと、明かりで、ぼくは目を覚ました。
ぼくは父さんに抱き締められている。それはいいけど、ここ、どこだろう。
知らない部屋。木の板の壁だ。
うちにこんな部屋ない。
おっきくてごついカンテラが、柔らかな光で照らしている。床にはトイレットペーパーのパックやお水のケースがいくつも積み上がっていて、壁の上にはヘルメットと斧、それから高いところにはリボルバーと猟銃が掛けられていた。
「銃?」
うちに銃なんてあったの?
「ここは父さん秘密基地なんだ」
「秘密基地!」
びっくりして目が覚めた。
眠気なんか、くるくるぽーんと散っていく。
「父さん。秘密基地なんて持ってたの! 秘密基地!」
見回してみれば、たしかに秘密基地って感じだ。
狭くて、ソファと折り畳み椅子と机だけ。ても壁に猟銃だってあるし、あそこに掛けられているのは、監視カメラのディスプレイかもしれない。四分割されて、どこか映し出されている。あとよく分かんない機械も。
「外でキャンプは難しいが、お前を秘密基地に招待した」
「やった!」
キャンプよりすごい。
だって父さんが秘密基地を持っているんだ。それってすごいことだよ。
「ここはリビング兼寝室。ソファがベッドにもなる。この留め具を外せばすぐだ」
「わあ」
たちまちベッドに変形だ。
「パピアもやってみるかい?」
「うん、できる!」
ソファをベッドにしたり、ベッドをソファにしたり、がちゃがちゃ繰り返す。
父さんが見たこと無い機械を出してきた。なんだろ。
「これは手回しラジオだ。ハンドルを回してみるかい?」
「回す!」
ラジオから音楽が流れてきた。知らない曲。秘密基地だから曲も秘密なんだ。
「床に金具があるだろう。ここを引っ張ると」
ぱかんっと、床板が開いた。
何か入っている。
「宝物?」
「ある意味では。外がとても危険な時は、宝物だよ」
床板をひとつひとつ開けていく。
レトルトだの缶詰だのお水だの、ゴム手袋だの軍手だの毛布だの、歯磨きボトルだの熱さましシートだの消毒用アルコールだの。つまんないもの。
「あ、マシュマロがある! チョコも! さすが秘密基地!」
「さ、パピア。秘密基地用の食事を食べるかい? サーモンシチューだ」
「うん!」
父さんはレトルトを封切り、ペットボトルの水を入れる。
「この糸を引っ張ってごらん」
レトルトから垂れている糸を引っ張っぱると、ぷしゅっと音がひとつ。
「だんだん暖かくなってくる。これで十五分まてば、シチューができる」
「のんびりだね」
「秘密基地用は特別なんだ」
「そうなの」
カンテラの光の中で、父さんはぼくをだっこして、ぼくはレトルトをだっこする。ほんとうに暖かくなっていく。
レトルトパックにスプーンを突っ込んで、サーモンシチューを食べた。
普段のサーモンと違う食感だ。缶詰味に近い。にんじんみたいな色のモノを口に入れたら、べちゃっと崩れてなくなった。にんじんみたいな味が残る。
「秘密基地味だね」
「そうか。マシュマロは普通味だよ」
ぼくはあったかいサーモンシチューでおなかを膨らませ、マシュマロもらった。これはいつもの美味しさ。
ふわふわを噛み締めながら、ぼくはまた眠りに沈んでしまった。
朝、目覚めた場所は、ぼくのベッドの上だった。
イルカの目覚まし時計はベットの中。
夢?
父さんの秘密基地って、ぼくの夢だったの?
ぼくがきょろきよろ見回していると、父さんが入ってきた。
「おはよう。パピア、朝ごはんはどうする? 夜食のシチューでまだおなか膨れているかな」
「夢じゃない?」
「ああ、真夜中に父さんの秘密基地に行っただろう」
「ほんとなんだね!」
父さんは優しく微笑む。
青い瞳にぼくが映る。
「ああ。あれは父さんの秘密だから、誰にも内緒だよ、パピア」
「うん!」
ぼくの父さんはアンドロイド。
キャンプに行けなくったって、完璧だし、すごいんだ。
幼稚園を卒園して小学校に上がって、友達も増えて、知恵もつけば、なんとなく父の秘密基地が何か察してしまった。
なんてことはない、あれはきっと核シェルターだ。
自宅の地下にあって、物置的に使われているシェルター。
銃や弾丸などの危険物なんかも保管されているから、小さい子供には教えていない。そんな秘密の地下室だ。
ちょっと遠いけど品ぞろえ抜群の大型食料品で、いろいろと食材を買い込む。外国の高級なチョコレートに缶詰、珍しいジャム。あと真空マフィンや真空ベーグルを買い込んできた。
ぼくは外国のチョコを、ずらっと並べる。
スイスやベルギーのちょっと大人な風味のチョコだ。
「校外学習に持っていくチョコレート、これにする!」
来週はクローン動物園に、校外学習だ。
持っていくおかしは特別にしたい。
「パピア、じゃあ物資を交換するぞ。手伝ってくれ」
「はーい」
面倒だけど仕方ない。
父さんは二か月に一度くらいの割合で、秘密基地の食材や電池を交換するんだ。
床のハッチを開けて、狭い階段を下りていき、地下五メートルにある分厚い防爆ドアを開く。
核シェルターだ。
棚にある真空パックたちを上げて、買ってきたばかりの食材を詰めていく。
缶詰もレトルトも、選ばれなかった外国のチョコレートも、母さんから没収したお酒もここに封じ込める。あとセールの時、たくさん買ったら地下に保管だ。トイレットペーパーやティッシュペーパーは特に大量だった。
「あ、これ、食べたかったやつ」
ナツメヤシのドライフルーツを、くるみでサンドしたおやつだ。
先々月に買って食べたかったけど、父さんが作るおやつの方が美味しいから忘れていた。
「父さん。こっちの食べていいよね。校外学習に持っていけないし」
ナッツ系のおやつは禁止だから。
ピーナッツが厳禁で、くるみや胡麻も校則違反になる。
「この缶詰も食べるか?」
父さんが出した缶詰は、サーモンのオリーブオイル煮だ。
プルタブが壊れたと仮定して、缶切りで開ける練習。
サーモンのオイル煮に、プレーンのベーグルを添えて食べる。うん、美味しい。
「ねえ、父さん。壁にかかってる、ぼくの絵。あれ、そろそろ捨てたら?」
幼稚園児のクレヨン落書き。
あの時期は、何故かクレヨンが楽しくて、よくクジラやイルカを描いていた。
あの絵は父さんが描かれている。あとはカンテラと、シチューだ。本人だから描いてある内容の察しがつくけど、あんなへたくそな落書き、どうしてここに飾ってあるんだ。恥ずかしい。
「パピア。ここは父さんの秘密基地だ。好きにさせてくれ」
「父さんの秘密基地なら仕方ないね」
ただの核シェルター。
それでもこの地下室は、父のすてきな秘密基地だ。
ここで缶切りのやり方を教わり、マッチで蝋燭に火をつける方法を教わった。包帯の巻き方も。ロープの縛り方も。
すてきな思い出。
ぼくのこころ嬉しく弾ませる、たったひとつの秘密基地。




